絶対零度の貴公子と逃れられない睡魔?
水槽の前のベンチで、サナが一人、静かに魚を眺めていたときだった。
「……あれ、可愛いお姉さん、一人?」
背後から、軽薄な声が響いた。
振り向くと、へらへらと軽そうな男が三人。揃って距離が近い。
「それならさ、俺たちと一緒に回らない?」
「暇なんだよねー」
サナはすぐに立ち上がり、はっきりと告げた。
「ごめんなさい。今、彼氏を待ってるので」
けれど、その言葉は軽く笑われただけだった。
それがちょっと、ムカついた。
「えー? でも、さっきから一人じゃん」
「今のうちに遊ぼうよ」
「……だから――」
腕を掴まれ、引かれそうになった、その瞬間。
「――そこで、何をしている」
低く、底冷えするような声が、水族館の空気を切り裂いた。
「……っ」
サナが息を呑む。
振り返った先にいたのは、戻ってきた羅那だった。
けれど、いつもの柔らかな雰囲気は、どこにもない。
「もう一度言う」
一歩、男たちへ近づく。
視線は冷たく、感情が削ぎ落とされたような瞳。
「俺の彼女に……何をしようとした?」
その瞬間、男たちは本能的に悟った。
――これは、関わってはいけない相手だ、と。
「……っ、わ、悪かった!」
「失礼しました!」
三人はほとんど転げるように逃げていく。
それでも羅那は、彼らの背中が完全に見えなくなるまで、じっと睨みつけていた。
「……羅那、くん」
呼びかけても、反応がない。
張り詰めた空気が、まだ彼の周りに残っている。ならばと、サナは行動に移した。
「……とうっ」
ごつん、という鈍い音。
「あうっ……!? さ、サナ……?」
突然の頭突きに、羅那は目を瞬かせた。ぶつかった所を擦りながら。
「……戻った」
サナは、ほっと息を吐く。
「元の羅那くんだ。よかった……」
「え……俺……いや、僕……?」
困ったように笑うその顔は、いつもの彼だった。
「ちょっと……さっき、怖かったよ。こう……キッてかんじで」
「……あっ……ごめん」
羅那は小さく頭を下げる。
「ねえ、羅那くん……やっぱり、無理してるでしょ?」
「いや……うん、そうかも。で、でもね? せっかく……サナと来たのに……」
名残惜しそうな声に、サナは苦笑して彼の頭を引き寄せた。
「はいはい。膝枕」
「……え?」
抵抗する間もなく、羅那の頭はサナの膝の上に収まる。
「とんとん……」
背中を優しく叩かれて、数分もしないうちに。
「……すぅ……」
「……ほんとに、限界だったんだね」
眠る顔を見下ろしながら、サナはそっと微笑んだ。
そのまま彼女自身も、いつの間にか意識を手放してしまっていた。
――閉館アナウンスが流れるまで。
「……ごめん……!」
目を覚ました羅那は、勢いよく頭を下げた。
「ほんとに、ごめん! せっかくのデートなのに!」
「もう、いいよ。大丈夫」
サナは穏やかに笑う。ちょっと、羅那の意外な面をたくさん見れたのは、サナにとっても収穫だったように感じる。それに。
「羅那くん、ちゃんと元気になったから、それだけで充分だよ」
「……でも」
羅那は言葉を探すように、視線を彷徨わせてから。
「……守れて、よかった」
ぽつりと落ちた本音。それは、先ほど、ナンパな男達からサナを守ったことを指していた。
「……うん。それは……すっごく嬉しかった」
その言葉に、羅那は少しだけ、ホッとしたような笑みを見せた。
一瞬の沈黙。
そして、羅那はゆっくりとサナに近づいていく。
「……サナ」
羅那に名を呼ばれ、サナの胸が小さく跳ねる。
「さっきは、眠くて変だった。でも……」
ほんの少し、躊躇ってから。
「……今は、目、覚めてる」
「……なにを?」
問い返す前に、距離が詰まる。
触れるか触れないか、ぎりぎりのところで――
唇が、そっと重なった。
一瞬だけ。
確かめるような、浅いキス。
「……っ」
離れると、羅那は少し照れたように笑った。
「……ごめん。どうしても」
「いいよ……羅那くんなら許しちゃう」
サナは恥ずかしそうに頬を染めて、笑顔を見せてくれた。
眠気に負けた、少し不格好なデート。
それでも――
確かに、二人の距離は縮まっていた。
次に会うとき、彼が何を差し出すつもりなのか。
サナはまだ、知らない。




