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白夜戦記──世界に光を降らせる日  作者: ルシア
第1章 ログザ魔脈坑

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第9話 魔法

 次の日、グレンは再び地獄のような労役の中にいた。


(昨日、足裏の皮が剥がれたせいで、下りですら血で滑ってきつい……っ)


 第2層半ばまで下ってきた時点で、昨日よりも明らかに肉体の疲労が蓄積していた。荷車を強く握り続けたせいで掌のマメは潰れて血が滲み、少しでも集中力を切らせば、容易く死の淵へ引きずり込まれてしまいそうだった。


「はぁっ…はぁっ…」


 激しく息を切らし、滝のように流れる汗で視界が滲む。全身の筋肉が悲鳴を上げており、昨日以上に危機的な状況であるのは間違いなかった。

 だが──昨日と決定的に違うものが、一つだけあった。


(死ねない。俺は今日を生き抜いて、あの場所に行くんだ)


 昨日までは、いつか死ぬのではないかという絶望に支配されていた。しかし今のグレンの瞳には、明確な希望の光が映っていた。

 動くたびに走る激痛よりも、カノンを救うという目的と、その第一歩として今夜ジャズから『魔法』を教わるのだという強い期待が、グレンの心を突き動かしていた。


(集中しろ、俺。あの特訓を受けるためには、まずはこの作業を終わらせるんだ!)


 グレンは血の滲む手で荷車の取っ手を握り直し、気合とともに足を踏み出した。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 どうにかその日の労役を生き延び、泥水のような配給を胃に流し込んだグレンは、監視の目を盗んで収容所(バラック)を抜け出した。悪臭の漂うテント群の裏道を息を潜めて進み、区画の最奥を囲うフェンスへと辿り着く。


(あれ、ここでジャズと落ち合うのか?)


 ジャズの姿を探して周囲を見渡す。フェンス際にはスペースがなく、すぐ近くにテントが密集しているため、ここで魔法の特訓をすれば誰かに見られるリスクが高い。疑問に思った、その時だった。


(──あ)


 フェンスの向こう側、崖の下から微かな魔法の気配を感じ取った。あの特有の鋭い揺らぎは、ジャズが使っていた魔法のものに似ている。目を凝らすと、フェンスの根元に人が1人抜けられるほどの穴がぽっかりと空いていた。


(この先にいるのだろうか)


 周りに人がいないことを確認し、グレンはフェンスを潜り抜け、歩みを進める。赤茶色の岩場を進み、バラック内からは見えなかった稜線の下を覗き見ると、ジャズが魔石を握り、炎を纏っていた。

 崖の上にいるグレンに気づくと、ジャズは魔法を止めて軽く手招きをした。

 グレンは足を滑らせないよう慎重に赤土の斜面を下り、ジャズの前に立つ。


「よおグレン」


「こんばんは、ジャズさん」


 ジャズは手の中の魔石を軽く放り投げてはキャッチする仕草を繰り返しながら、口を開いた。


「さてと、グレン。俺もそんなに時間があるわけじゃない。さっさと魔法と戦闘の訓練を行う」


「は、はい!」


 グレンは姿勢を正し、ジャズに向き合う。


「といっても、すぐに魔素を扱う訓練はしない」


「え?」


「お前、魔素を消費して魔法を発動する仕組みについては理解できているのか? 学校では習ったか?」


 グレンは曖昧に頷いた。学校で習ったのは、魔素の種類と発動するための基本的なスペル、そして今後の生活で役に立つ一般的な魔具の使い方程だったからだ。


「ったく、その知識量で魔素の動きを直感的に感知してやがるんだから、とんでもねえ才能だぜ。簡単な文字は読めるか?」


「はい、読み書きは学校で習いました」


「ならよし。では、初回の授業の時間だ。── 赤魔素よ、展開せよ(イグ・ヴァル)


 ジャズが魔法を唱えると、周囲にぽつぽつと火の玉が浮き上がり、暗い地面を照らし出す。ジャズはその場でしゃがみ込んだ。


「ほれ、お前も隣にしゃがめ」


 グレンも慌ててその隣にしゃがみ込む。ジャズは手にした魔石の尖った部分を使い、赤土の地面に文字と矢印を書き始めた。


『 術者のイメージ + 呪文(スペル) 』 → 『 赤魔素 』 → 『 火魔法 』


「これが、学校で教わる火魔法を発動するまでの一般的な流れだ」


「あ、はい。そう習いました」


「ああ。ところで、魔法を発動するまでの流れは本当にこれで全部か?」


「え?」


 ジャズの言っている意味が分からず、グレンは地面に書かれた式をもう一度じっと見つめた。


「赤魔素があって、 呪文(スペル)を唱える、そして火魔法が発動する…これで全部じゃ…」


「なら聞くが、どうやってその魔法の威力、発動位置、範囲を俺たちはコントロールできていると思う?」


「えっと、学校では『イメージが大事』だって習いました。例えば、魔法を前に『進める』とか、勢いよく『放出する』とか『射出する』とき……使う言葉は全部同じ『ザル(zal)』って呪文なんですけど、その言葉を唱えるときに『どう飛ばすか』を頭の中で強く思い描くことで、魔法の動きが変わるんだって」


「まあ、間違いじゃない。呪文(スペル)に込めるイメージが、魔法の方向や威力を決める。だが問題は、俺たちの頭の中のイメージが、どうやって外にある『赤魔素』に伝わっているかだ」


「え…あ…」


 言われてみれば、その点については全くの盲点だった。母・クレアのために作った魔石のアクセサリー作りのときも、『緑魔素よ、進め(ヴェイ・ザル)』と唱えるだけで威力をコントロールしていた。しかし、どのような過程を経て自分のイメージが外の魔素へ伝わっているのかは分かっていなかった。グレンはただ、なんとなくの力加減を伝えているに過ぎなかったのだ。


「わからないだろう?」


「…はい」


「では、答えを書こう」


『 術者のイメージ + 呪文(スペル) 』 → 『 無魔素 』 → 『 赤魔素 』 → 『 火魔法 』


「──無魔素?」


「そうだ」


 ジャズは地面の文字を指差しながら説明を続ける。


「この空気中には『無魔素』と呼ばれる、属性を持たない魔素が薄く、だが満遍なく存在している。俺たちが唱える呪文(スペル)やイメージは、大気中の無魔素を伝導線にして赤魔素に干渉し、魔法へと変換しているんだ」


「そんな魔素があったんですね」


「そうだ。そして、無魔素に適性がない人間はこの世にいない。誰もが無魔素に影響を与えることはできる。ただ、無魔素のコントロール能力の深さが違う。魔法の能力は、まずどの魔素に適性があるかで決まると聞いたことはあるだろう」


「あ、はい。基本は赤魔素にだけですとか、緑魔素だけですとか、才能がある人は複数の魔素を扱えるとか聞いていました」


「確かに、魔素適性がある魔素の数によって単一適性(シングル・スペル)二重適性(デュアル・スペル)三重適性(トライ・スペル)四重適性(テトラ・スペル)五重適性(クイント・スペル)などと呼ばれる。世間一般では、これが魔法の才能を測る指標となっている。だが、戦闘においては魔素適性ではなく、この無魔素に対する基礎能力のほうが大事になるんだ」


 そう言って、ジャズは地面に『基礎能力』についてのメモを書き足した。


 《基礎能力》

 ・無魔素に影響を及ぼせる範囲

 ・無魔素を動かす速度

 ・無魔素を動かせる精度


「なるほど…でも、俺にはこの基礎能力がどの程度あるのか、わからないですよね」


 ジャズは真剣な表情になり、グレンを見つめた。


「お前には少なくとも影響範囲と精度は、間違いなく頭一つ抜けている。昨日、兵士から魔素弾を撃たれたときに背中で感知してかわそうとした。そして、俺が風魔法で宙へ飛んだときに、目で追うことができずとも俺の位置を把握できていただろう。これだけで、周囲の無魔素を通じて魔法の発動を感じ取る能力が高く、しかもその範囲が広い」


「あ…」


 グレンには、いくつか思い当たる節があった。ジャズと兵士が戦った時も、周囲の魔素の動きがなんとなく追えていた。サバンナで魔獣と戦闘した際も、空高く跳び上がったジャズの動きを感覚で把握できていたのだ。


「お前のそれは才能によるものだ。そして、もう一つが精度だ。例の魔石のアクセサリーを出しな」


「は、はい!」


 ポケットから取り出すと、美しい宝石のような魔石が現れる。


「これは、明らかに風魔法の繊細な操作によってつくられた魔石だ。これが作れるってことは、緑魔素の適性が高いことはもちろん、そのイメージを伝えることができる無魔素のコントロール能力が高いということがわかる」


「なるほど。あの、俺が初めて風魔法を使ったときに、凄い風が吹き荒れたんですが、あれはなんだったんでしょうか」


 ジャズは呆れたような目線をグレンに送る。


「それは緑魔素の適性の高さだな。魔素適性があっても、魔素消費の燃費が悪かったり、出力の上限が低かったりするんだが、グレンの場合は少しの緑魔素から最高位レベルの魔法が放てる可能性がある…ったく、とんだ化け物だぜ」


 ジャズの言葉に、グレンは思わず自分の手のひらを見つめた。泥と擦り傷だらけの小さな手だが、その奥にはとんでもない才能が眠っているというのだ。


(俺に、そんな力が……)


 ふと、アルスたちと語り合った夢を思い出す。


『俺は、緑魔素の風を使って、みんなの役に立つすごい魔法使いになるんだ』


(もし、カノンにあの光が降らなければ、俺はカノンの街に貢献する大魔法使いになってたのかな)


 そう思うと、少し寂しい気持ちになった。そんなグレンを見つめるジャズは、何かを感じ取った様子で、切り替えるように手を叩いて立ち上がる。


「さて、次にお前には赤魔素の適性があるかをチェックしなきゃな」


 そう言うと、ジャズはポケットからログザ魔脈坑で採取されたであろう赤魔素の魔石を取り出し、グレンに手渡した。


「戦闘において、赤魔素適性は必須条件だ。まあ緑魔素だけで戦えなくはないが、正直火力が足りないから、できれば扱えると助かるな」


 グレンは、アクセサリをポケットにしまい、ジャズから魔石を受け取る。赤魔素と緑魔素の適性という話から、ジャズの戦闘スタイルを思い出していた。


「赤魔素と緑魔素の適性があるのなら……ジャズさんと同じように戦えますか?」


 ジャズはにやりと笑いながら答える。


「まあ、確かに赤魔素と緑魔素の二重適性(デュアル・スペル)、しかもお前ほどの基礎能力があれば俺と同じどころか、俺以上の兵士を目指せるさ」


「…なるほど、もし、ジャズさんより強くなれば、奴隷から抜け出せる可能性は上がりますか?」


「それについてはなんともいえねえな。ログザ魔脈坑は今最盛期を迎えつつある。どうしても奴隷需要が高いと、なかなか解放や奴隷市への売り出しにはつながらない」


 グレンの表情が、すっと暗く沈んだ。その落胆を見透かしたように、ジャズが言葉を継ぐ。


「だがな、何もしないよりは間違いなく抜け出せる可能性があがる。その有能さを見抜かれれば、他国の人間に買われるかもしれない。そうしたら、ザイバス共和国を抜け出せば奴隷じゃなくなるからな。それか、共和国軍に引き抜かれる可能性だってある」


 その言葉を聞いて、沈んでいたグレンの表情に微かな期待が浮かんだ。


「ジャズさんは、将来俺が強くなったら軍に引き抜いてくれますか?」


 ジャズは気まずそうな顔をする。


「あ~、俺は現場ではそれなりに偉いが、軍全体で見りゃただの『下士官』……要するに下っ端の親玉に過ぎないんだ」


「下っ端の親玉?」


 ジャズは肩章を触りながら答える。


「ああ。軍隊ってのは士官学校を出たエリートの『士官』様がふんぞり返ってる。あいつらは魔脈坑みたいな泥臭い田舎には滅多に来ない。だから、俺の一存でお前を奴隷から引き抜く権限はねえんだよ」


「そうなんですか…じゃあ引き抜きは難しそうですね」


「いや、今後は鍛え続けて、なにか事件があったりしたときに成果を挙げるんだ。そういう材料があれば、俺がこの魔脈坑から異動になったりして士官と会う機会があれば上奏することだってできる」


「なるほど…事件…」


 しかし、グレンにはいまいち現実味が湧かなかった。いつ起きるかもわからない『事件』での活躍に備えるなど、明日の命すら保証されていない今の自分には、あまりに遠い話に思えたのだ。

 そんなグレンの様子を見て、ジャズはフォローするように続ける。


「まあ、お前の言いたいこともわかる。事件なんてそうそう起こるもんじゃない。だがな、普通の奴隷は何の力も持たず、ただただ搾取され、事件や事故に巻き込まれりゃあっけなく死ぬ。だが、力があれば自らチャンスを掴める。お前はただ死ぬのを待つだけの奴隷じゃない。だからこそ、今から自分を鍛えるんだ」


「自分を、鍛える」


「そうだ、お前には目標があるはずだ。馬車で言ってた、災害に巻き込まれた故郷……助けたいんだろ?」


 そう言われ、グレンは目を細め、魔石を持つ手を握りしめる。


「はい。俺は、カノンに生きて帰らなきゃいけない。カノンを、助けに行かなきゃいけない」


 グレンは今一度気合を入れ直す。


「ジャズさん、改めて、俺を鍛えてください。よろしくお願いします」


「OK、いい気合だ」


 ジャズはグレンが握る魔石を顎でしゃくった。


「さあ、グレン。火魔法を使え。いや、使いこなして見せろ」


 グレンは目を閉じ、魔石に籠る赤魔素の熱を感じ取る。ジャズから教わった『無魔素』を伝導線とする感覚。それを深く意識し、自分の中にある炎のイメージの輪郭をこれまで以上に研ぎ澄ませて、力強く呪文(スペル)を紡いだ。


赤魔素よ、進め(イグ・ザル)!!!」


 ──瞬間。

 グレンの周囲から、夜の闇を焼き尽くすほどの、強烈な赤い炎が噴き上がった。

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