第11話 戦闘訓練
ジャズとの夜の特訓が始まってから、3ヶ月が経過した。
毎日の過酷な労役にも身体が慣れ始め、何度か死にかけたものの、持ち前の運と気合で乗り切ってきた。そして何より、ジャズとの毎晩の訓練の成果により、グレンの魔素コントロールは格段に向上していた。
「──赤魔素よ、進め」
ボワッと炎が上がると、グレンの手の動きに合わせて宙で円を描く。
(大きく、そして小さく……)
グレンがイメージすると、炎が膨らみ、そして縮む。ジャズが最初に見せた手本ほどの速度はないが、それでも完全にコントロールが効いているのは明らかだった。
「───しっ」
短く息を吐き、手を握ると炎が消える。間髪入れず、グレンは新たな呪文を唱えた。
「赤魔素よ、展開せよ」
すると、それまで一つの線状に移動していた赤魔素が、グレンの周囲を囲むように立体状の炎の壁となって広がり始める。こめかみから一筋の汗を流し、極限の集中を続ける。
「はあ……っ!」
強く息を吐き出すと、周囲に展開していた炎の壁が、夜空に溶けるように消失した。
その様子を見て、岩場に座っていたジャズがぱちぱちと拍手を送る。
「いや〜、すげえな。俺がそこまで自在にコントロールできるようになるまで3年はかかったはずだが……たった3ヶ月でここまで仕上げてくるとは」
「ありがとうございます。ジャズさんが教えてくれたおかげです!」
「あ〜、礼はいい。それよりグレン。お前、怪我の具合はどうだ?」
グレンはそれを聞き、自分の身体を捻って動かしてみる。もちろん、労役でできた無数の切り傷や打撲の痛みはあるが、胸の奥から響いていた鈍い激痛は完全に消え去っていた。
「問題ないです! 前は呼吸したり動いたりするたびに痛みが走っていたんですが、今はまったく痛くありません」
「そうか。まあ、馬車に乗っていたときに、恐らく肋骨が折れてたんだろうな」
「こ、骨折してたんですか、俺!?」
「お、気づいていなかったのか」
ジャズはからかうように笑いながら続ける。
「お前が死なずに済んでるのは、俺が怪我の報告をして、荷車の往復だけで済む上層の作業に留めさせてたからだ。んで、治癒したかどうかの判定を上に提出するのも俺の役目ってわけだ」
「そうだったんですね……本当に、ありがとうございます」
「まあ、それはいい。だがな、ここで馬鹿正直に『治癒しました』って報告すると、今と違って毎日の特訓ができなくなる」
「え?」
ジャズの言葉に、グレンは目を丸くした。
「もし治癒報告を出せば、もっとも奴隷が不足している第4層以下の下層地帯……魔脈採掘の最前線へ回されるだろうな。そうなったら、恐らく1週間は地下に籠り切りになる」
「1週間ですか!?」
グレンの脳裏に、ログザ魔脈坑の巨大なすり鉢状の大穴が浮かぶ。赤い土煙が常に立ち込め、光すら届かない深すぎる穴の底。
(あんな真っ暗な底に1週間もいるなんて、頭がおかしくなりそうだ……)
顔を青ざめるグレンに、ジャズは低い声で続ける。
「下層は無法地帯だ。監視に向かわされる兵士も、階級が低く質の悪い新兵やならず者が多くなる。過酷な労働環境と暴力……いつ誰が死んでもおかしくない地獄だ」
「なるほど……」
「だから、あと1ヶ月だけ報告を誤魔化してやる。まあ、子供の肋骨の骨折なんて2ヶ月もありゃ完全にくっつくもんだがな」
「あと、1ヶ月……」
「ああ。魔法のコントロールはもう合格点だ。だからこの1ヶ月は、魔法の時間を少し削り、その分を体術──『実戦的な近接戦闘』と、『魔素感知能力の極限上昇』の特訓に使う」
近接戦闘の訓練と言われても、グレンにはいまいちピンとこなかった。
(アルスだったら、喜んで参加していたのかな)
今は亡き親友の顔を思い浮かべながら、グレンはジャズの目を真っ直ぐに見返して覚悟を決める。
(生き残るために、俺は強くなる。必ず、カノンに帰るんだ)
「わかりました、お願いします!」
その強い眼差しを見て、一瞬、ジャズは少し寂しそうな顔をしたように見えた。しかしグレンが疑問に思うより早く、ジャズはいつもの飄々とした、だが底知れぬ凄みを宿した表情に戻っていた。
「よし、じゃあ早速いくぞ。まずは体術だ。……避けてみろ」
ドンッ!!
直後、グレンの顔の横スレスレを、ジャズの重い拳が岩盤を砕く勢いで通り抜けた。
「うわあっ!?」
「遅い。大人の兵士や魔物とまともに殴り合えば、8歳の小柄なお前は一撃でミンチだ。だから俺が教えるのは、真っ向勝負じゃねえ。敵の攻撃の予備動作、筋肉の動き、空気の揺らぎ……そのすべてを感じ取り、『攻撃が来る前に完全回避する』技術だ」
「か、完全回避……」
「そうだ。そして避けた直後、お前のその小さな背丈を利用して死角に潜り込み、大人の急所──目、喉、金的、膝の裏を躊躇なく潰せ。生き残るための殺し合いに、卑怯もクソもねえ!」
ジャズは容赦なく、次の一撃を放つ。
「さあ、避けて俺の懐に潜り込んでみろ!」
「くっ……!」
グレンは必死に無魔素の揺らぎを感じ取り、泥だらけになって地面を転がりながらその猛攻を躱す。そしてジャズの蹴りが空を切った一瞬の隙を突き、教えられた通りに足元へ飛び込んで膝の裏を狙おうとした。
だが──。
「甘い!」
ジャズの足が鞭のように跳ね上がり、グレンの小さな身体はあっさりと宙を舞って赤茶けた土の上へ転がされた。
「ぐはっ……!」
「ほら、立って次だ! 目線だけで動くな、相手の体全体を見ろ!」
「は、はいっ……!」
そこから、地獄の組み手が始まった。
ジャズの攻撃を紙一重で躱しては反撃を試み、そのたびにいなされ、弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。何度倒されても、グレンは歯を食いしばって立ち上がり、再び大男の懐へと飛び込んでいった。
数え切れないほどの転倒と打撲を繰り返し、気が付けば2時間ほど過ぎていた。
「はぁっ……! はぁっ……! うあぁぁっ!」
最後の一撃。グレンが渾身の力を振り絞ってジャズの脛にしがみつこうとするが、ジャズはひらりと躱し、グレンの背中を軽く足で小突いた。 たったそれだけでバランスを崩したグレンは、派手に前のめりに転倒し、ついに立ち上がれなくなった。
「……まあ、初日で8歳が大の大人に一撃入れるのは無理だよな」
全身泥だらけで、息も絶え絶えになり大の字になって倒れ込んだグレンを見下ろし、ジャズは苦笑いした。
「この回避特化の立ち回りと急所狙いは、今後も毎日徹底的に身体に叩き込む。きついだろうが死ぬ気でついてこい。……おいおい、まだ寝てる暇はねえぞ。もうひとつの特訓がこれからだ」
「くっ、はぁ…はぁ…、あの、魔力感知……ですよね?」
グレンは痛む身体をなんとか起こし、地面に座り直した。
「そうだ。お前はもうすでに、かなりの感知能力が備わっている。だが、その感知速度をもっと速くすること。そして、感知範囲を広げることが次の課題だ」
そう言うと、ジャズは背中の魔素銃を足元へ向けた。
「緑魔素よ、展開せよ」
瞬時に、ジャズの周囲に球体状の風魔法の防壁が展開される。
「グレン、目を瞑れ。この緑魔素の感覚はわかるか?」
グレンは息を整えてから目を閉じ、集中して周囲の魔素を感知し始める。確かに、肌を撫でるような緑魔素の流れがジャズの周囲を覆っているのを、はっきりと感じ取れた。
「わかります。ジャズさんの魔素銃から、身体の周囲に向けて緑魔素が流れていく軌道が見えます。それが風魔法に変換されて、空気に溶けていくのも」
「よし、その感覚を追い続けろ。ルールはシンプルだ。俺の位置を感知できている間は、手を上げ続けろ」
次の瞬間、ジャズがいた場所から、凄まじいスピードで緑魔素の塊がグレンの後方上空へと移動したのを感じ取る。
グレンは慌てて手を上げ、目隠しをしたままその動きを追った。上下、左右、斜め。ジャズの纏う魔素は目まぐるしく動き続ける。
最初は確実に軌道を感知できていた。しかし──やがて、荒野のあちこちに淡い緑魔素の気配が散乱し始め、ジャズ本体の位置が徐々にぼやけていく。
(あ、あれ? どっちだ……?)
「──さて、ここまでだな」
「おわぁっ!?」
完全に位置を見失い、自信なげに手を下ろしかけた瞬間。
グレンの真正面、鼻先が触れそうなほどの至近距離からジャズの声が響き、グレンは心臓が止まるかと思うほど驚いて飛び退いた。
(なんで、こんな目の前まで接近されてるのに気づかなかったんだ!?)
驚愕で固まるグレンに、ジャズがニヤリと笑いかける。
「俺が動けば動くほど、風の防壁を感知しづらくなっただろう?」
「は、はい。なんか、周囲全体に緑魔素が漂っているような感じで……ジャズさん本体の魔素を見つけるのに、ものすごく狭い隙間を探すような難しさがありました」
「そうだ。それを『魔素残滓』と呼ぶ」
ジャズは、周囲の夜空を指差した。
グレンが目を凝らすと、ジャズが高速で移動した軌跡上に、蛍の光のように淡く発光する緑魔素の粒子が、靄のように漂って夜風に溶け残っていた。
「俺たちは魔法を使うとき、魔石から引き出した魔素を魔法へと変換している。だが、100パーセントすべてを変換しきれるわけじゃねえ。変換しきれずに余った僅かな魔素が、こうして空気中に散らばるんだ」
それを聞いて、グレンはハッと気づく。
「ということは……さっき、周囲全体に霧がかかったように感知が邪魔されたのは……」
「そうだ、俺がばら撒いた魔素残滓が煙幕になって、お前の知覚を邪魔していたんだ。実戦で魔法使い同士が戦えば、辺り一帯は魔素残滓だらけになる」
ジャズはグレンの胸ぐらを軽く小突いた。
「この濃密な魔素残滓の嵐の中でも、正確に敵の本体を感知できるようになること。それがこの特訓の目的だ。無魔素を通じた感知の出力を限界まで引き上げなきゃ、俺の位置は掴めねえぞ」
(なるほど…この薄い残滓のノイズに負けず、すべての魔素を通り抜けて知覚を飛ばせるぐらい基礎能力を底上げすれば、感知能力そのものが爆発的に広がるってことなんだ)
特訓の明確な意図と理屈を理解したグレンは、先ほどの疲労も忘れ、目を輝かせた。
「お願いします! もう一度、続けさせてください!」
「おいおい……食いつきが体術のときと大違いじゃねえか」
呆れたように苦笑いするジャズに対し、グレンは少しばつが悪そうに頬を掻いた。
こうして、ジャズが治癒報告を出すまでの最後の一ヶ月間。
グレンは、魔法と体術、そして索敵という『生き残るための術』を、血反吐を吐くような厳しい特訓の中で徹底的に磨き上げていくのだった。




