第3話 奴隷商人
──────ガタゴト、ガタゴト。
規則的な木の軋む音と、体を揺する一定の振動。
(……ん、なんか、揺れてる……?)
気絶していたグレンは、泥のような深い眠りから徐々に意識を取り戻す。
全身を苛むような熱は幾分か引き、ひび割れていた唇には微かな水分の名残があった。倒れる直前、誰かが自分に水を与え、助けてくれたのだ。
(ここは……馬車のなか……?)
重い瞼をなんとか開けると、視界に入ったのは埃っぽい木製の天井だった。
折れた肋骨の痛みに顔をしかめながら、なんとか上体を起こし、ぼやけた視界で周囲を見る。
「……ぅ」
「………はぁ」
「……」
(え……こ、これは!?)
慌てて混乱しながら周囲を見渡す。その馬車内には、8歳のグレンにとってはあまりにも衝撃的で、不気味な景色が広がっていた。
馬車にしては広すぎる箱。わずかに日の入る小窓には太い鉄格子が嵌め込まれており、出口らしき重厚な扉には、外側から頑丈な南京錠がかけられている。
目が薄暗闇に慣れてくるにつれ、酷い悪臭――何日も洗っていない獣のような汗と排泄物、そして血と膿の混じったような生臭い匂いが鼻を突いた。思わず吐き気が込み上げる。
馬車の荷台には、グレン一人だけではなかった。
薄暗い檻の中には、ボロ布を纏った10人ほどの人間が、身を寄せ合うようにして壁際にもたれかかっていたのだ。
肋骨が浮き出るほど痩せこけた大人の男、うつむいてガタガタと震え続ける女、そしてグレンと同じくらいの年の、ひどく汚れた子供たち。
だが、誰一人として口を開かない。彼らの目は一様に濁りきり、まるで魂が抜け落ちたかのように、何の光も宿していなかった。
──ジャラッ。
グレンが彼らに声をかけようと身動きをとったその時、冷たくて重い、不吉な金属音が薄暗い空間に響いた。
「え……?」
グレンは自分の首元に手を触れた。
そこには、皮膚が擦り切れるほど分厚く冷たい『鉄の輪』が嵌められていた。ご丁寧に太い鎖が繋がれており、その鎖の先は、馬車の頑丈な床の金具にしっかりと固定されている。
首だけではない。両手首と両足首にも、動くたびに擦れて痛む鉄の枷が嵌められていた。
「な、なんだこれ……どうして……?」
よく見ると、周囲にいた生気のない人々の首や手足にも、グレンと全く同じように重々しい鉄の輪が嵌められていた。擦れた皮膚からは血が滲み、黒く変色している者もいる。
助けてもらったはずなのに、なぜ自分は鎖に繋がれているのか。
「おう、目が覚めたか」
ふいに、御者台側の扉を塞ぐように座っている男がグレンに声をかけた。
男は、茶けた革靴と革パンツ、首に赤のネッカチーフを巻き、つば広の帽子を深く被っている。後ろ髪を肩まで伸ばし、顎には無精ひげ。そして、まくった袖から覗く太い腕には、いかつい獣の入れ墨が入っていた。
その男の背中には、鈍く光る銃身の長い『魔素銃』が背負われており、服の上からでもわかるほど筋肉質な体格をしていた。
(軍人……? カノンの警備隊みたいな人……?)
「ようこそ坊主。俺たちの旅の仲間入りだな」
男は、ニヤリと片方の口角を上げて嫌な笑みを浮かべた。
「あ、あの……」
グレンは鎖のことや、この状況について何かを聞かなければと声を出すが、あまりの異常事態に意識が引っ張られ、上手く言葉がまとまらない。
「あ~坊主、なにか聞きてえことがあるかもしれねえが、声を出せるのは今のうちだぜ」
「え……?」
グレンは男の言っていることがいまいち理解できなかった。なぜ今しか喋られないのかわからないのか疑問に思いつつも、カノンの異常を伝えることが先決だと判断したグレンは、慌てて捲し立てるように声を張り上げた。
「あのっ、僕の故郷がいま大変なことになっているんです!! 見たことがない真っ白な光が街を飲み込んで、建物が全部崩壊して……父さんも母さんも、みんな埋まってるかもしれないんです! とにかく、大変なんです! はやく助けに行かないと!!!」
グレンの話を聞いた男は少し驚いた顔をしてグレンを見つめる。
「お、おおう。今の状況について確認しねえのか…」
「今の状況…そんなことどうでいいです! カノンが、僕の故郷が大変なんです、光が街を飲み込んだんです!」
「光? ふーん。坊主の故郷はどこなんだ」
「カノンです! 山の奥にある中立都市国家カノン! 聞いたことありませんか!?」
「……カノン? んー。聞いたことねえな」
男は顎の無精ひげを撫でながら少し考えると、何か思い出したかのような顔をした。
「ああ、カノンっていやぁアレか。この国の、ずっと東部国境の端っこにあるっていうちっぽけな街か……? 噂程度に聞いたことはあるな」
「ほんとですか!」
初めて会った大人が、カノンを知っていたことにグレンは希望を見出す。これなら、助けを呼べるかもしれない。
「お願いします! 早く救援を、偉い人に言って救援を呼んでもらえませんか! 俺の家族を、友達を、みんなを助けてください!」
鎖を鳴らし、必必死に頭を下げるグレン。しかし、男は面倒くさそうに息を吐き出した。
「んあ〜、まあ、坊主の故郷が何かデカい災害にあったっぽいのはわかった。だがな〜、あんな山脈の山間にある街にすぐ救援を送るってのは無理な相談だぜ。行商人すら夏場の短い期間しか出入りしねえ孤立した都市だったはずだ」
男はそういうと、深くため息をついて続ける。
「しかも、あそこはな、うちの国が軍や救援隊を出せねえ場所なんだよ」
「だ、出せないって、どうして……っ」
「国境スレスレの街に救援なんて出したら、ファルサス王国を刺激して『戦争』になっちまう」
「せ、戦争?」
カノンという外界から隔絶された平和な街で育ったグレンは、世界情勢のことなど何も知らない。男が何を言っているのか、この時のグレンには全く理解できなかった。
「ここはザイバス共和国だぜ、坊主。ファルサス王国へ抜ける唯一の道上にあるのがカノンって街だったはずだ」
グレンは男が言っていることの意味はわからなかった。だが、救援を出すことが難しいというのは理解し、再び絶望を感じる。
「そんな……お願いします! 助けを、助けをお願いします!!」
「おいおい、そんな叫んだら…。それに、お前の今の立場じゃあ、誰かに助けを呼ぶなんて逆立ちしたって無理な話だ」
男は、可哀想な者を見るような、ひどく冷めた目でグレンを見下ろした。
「なんで俺の立場じゃ……とにかく助けを!!」
「『奴隷』なんて、本来は発言権すらねえ家畜なんだからな」
「『奴隷』……?」
グレンの聞いたことがない単語。『奴隷』。
カノンには存在しなかったその言葉の響きに、グレンは戸惑いながら尋ねる。
「『奴隷』っていうのはいったい…この鎖に繋がれているのと関係が…」
「まあ、国外から来たら奴隷を知らないよな。奴隷ってのはな――――」
「おい! いつまで喋ってんだクソガキ!!」
ガラッ、と荷台と御者台を繋ぐ壁の小窓が乱暴に開き、そこから日焼けした顔の男が中を覗き込んできた。グレンが倒れる寸前に見た男だった。
「あ、あなたは……! 倒れてた俺を助けてくれた方ですよね! ありがとうございまし――――」
「おいジャズ、この五月蝿えクソガキを黙らせろ」
「あいよ」
先ほどまでグレンと世間話をするように会話をしていた男――ジャズが、表情を一切変えることなく背中の魔素銃を手に取り、その重く硬い木製の銃床をグレンの顔面へと振り上げた。
「寝てな、坊主」
──────ドガッ!!
「────カハッ」
鈍い音と共に、グレンの鼻柱に強烈な衝撃が走った。
視界が弾け、脳が激しく揺らされる。グレンは鎖がぶつかり合う凄まじい音を立てて、汚れた床へと無様に崩れ落ちた。
痛みを認識する間もなく、グレンの意識は再び深い闇へと沈んでいく。
薄れゆく意識の淵で、小窓から覗いてきた御者の男が、ニヤリと黄ばんだ歯を見せて笑う声だけが聞こえた。
「命の恩人に感謝するってなら、その元気な体でしっかり稼いで返してもらうぜクソガキ。我がザイバス共和国が新しく見つけた赤魔素の『魔脈坑』にな。あそこはいくらでも人手がいるからな。お前みたいに魔獣の出る荒野を生き抜くガッツのあるガキなら、いい商品になる」
「ったく、旦那。こんな死に損ないのクソガキ拾ってどうするんだ? 見たところ肋骨もイッてるし、すぐに死ぬんじゃねえか」
「いやいや、共和国軍もいきなり魔脈坑の奥底には送らねえだろ。手前の作業場ですら、今は人手が足りてないんだ。簡単に奴隷をすり減らすわけにはいかねえはずだから、こんなガキでも換金できるはずだ。……まあ、怪我が治り次第、すぐに最奥地の地獄に行くだろうがな。がははっ!」
ピシャリ、と無情な音を立てて小窓が閉められた。
再び薄暗くなった檻の中。馬車の揺れる音と、鎖の鳴る音だけが虚しく響く。
8歳の少年は、大人が子供を助けるというカノンの常識が通用しない、理不尽で残酷な世界へと完全に引きずり込まれたのだった。
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