第12話 訓練を終えて
それからも、グレンは魔法のコントロール、体術、そして索敵能力を限界まで引き上げるための特訓に、毎晩血反吐を吐く思いで食らいつき続けた。
「────はぁっ!」
「甘いぜ」
「ぐぅっ!」
ジャズが繰り出す鋭い拳を紙一重で躱し、グレンは素早く背後に回り込む。ここだというタイミングで膝裏へ蹴りを放つも、ジャズは背中に目でもついているかのように軽々と足を引いて躱し、そのまま流れるような後ろ回し蹴りを繰り出した。
咄嗟に腕を交差させてガードしたものの、凄まじい衝撃にグレンの小さな身体は大きく弾き飛ばされ、赤土の上を何度も転がる。
「かはっ……!」
全身は新しい痣だらけで、未だにグレンの攻撃は一発もジャズに届いていない。
だが、初日のように一方的に叩きのめされることはなくなった。グレンは確実にジャズの攻撃の起点を察知し、急所への直撃を躱せるようになっていたのだ。
しかし、グレンが成長した分、ジャズも容赦なく攻撃の速度とバリエーションを上げ、悪辣なフェイントまで織り交ぜるようになってきている。
「ジャズさんっ! 今、わざと隙を作って誘い込みましたね……っ!」
「ん〜? 卑怯だって言いてえのか? 実際の戦場じゃ、敵は正々堂々となんて戦ってくれねえぞ」
ニヤニヤと笑いながら挑発してくるジャズに、グレンは泥だらけの顔で眉をひそめる。最近のジャズは、わざとグレンを苛立たせるような煽り文句を口にすることが増えていた。これも実戦で冷静さを失わないための、精神的な訓練なのだろう。
「あれ? あれ? 当たらないねえ?」
訂正、精神的な訓練ではなくただ性根が腐っているだけだとグレンは確信する。
(こ、この人……性格悪すぎるっ!)
「くそっ、はあああああああっ!」
「おう、来い来い」
結局、その日も一矢報いることは叶わなかったが、確実にグレンの身体には『殺し合いの技術』が蓄積されていった。
────こうして地獄の特訓を積み重ね、1ヶ月が過ぎた頃。
感知訓練のため、風魔法を纏ったジャズが暗闇の岩場を高速で飛び回っている。
(わかる。空中に漂う魔素残滓は動かない。もっとその奥、無魔素を伝って流動している緑魔素の『本体』を感知するんだ。もっと……もっと深く!)
目を瞑り、極限の集中状態で知覚を研ぎ澄まし、ジャズのいる方向へ手を向け続ける。
そして──初めて一度もジャズを見失うことなく、長時間の索敵訓練が終了した。ジャズがふわりと風を纏って、グレンの目の前に着地する。
「……信じられねえ。グレン、お前の感知能力は、もうザイバス共和国軍の精鋭にだっていないレベルだ。魔具の補助なしで、300メートル先の俺の動きを完璧に追うなんて、とんでもねえ化け物だぞ」
「はぁっ、はぁっ……ありがとうございます!」
そこで、グレンはふとジャズの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「ジャズさん、あの……『感知のための魔具』なんてあるんですか?」
「ああ。そりゃあカノンじゃ見たことねえよな」
ジャズは、ログザ魔脈坑の周囲を囲む巨大な山脈を見上げた。
「軍には、魔素を広範囲で感知するための大型の機械がある。それを管理しているのが『魔素通信警戒隊』って部隊だ。まあ要するに、周囲の大気から無魔素を吸収し、一方向に照射して魔素の流動を機械的に確認するもんでな。軍じゃこれを『レーダー』って呼んでいてな、国境間際の山上やログザ魔脈坑みたいな重要地点の周囲に設置されているんだ」
「『レーダー』……。それで、魔獣や敵の魔法使いを感知するんですね」
「そうだな。敵軍の『侵攻』をいち早く察知するための要だ」
「侵攻、ですか? ……でも、魔法を使わずに歩いて近づけば、魔素は出ないからバレないんじゃないですか?」
グレンの素朴な疑問に、ジャズは岩場に腰を下ろして苦笑した。
「軍隊ってのは、戦う場所によって陸軍、海軍、空軍の3つに分かれてる」
「陸軍はなんとなくわかりますけど、海軍と空軍……? 海って言葉は、本で読んだことはありますが」
「まあ、カノンは山奥の街だから見たことないだろうが、世界には『海』っていう、見渡す限りの塩水で満たされた地形があるんだ。そこを『船』っていう水に浮かぶ乗り物で進んで戦うのが海軍だ」
「そうなんですね……じゃあ空軍っていうのは、『空』ってことですよね? 風魔法を使って、ジャズさんみたいに空を飛び回る部隊ですか?」
その言葉に、ジャズは困ったように笑う。
「いやいや。まあ、地上戦においてなら、俺の風魔法の速度や空中浮遊能力はそこそこの脅威だ。だが、空軍はもっと遥か上空で戦うんだよ。それこそ、あの山脈の頂上と同じくらいの高さでな」
「そ、そんな上空で戦うんですか!?」
グレンは驚いて目を見開いた。そんな高い空を飛んでいるのは、カノンで見た猛禽類くらいしか記憶にない。
「ああ。俺も歴史に詳しいわけじゃねえが、数百年前は大陸中を巻き込む大戦争の時代があった。各国の軍隊は魔工学の発展にしのぎを削り……そして遂に、戦場を一変させる最悪の魔具を生み出した。────『飛空突撃艇』だ」
「飛空突撃艇……?」
「羽ばたきはしねえが、鉄でできた巨大な鳥のような形をした魔具だ。赤魔素と緑魔素を利用して、爆発的な推進エネルギーを起こす『エンジン』って機構が搭載されてる。それに乗って、人間が超高速で上空を飛び回るんだ」
「そ、それが……戦場を変えたんですか?」
「ああ。地べたを這いずる陸軍には、上空の飛空突撃艇を攻撃する手段がねえ。だが向こうは、遥か上空から一方的に魔素弾の雨を降らせてくる。この魔具が登場して以来、各国は狂ったように飛空突撃艇の開発を進めた。今や戦争ってのは『制空権』……空を制圧した側が勝つと言っても過言じゃねえ状態だ」
「ああ……だから、その『レーダー』が役に立つんですね!」
「そうだ。飛空突撃艇は膨大な魔素を消費しながら、凄まじい速度で突っ込んでくる。そいつをはるか遠方からレーダーで感知して、対空砲を撃ったり、こちらも迎撃のために飛空突撃艇を発進させなきゃ国が滅ぶんだよ」
「なるほど……」
空を飛ぶ鉄の鳥。グレンがその未知の兵器に想像を膨らませていると、ふと、ジャズの纏う空気が鋭く変わった。
「さて、グレン。真面目な話をしなきゃいけねえ」
「──はい」
ジャズの真剣な声音に、グレンも背筋を伸ばす。何を言われるか、薄々察していた。
「治癒報告の誤魔化しも限界だ。グレン、お前は明日から、いよいよ第5層の労役に従事することになる」
「第5層……」
荷車を押しているだけでも、入り口から第2層終わりまでの往復で丸1日かかっていた。第5層まで降りるということは、一度入ってしまえば、まとまった労役を終えて地上に出るまで1週間は帰ってこられない可能性が高い。
(いよいよか……)
「グレン。お前はこの4ヶ月間で、信じられないほど強くなった。大人の兵士相手でも生き残れる術を、その身体に叩き込んだ」
「はい。ジャズさん……本当に、ありがとうございます」
ジャズはグレンの目をじっと見つめる。いつもの飄々とした雰囲気は微塵もなく、ひとりの戦士として、対等にグレンと向き合っていた。
「グレン、感謝は言葉じゃなく行動で示せ」
「こ、行動ですか?」
「ああ」
ジャズはグレンに一歩近づき、その小さな肩に重い手を置いた。
「生き残れ、グレン。何があっても、必ず生きて帰ってこい。……俺との約束だ」
出会ってから4ヶ月。ここまで重たく、そして真っ直ぐな言葉をジャズから聞いたのは初めてだった。グレンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに力強く頷き、ジャズの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「はい。必ず、生きて戻ります!」
その力強い返事を聞いて、ジャズはふっと安堵したように息を吐き、笑った。
2人の頭上には、これからの過酷な未来を暗示するように、冷たくも美しい満天の星空が広がっていた。
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翌朝。グレンは第13収容所の入り口に立っていた。
遂に第5層へ下り、深部の坑道掘削作業に従事するためだ。相変わらず不味い配給のスープを胃に流し込み、バラック街の広場に集合している奴隷の列に並ぶ。
一番前に立っていた下士官が、鞭を鳴らして号令をかけた。
「さて、これからお前たち100名には、第5層の奥深くへ向かってもらう! 現在、既存の坑道にある『湧気口』から吹き出す赤魔素の量が激減している! そのため、新たな魔脈を求めて新規の坑道を掘削する必要がある!」
ピシィッ、と再び鞭が地面を叩く。
「作業は過酷だが、立ち止まることは許さん! では、これより我々監視兵に続いて第5層まで降りる。ついてこい!」
5人の武装した兵士を先頭に、グレンを含む100名の奴隷たちが、光の届かない巨大な縦穴の階段を重い足取りで下り始めた。
1段降りるごとに、空気の温度が上がり、湿り気を帯び、カビと赤土の匂いが濃くなっていく。頭上の空が徐々に赤土により日光が遮断され、やがて昼にもかかわらず夕暮れどきのような茜色に染まる。薄暗いこの状況では、松明の頼りない炎だけが、これから1週間、あるいはそれ以上続く地獄の始まりを照らしていた。
(ジャズさんの特訓を信じろ。絶対に、生きて帰るんだ)
グレンはポケットの魔石をきつく握りしめ、暗闇の底へと足を踏み出した。
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(ジャズ視点)
一方、その日の夜。
グレンが第5層へ出立した頃、地上にあるログザ魔脈坑・駐屯兵舎の4階では、重苦しい空気が漂っていた。
「────であるからして、今月の赤魔素の供給量は前月より8パーセント増加しており──」
(ったく、興味ねえな)
キース准尉をはじめとした、奴隷管理と治安維持を担うザイバス共和国陸軍の下士官たちが一堂に会する定例会議。
円卓には3席ほどの空席があった。横領や収賄に関わっていた下士官たちを、ジャズが特務部隊の権限で容赦なく『処分』した痕跡だ。ジャズは退屈そうに欠伸を噛み殺しながら、報告を右から左へ聞き流していた。
各担当部署の報告が続く中、第5層から第6層を管理する担当軍曹が挙手し、立ち上がった。
「こちら、第5層の監視兵からの報告なのですが……最近、奴隷の消耗が異様に激しいとの報告を受けています。配給や道具の供給は滞りなく行われているはずなのですが、地上に戻ってくる奴隷の数が明らかに少なく、予定していた掘削作業が継続できておりません」
キース准尉が不快げに軍曹を睨みつけた。
「おい。ただでさえ最近は奴隷商人どもに価格を吊り上げられてるんだぞ。少しでも長く使えるように管理しろ。……だいたい、第5層の湧気口から産出する赤魔素の量も大幅に減っているではないか」
「も、申し訳ありません! ただ、あの……」
軍曹は手元の資料をめくりながら、ひどく戸惑った様子で言葉を継いだ。
「少し不可解なのが……坑道を掘り進めていた奴隷が予定の期間を過ぎても戻ってこないため、監視兵が奥まで確認に向かったところ、完全に『もぬけの殻』になっていたとのことです」
「もぬけの殻だと?」
「はい。落盤事故の痕跡もなければ、逃亡した形跡もありません。ただ、道具だけがその場に残され、奴隷の姿だけが消えているのです。配給にも現れていないため、間違いなく死んだものとは思われるのですが……死体一つ、骨の欠片すら見つかっていません」
(しょーもな。どうせ監視してる兵士たちが一番の容疑者じゃねーか)
あまりにも杜撰な報告に対し、ジャズは呆れた視線を軍曹へ送る。軍曹も、流石に妙な報告をしている自覚があるのか、次第に声量が小さくなっていった。
「お前、その報告がまともなものと思って口にしているのか? 坑道の奥に、人を丸呑みにする幽霊でもいるとでも言うつもりか?」
「い、いえ、そうは思っておりません……!」
「ならさっさと原因を究明しろ! ジャズ特務曹長。お前は、第5層を監視している兵士たちが地上に戻り次第、赤魔素を裏ルートで横流しするような軍規違反を行っていないか、徹底的に洗え」
キース准尉もジャズと同じく「兵士の横領」を疑ったのだろう。厳しい口調で軍曹を責め立てた後、ジャズへ特務部隊としての任務を下した。
「了解」
「……は、はい。申し訳ありませんでした」
軍曹が冷や汗を拭いながら着席し、次の報告へと移っていく。
ジャズは腕を組み、目を伏せたまま、先ほどの第5層の状況について思考を巡らせた。
(奴隷が次々と死亡……いや、死体すら残さず消滅し、さらに湧気口からの赤魔素の量が減少している、か)
普通に考えれば、キース准尉の言う通りだ。監視している兵士が赤魔素の採取量を誤魔化し、奴隷に地上まで運ばせて奴隷商に売りさばく。そして口封じのために奴隷を闇に葬った。
だが、そこまで考えて、ジャズは強烈な違和感を覚える。
(いや、ありえねえ。地上の横領ルートや蛆虫どもは、俺がこの4ヶ月で片っ端から潰したはずだ)
もし仮に、死体すら出ないほどの大掛かりな横領ルートが新たに構築されているのだとすれば、特務部隊として裏の動きを探り続けてきたジャズが気付かないはずがない。彼にはその自負があった。
(もし、横領なんかじゃないとしたら。兵士や奴隷の不正とはまったく別の、『得体の知れない要因』が坑道の奥に潜んでいるとしたら──)
背筋に、ゾクリと冷たい悪寒が走る。
ジャズは顔を上げ、窓の外の暗闇を見つめた。あの深淵の底へ、今日下っていったばかりの愛弟子の顔が脳裏をよぎる。
(──頼むぞ、グレン)
ジャズは祈るように、無意識のうちに拳をきつく握りしめていた。
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