いつになく陽気な水族館デート
そして、約束のデートの日を迎えた。
サナは、いつもより少し早めに家を出て、待ち合わせの駅前に来ていた。
「結局……あれから返信、来なかったけど……羅那くん、大丈夫かな……?」
スマートフォンを握りしめたまま、そわそわと落ち着かない。
腕時計を見て、周囲を見回した、次の瞬間。
「あっはぁ……サナ、見つけた」
背後から、突然、ぎゅっと抱きしめられる。
息がかかるほど近い距離。甘くて、少し熱のある声。
「……え?」
一瞬、誰か分からず固まったサナだったが、その声にすぐ気づく。
「ら、羅那くん……?」
「ああ、生サナだ……生き返る……」
いつにも増して、やけにテンションが高い。
そのまま、離れる気配もなく、ぎゅうっと抱きしめられたまま囁かれる。
「ごめんね。ずっと返事出せなくて、ホント地獄かと思った。実は、ずっと会社で缶詰だったから……」
「……缶詰?」
聞き返すと、羅那はくすっと笑って、ようやく腕を緩めた。
「逃げ場なし。仮眠もろくに取れなくてさ。でも――」
にこっと、やけに眩しい笑顔を向けられる。
「今日のサナ見たら、全部報われた気がする」
「も、もう……」
羅那の褒め言葉に頬が熱くなる。
けれど、妙に距離が近いままなのと、その笑顔の裏にある疲労が、少しだけ気になった。
「今日も、とびきり可愛いね。ちゃんとおしゃれしてくれたんだ。すごく嬉しい……」
「うん……まあ、デートって言ってたし。それに、前に付き合ってた彼氏も、おしゃれしたら喜んでくれたから」
その瞬間だった。
「……前に、付き合ってた彼氏」
低く、静かな声。
空気が、ひやりと冷えたような感覚に、サナは思わず背筋を震わせる。
「えっ……あ、えっと……」
「……」
一瞬の沈黙。
けれど、次の瞬間、羅那はいつもの柔らかい声に戻っていた。
「そっか。じゃあ、今は?」
「い、今は……羅那くん、だけだよ? それに、羅那くんも、その服すごく格好いいし!」
黒い上着に黒いパンツ。全身黒コーデだが、線が綺麗に出るお陰かで、どこか大人びて見える。
その言葉に、羅那はぱっと機嫌を直したように笑った。
「ふふ、ありがとう。急いできたから適当に選んじゃったんだけどね。じゃあ、水族館行こうか。藤森水族館ってところ」
「3駅先のところだよね。楽しみ」
自然な流れで、手を取られる。
そのまま改札へ向かい、二人並んで電車を待った。
電車の中は、そこそこ混んでいた。
揺れる車内で、羅那は無意識のようにサナのすぐ隣に立ち、手を離さない。
「……羅那くん、なんかいつもよりハイじゃない?」
「そうかな?」
首を傾げて、少し考えるようにしてから答える。
「あー……無茶な仕事をハイスピードで終わらせたから、その反動かも。昨日やっと形になってさ。でも、3時間くらいは寝れたよ」
「……3時間?」
「うん。一週間貫徹よりはマシでしょ」
「全然マシじゃないよ……」
思わずそう言うと、羅那は楽しそうに笑った。
「でも、その分、今すごく幸せだから大丈夫」
そう言って、指先を絡めてくる。
眠いはずなのに、離れようとしない手に、サナは何も言えなくなってしまった。
やがて、水族館の最寄り駅に到着する。
改札を抜け、館内へ向かう途中。
「チケット、僕が買うよ」
券売機の前で、羅那はサナを庇うように一歩前に出る。
背後にぴったり立たれて、少し驚いた。
「ら、羅那くん、近い……」
「混んでるからね……サナ、離れると危ないし」
そう言いながら、周囲をちらりと見渡す視線が鋭い。
列に割り込もうとした男性が、その視線に気づいたのか、何も言わずに引き下がった。
「……今の、なに?」
思わずサナが呟いた。
「え? 何かあった?」
羅那は、何も気づかなかったといわんばかりの、きょとんとした顔を見せてきて。
聞き返されて、サナは首を振った。
「ううん、なんでもない」
チケットを受け取り、入館する。
ひんやりとした空気と、静かな水の音が二人を包み込んだ。
そして、今。
いつになく陽気な羅那とサナは、水槽の前に並んで立ち、ゆったり泳ぐ魚たちを眺めていた。
「羅那くん……魚を見ないで、私ばっかり見てない?」
「えっ、そんなことないよ。ほら、あの魚も綺麗」
そう言いつつ、視線はやっぱり、サナに向いている。
「……」
じっと見つめると、サナははっきり言った。
「羅那くん、すっごいクマできてるし、ちょっと眠そう!」
「……嘘? 本当?」
そのサナの指摘に、焦ったように目元を押さえる。
「鏡、見てないでしょ。顔、洗ってきた方がいいよ」
「……そ、そうだね」
苦笑して、羅那は頷いた。
「ちょっと洗面所行ってくる。ここで待っててくれる?」
「うん。このベンチで待ってるね」
足早に去っていく背中を見送りながら、サナは一人、水槽の前に腰を下ろした。
――楽しい。
けれど、それ以上に胸の奥が、ほんの少しだけ、ざわついている。
静かに揺れる水の中で、魚たちは何も知らない顔で泳いでいた。




