第5話 ログザ魔脈坑
恐ろしい魔獣の襲撃と、その魔獣を瞬殺したジャズの本格戦闘があった日から、さらに数日が経過した。
あの日以降も二度、サバンナの魔獣の襲撃があったものの、すべてジャズが一人で、しかも極めてスムーズに撃退していた。
「いやはや、あんたほどの軍人が今回の護衛を担当してくれて大助かりだよ」
「そうかい」
「いや本当に! 今まで無能な軍人が担当したときは、仕方なく売り物の奴隷を餌にして逃げたりしたもんだ。あんたは軍隊のなかでも上澄みも上澄みだな」
「ほう、そりゃ光栄な評価だ」
グレンは何もできず、声を出すことも許されないが、たまに小窓越しに聞こえてくる奴隷商人とジャズの会話に耳を澄まし、少しでも状況を理解しようとしていた。
暗い檻の中で膝を抱えてうつむきながらも、その全神経を壁の向こうへ集中させる。
(ジャズは軍人なんだ。なんで国の人が商人の護衛なんてしてるんだろう)
カノンにいたときに、街の警備隊や軍人が行商人を護衛したという話は聞いたことがなかった。
疑問に思いながらも、グレンは少しでもこの地獄から抜け出し、カノンを救うヒントはないかと聞き耳を立て続ける。
「しっかし、まさかこの時代に新たな魔脈が見つかるなんてな。それもザイバス共和国史上最大の魔脈だ」
「すごい話だよな。うちの部隊の上の連中も大喜びしてたぜ」
「そりゃあそうだ。軍隊にとって赤魔素なんて必需の燃料だからな」
(魔脈……? カノンで言っていた『魔素泉』みたいなものか?)
「新しく整備された『ログザ魔脈坑』は凄まじいぞ、ジャズ。大地を巨大なすり鉢状に削って、大勢の奴隷が連なって二十四時間作業を続けているんだ。これほど巨大な施設は見たことねえよ。もしかしたら、これがきっかけでうちらがガレア連邦を超えて、連合の盟主になる日が近いかもしれない」
「はは、さすがにそれは言いすぎだろ旦那」
「いやいや、ログザ魔脈坑があれば軍の移動コストが低廉化するし、ザイバスの経済がさらに活発化するのは間違いなしだ。財界の連中も一番期待している国家事業なんだ」
「はーん、なるほどねえ」
基本的には奴隷商人が饒舌に喋り続け、ジャズが適当に相槌を打つという会話が続く。
カノンしか世界を知らなかったグレンにとって、わからない単語だらけではあったが、それでも何か手がかりはないかと必死に脳裏に刻み込んでいく。
「ちなみにログザ魔脈坑は、魔石型なのか、湧気型なのか?」
「もちろん湧気型だ。おかげで加工なしで魔素を採取できるから便利なもんだ。少量の魔石も採れるらしいが、まあそっちは現地の収容所の生活用燃料にされてるらしい」
「なるほどねえ」
(収容所……?)
「しかし、バラックのサイズも大きく、建物数も多すぎてもはや一つの巨大なスラム街になってるんだよ。一気に拡大しすぎて、もはや管理しきれるかってところだ」
「はーん、そういやその話は上から聞かされたな。俺も現着したら、そのバラックの治安維持部隊に合流する予定だぜ」
「ほお、ジャズが合流してくれるなら心強いな」
(ジャズさんは奴隷を監視したり、奴隷商人を護衛する役割として同行してるのか)
「しかし、ログザのおかげで、我々奴隷商会も大助かりだ。近年は魔脈坑の閉鎖が相次いだから、奴隷の在庫がダブついてな。少しでも維持費を取り返すため、使えそうな奴隷は首都アルザルまで運んで一般販売したんだが、それでも赤字だったんだよな。最悪、無償で『奴隷解放』を実施しないといけなくなるんだから、たまったもんじゃない」
「ふーん、なるほどね。ログザ魔脈坑の規模なら、当分奴隷の需要は腐らないってことかい?」
「ぐひひ、そうなんだよ。むしろ供給が不足しているぐらいで大助かりだ。国家事業だから奴隷の補充にじゃんじゃん予算が降りてくるもんで、運べば運ぶだけ売り上げが上がるのさ」
「じゃあ当分は奴隷解放はないのか。たまに解放されて職を求める奴の中から、活きのいい軍人が生まれるんだがな」
「今後三十年はないだろうな」
(奴隷解放は……今後三十年はない……)
それは、グレンにとって死に等しいほどショックな内容であった。
奴隷から抜け出すには、奴隷解放の実施に選ばれるか、奴隷制度のないザイバス共和国外への逃亡しかない。
(隙をみて逃げ出す? でも……どこにいけば……)
だが、グレンはこの大陸の地理について何も知らないどころか、現在地すらはっきりと理解していないのだ。どこへ行けば国外に出られるかもわからない。
逃げ出した後を想像すると、あのサバンナでの放浪生活がフラッシュバックする。食糧と水がなく飢餓感と戦い、狼の群れに囲まれて死にかけた記憶。到底是生き残れるとは思えなかった。この時のグレンは、まだ無力な八歳の少年なのだ。
(無理だ……自力じゃ、逃げ出せない……)
カノンの人々のために助けを呼ぶという目標から、さらに遠のいてゆく。それどころか、グレンの命すら危機的状況に陥っていくのであった。
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窓のない薄暗い檻の中では、昼夜の感覚すら曖昧になる。
支給されるのは、一日に一度、木の器に少しだけ注がれる泥水のような水と、石のように硬い黒パンの欠片だけだった。
折れたグレンの肋骨は、馬車が揺れるたびに鈍い痛みを主張し続けている。だが、それ以上にグレンの心を削り取っていたのは、同じ檻の中にいる大人たちの「目」だった。
誰も喋らない。誰も抵抗しようとしない。ただ、揺れる馬車の床を見つめ、時折すするように薄い呼吸を繰り返すだけ。彼らはすでに、自分たちが人間であることを放棄しているように見えた。
(俺も、あんな風になるのか……)
恐怖を振り払うように、グレンはズボンのポケットの奥底に隠した、色褪せた翠色の魔石を指先でそっと撫でた。それだけが、今の彼を外界の狂気から繋ぎ止める唯一の希望だった。
やがて、風景は赤茶けた平坦な荒野から、ゴツゴツとした岩山が連なる険しい山岳地帯へと変わっていった。
空はもう夕暮れなのか、それとも大気に舞い上がる粉塵のせいなのか、不気味なほど濁った赤色に染まりきっている。
次第に、馬車の外から微かな地鳴りのような音が聞こえ始めた。
──カン、カン、キンッ。
硬い岩を叩く、無数の金属音の重なり。それに混じって、鋭い風切り音と、誰かの悲鳴のようなものが聞こえてくる。
「そろそろ着くぞ、ジャズ、準備を頼む」
「おうよ」
ヒリッチの掛け声に応えたジャズは立ち上がると、グレンら奴隷の首輪と床下と繋いでいた太い鎖の鍵を外し、鎖を回収し始める。
「お前ら、着いたらすぐに降りるよう準備しろ」
馬車が走る速度が落ち、ゆっくり進んでいく。鉄格子窓からは、三階層建ての簡素だが巨大なアパート群が見え始めた。
そして、馬車の車輪の音が聞こえなくなるほど、人通りの足音や喧騒が大きくなり、ツルハシで岩を砕く音や怒号が空間を支配していく。鉄錆、腐臭、糞尿の匂いが強くなり、景色が見えなくとも、明らかにサバンナを駆けていた時とは別世界の地獄へ来たことがわかる。
『そこの奴隷輸送車、ここに停車せよ!』
外から号令が聞こえ、馬車がスローダウンする。
「着いたぞ。ここがザイバス共和国の新しい金脈……『ログザ魔脈坑』だ」
御者台からヒリッチの下劣で嬉しそうな声が聞こえ、馬車はガクンと大きく揺れて完全に停止した。
ガチャリ、と外側から開錠され、檻の重い扉がギギギと音を立てて開け放たれる。
「さあ、さっさと降りろ家畜ども!!!」
外から入り込んできたのは、解放感のある新鮮な空気などではなかった。
喉を直接焼くような強烈な赤土の粉塵と、錆びた鉄の匂い。カンカンと岩を砕く無数のピッケルの音と足音が、耳をつんざくほどの暴力的なボリュームとなって檻の中に雪崩れ込んできたのだ。
「ぐっ……!」
外で待ち構えていた、ジャズと同様の軍服を着た見張りたちが、長い革鞭を空中でパンッと鳴らして怒鳴り散らした。
奴隷たちは首に鉄の輪をつけられたまま、手枷を数珠繋ぎにされて外へと引きずり出される。
飢えと渇きで足元がおぼつかないグレンもまた、前の大人の奴隷に引っ張られるようにして、よろめきながら荷台から地面へと転げ落ちた。
「げほっ、ごほっ、ごほっ……!」
肺いっぱいに赤土の粉塵を吸い込み、激しくむせる。
目を開けていられないほどの砂埃の中、痛む目をこすりながら顔を上げたグレンの視界に飛び込んできたのは、八歳の少年がかつて見たことも想像したこともない、巨大な『絶望の穴』だった。
「なんだ、これ……」
すり鉢状に何百メートルも深く、深く掘り下げた巨大なクレーター。
その蟻地獄の巣のような急斜面のあちらこちらに、無数の黒い横穴が開いている。そして、その斜面を埋め尽くすようにして、何百、何千というボロ布を纏った奴隷たちが蠢いていた。
彼らは自分の体ほどもある巨大な岩の塊を背負い、あるいは木製の粗末なトロッコを押し、ふらふらと、しかし決して歩みを止めることなく斜面を上り下りしている。
少しでも足が止まれば、容赦なく見張りの鞭が背中を打ち据える。
岩肌のあちこちには、ドクドクと脈打つように、不気味な赤い光を放つ魔石の結晶が、まるで大地の血管のように露出していた。
むき出しの魔石が放つ異常な熱気と、吹き荒れる赤い砂埃。まさに、ここは生きた人間をすり潰す地獄の釜そのものだった。
グレンが見つめるその先、クレーターの稜線の際で、採取瓶が入った木箱を積んだ手押し車を押していた老人が、体力が尽きたのか力なく倒れこむ。
「おいコラ! 誰が休んでいいと言った!」
「ひぃっ! す、すみませ――ギャアアッ!」
見張りの男が駆け寄り、倒れた老人の背中に容赦なく鞭を振り下ろした。一度、二度、三度。肉が裂け、血が舞う。老人はすぐに動かなくなり、ピクピクと痙攣するだけになった。
「チッ、また使えねえゴミが混ざってやがった。おい、そいつを魔石炉で処分しておけ」
「へい」
見張りの横にいた奴隷が指示に従い、まるで石ころでもどかすように、動かなくなった老人の足を掴み、そのままどこかへズルズルと引きずっていった。周囲で働いている奴隷たちは、誰一人としてその光景に目を向けようとしない。ただ黙々と、自分の荷車を押して運び続けている。
(……殺される。ここでは、本当にただのモノなんだ……)
グレンはガタガタと震える体を必死に抱きしめた。
馬車横に整列させられ待たされていたグレンたち。その時、奴隷のバラック街のほうから、ジャズの軍服を少し豪華にしたかのような服を纏った男が、完全武装の兵士を何人か引き連れてやってきた。
「おい、所属と定員数を教えろ」
すると、ヒリッチはへこへこと頭を下げ答える。
「バジャルマ商会所属、ヒリッチと申します。定員数は十人であったのですが、列の一番後ろにいるやつについて、道中で捨て子を拾い、十一人となっております」
「捨て子だと……?」
「恐らく、近隣の村の口減らしかと」
「ふーむ、しかし道中となるとサバンナ地帯か? あの危険地帯には人里なんてないはずだが」
その男はジロリとグレンを探るように見つめてきた。品定めをするような恐ろしい視線に、グレンは立ちすくみながらも男を見つめ返す。
「……ふむ、まあよい。では、特別に一人分増やした報酬を支払おう」
「はは〜っ、ありがとうございます」
ヒリッチはニヤニヤしながら深く礼をする。
「奴隷の輸送、ご苦労であった。明日ここを出立すると思うが、ここまで護衛を行ったジャズ・バルドー曹長は本日よりログザ魔脈坑治安維持部隊へ配属となる。代わりに、再配属のため首都アルザルへ戻る奴隷警察をつける。本日はゆっくりと休まれよ」
「ははっ、ありがたき幸せ」
そう言うと、ヒリッチは報奨金がたっぷり入っているのであろう重い革袋を受け取り、奴隷たちの枷と鎖をつなぐ複数の鍵をその軍人へ渡した。
そして振り返りもせず、奴隷たちの収容所とは反対側にある、高く物々しいフェンスに囲まれた『兵舎・ホテル地区』へと歩いて行った。
フェンスの向こう側は、街路樹が整備され、赤魔素の美しいランタンが煌々と道を照らしている。ヒリッチが向かったのは、特権階級の大人たちだけが許された、安全で清潔な世界だった。
ヒリッチを見送った軍服の男は、こちらに向き合うと、ジャズに挨拶する。
「ジャズ・バルドー特務曹長。よく来てくれたな」
「わざわざ出迎えありがとうございます、キース准尉。噂通り砂埃とクソの匂いがきつい職場ですねえ」
ジャズが背中のライフルを揺らしながら歩み寄ると、准士官はひどく疲れたように額を揉んだ。
「それだけじゃない、このスラムの有様を見てくれ。ただでさえ収容人数がパンクしている上に、治安維持が行き届いていないから、バラックの奥じゃあ暴動の一歩手前だ。組織内の腐敗も進み、もはや俺たちの手にも負えん。本当は士官クラスが来てくれりゃあいいんだが、こんなとこに来る好きもんはいない。あんたの腕が必要だ、ジャズ曹長」
「はあ、やれやれ、手のかかる赴任先ですね」
「本当に申し訳ない。とりあえず、今日はゆっくり休みたまえ」
「了解です」
ジャズは短くため息をつき、軽い返事をすると兵舎があるフェンスの向こうへと消えていった。
残されたキース准尉が、引き連れていた部下たちに顎でしゃくった。
「さて……こいつらを第十三バラックへ放り込め」
残されたグレンたちは、完全武装した兵士たちに魔素銃を突き付けられつつ、フェンスの反対側──明かりのない巨大なバラック街へと引きずり込まれていく。
そこは、まさにこの世の地獄だった。
迷路のように入り組んだ粗末なレンガ造りのバラックとと呼ばれる建物、そして建物と建物の間の通路やドア先に設置されているボロ布を張っただけのテント。
フェンスの向こう、兵舎がある煌びやかな区画とは対照的に、ここは一切の光がなく、むせ返るような死臭と糞尿の匂いが充満している。
武装した兵士たちが数人がかりで巡回しているにも関わらず、暗がりからは絶えず奴隷同士の殴り合う音や、狂ったような叫び声が響いていた。治安を維持する兵士たちの手は、明らかに足りていない。あちこちに転がる病死体や殴り殺された死体には、誰も見向きもしなかった。
兵士に鎖を強く引っ張られ、グレンらは奥地の三階建ての、しかし壁は罅だらけのレンガ造りの建物に連れていかれる。中に入ると、鉄格子で仕切られた部屋がいくつもあり、空いた牢があれば片っ端から放り込まれていく。
「お前はここだ」
「…ぐふ!?」
そして、ついにグレンも首根っこを掴まれ、空いた牢に投げられる。ずさっと音を立てて倒れこみ、脇腹を抑える。
鉄格子の扉が乱暴に閉められ、兵士から隙間越しに鈍色の『鍵』が投げつけられた。
「痛!?」
「ふん、今後はこの牢の鉄扉はお前が管理するんだ、死にたくなければな」
そう言い残し、兵士は立ち去って行った。
与えられたのは、部屋などではない。ただの大部屋のなかに作られた鉄格子の仕切りにすぎない。視線を遮る壁など一切なく、周囲の檻からこちらを見つめる無数の視線を肌で感じる。
「う、あ……」
兵士が足音を立てて去っていくと、周囲の暗がりから、骨と皮だけになった何十人もの奴隷たちの、ギラギラとした飢えた目が一斉にグレンに向けられた。
狂気と絶望が支配する、最底辺の吹き溜まり。
(俺、ここで、生きていけるのか…?)
壁に背中を預けた八歳の少年は、震える体を泥だらけの腕で抱きしめ、ただ歯の根が合わなくなるほどの激しい戦慄に包まれていた。




