斬れない理由はきっと
夜の冷気が街を薄く包み込む。
羅那は一人、人気の少ない森道を歩いていた。
いつもの黒い戦闘服にミラーシェードを付けて、腰にはあの魔双剣カルディトゥスを携えて。
それでも……胸の奥が、さっきから妙にざわついている。
サナの前では平気なふりをしたけれど、本当は落ち着かない。
胸の奥で何かが呼吸するように、規則的な脈とは別の『拍動』が微かに続いている。
(……また、これか)
それが何かは分かっている。そう、羅那の中にある『災厄』だ。
そして……これほど、気が進まない妖魔退治はなかった。
「気のせい……か」
だからこそ、駆け出すこともなく、歩いていたのだ。まるで、自分の足で現場に向かう覚悟すら、まだ決まっていないかのように。
前の自分であれば、すぐに駆け付け、相手を滅していたというのに。
『マスター、敵を捕捉しました』
「わかった。データを送ってくれ」
衛星から流れて来るデータを見て、ため息が出る。
「戦いは終わったのではないのか……」
なぜそのような言葉が出るのか。第一、あの時、災厄を倒す時、アークが魔王のことを『いとし子』と言った。その言葉が胸に引っかかったまま、ずっと疼いている。でも……本当はそれだけじゃない。
「もしかして、魔王様?」
「えっ……」
羅那のことを見つけて、妖魔は近づいてきた。少年と言うべきか、妖魔は喋れる個体のようだ。
喋れる妖魔は珍しい。その事実が、羅那の迷いをさらに深めた。
「わあ、魔王様だーー!! こんなところにいたんだっ!! ねえねえ、魔王様、一緒にぼくらの国に帰ろう!」
「国にって……もしかして、妖魔の国、なのか?」
「そうだよ! どうして、魔王様はここにいるの?」
その純粋な無邪気な言葉に、返す言葉を羅那は持っていなかった。
「それは……」
倒さなくてならない相手だ。人を殺すかもしれない相手。
なのに、なぜ、こんなにも剣を振るえないのか。
その柄にさえも触れることが出来ない。
「魔王様?」
人と限りなく似ている。
そういえば、あのとき倒した妖魔は……人のように感じられた。なのに……。
「……」
ミラーシェードで覆われた下では、悲痛な表情を浮かべていた。それがこの子に伝わらないのが幸せなように感じた。
「お前は……人を襲うのか?」
「魔王様がいうなら、襲うよ! だって、人間は、ぼくらの『ごはん』だもん!!」
その言葉で、羅那の気持ちは決まった。
相容れない相手だ。妖魔は……。
きょとんとする少年のような妖魔を消すのは本意ではないが。
気づかれないよう、そっと剣の柄に手を置き、そして……。
「駄目ッ!!!」
ざしゅっと切り裂いたのは、少年妖魔ではなく。
「ヴェルメリアっ!?」
その羅那の言葉に、ヴェルメリアは優しく微笑む。その額には汗が浮き出ていた。少年妖魔を庇う様に前に出て、胸を切り裂かれて。
「今、助ける!!」
どうして、助けたのかはわからない。けれど、羅那はそれが当然だと感じていた。
最強の回復魔法で、ヴェルメリアの傷をなかったことにした。
彼女が倒れる姿を想像しただけで、胸が冷たく締め付けられたのだ。
――そんな感覚は、これまで一度もなかった。
「大丈夫か……?」
そう尋ねる羅那の声が震えているのが分かった。
ヴェルメリアを失いたくないと、心から思ってしまった。
――なぜ?
答えのない疑問を胸に抱きながら。
「助かりましたわ。流石は……羅那様ですわね。お陰で傷もなくなりました」
「凄い凄い!! ヴェルメリアの服も直ってる!!」
少年妖魔が無邪気にそう言うのを、羅那は安心したように笑みを浮かべていた。
「羅那様。この子は私が預かりましょう。きっと迷って出てきてしまったんでしょう。さあ、帰りましょう」
「でも、魔王様は……いいの?」
その少年妖魔の言葉に、ヴェルメリアは笑顔で何も言わずに抱きしめた。
――ずきり。
「羅那様……あなた様の手を煩わせるほど、愚かなことはしませんわ。ですが……」
ヴェルメリアは告げる。
「羅那様。どうか――ご自身の変化に、早く気づいてくださいませ」
「変化……?」
「またお会いできますわ。すぐに」
その声音は、確信めいていて。
ヴェルメリアの紅い瞳が、意味深に細められる。
次の瞬間、彼女の足元の影が波打ち、闇に溶けるように姿が消えた。
静寂が戻る。
羅那は胸を押さえ、深く息を吸った。
(……結局、あの妖魔を、斬れなかった)
理由がわからない。
でも、胸を締め付けるような不安だけが残る。
風が吹き抜け、羅那の肩をさらった。
その冷たさが、どこかで聞いた声の余韻を思い出させる。
――ご自身の変化に、早く気づいて。
「……違う。僕は……何も変わってなんか……」
否定の言葉は、夜へ溶けていった。その声が、自分のものではないように感じた。
羅那はふらりと森を後にする。
小さな足音の影に、胸の痛みを抱えたまま。




