ヴェルメリアとの邂逅
深夜を迎える。
家の中は静まり返り、外では風が低くうなっている。
羅那は寝台の上で眠れぬ夜を過ごしていた。
どうしても、眠れない。
身体の内側で、冷たい糸がきしむように張り巡らされている感覚が、ずっと続いていたのだ。
キィンと、頭の奥で、何かを感じた。ピリリとした何かを。
(……また、だ)
自分の脈とは違う、異なる脈動……いや、これはサナの抱えていた、自分の奥底に封印した災厄の力に他ならない。
そのたびに、心が一瞬だけ凍りつく。あのとき、カフェで見せたあの、凍り付くような無表情な様子を。
そして……視界の端が僅かに暗く塗りつぶされる。
「……はぁ……」
羅那は額を押さえ、深く息を吐く。
熱があるわけじゃない。
ただ、確かな体の感覚がズレていくような気配がした。
と、次の拍動とともに、部屋の空気が一気に冷えた。
「外、か……?」
思わず起き上がり、カーテンを開き、窓の外を見つめた。
その奥から、呼ばれた気がしたからだ。
――羅那はそれを拒めなかった。
いつの間にか服を着替え、靴に履き替え、外に出ていこうとする。
そのいずれかも羅那の意志がそこにはない。
記憶の断片が抜け落ちている――『誰か』に誘導されているようだった。
玄関の扉が開く瞬間、世界がゆっくりと揺れた。
夜の空気はひどく冷たく、息を吐くと白く散った。
足は勝手に、街外れの小さな森へ向かっていた。
月は薄曇りに隠れ、森は影だけで形作られている。
木々が揺れ、その葉音だけが響いているように感じる。
その先に……黒い水溜りのような闇が、じわりと広がっているのが見えた。
羅那はそこで、ようやく足を止める。
闇の縁から、誰かが立ち上がるように、ゆっくりと人影が浮かび上がった。
「……こんばんは、羅那様」
囁きは甘く柔らかい。その声は女性の声だった。
だが耳に触れた瞬間に、心を締め付ける冷たさが走った。
羅那は振り返り、立ち去ろうとした。
しかし身体が言うことを聞かない。
足元の影が、羅那をしっかりと固定しているかのように。
闇から現れたのは――美しい妖艶な女性だった。
白磁のような肌、夜光を帯びた長い黒紫の髪、深い赤紫の瞳。
衣のようにまとった黒い影が、風もないのに揺らめく。
夜風が止み、森のすべてが一瞬だけ息を潜めた中で、彼女はゆっくりと優雅に歩み出る。
――ヴェルメリア。
その名は知らないはずなのに、羅那の胸の奥に直接響いた。
「やっと……やっと、あなた様に触れられる」
女は手を伸ばした。
細くしなやかな指が、羅那の頬へ触れようとする。
触れる前から、肌がひやりと震えた。
「サナの隣で、笑っていましたわね。でも、羅那様……もう、気づいてるはずではありませんか?」
ヴェルメリアの唇が微かに笑う。
「――あなた様の中に、別の『音』が混じりだしていることを」
胸の奥にずきりと痛みが走る。
羅那は思わず胸を押さえた。
「……やめろっ……何を、言って……」
「嘘は、つきませんわ。だって私は――あなた様の『本来の姿』を見ているのですから」
「本来の……姿、だと……?」
ヴェルメリアは一歩近づき、羅那の顔を覗き込む。
赤紫の瞳が、羅那の瞳の奥と重なり、何かを引きずり出すように揺らす。
「羅那様、最近……自分でも変だと思っておりませんか?」
羅那の背筋が凍る。
カフェの時で見せた『無表情』が、脳裏にちらついた。
「ねえ羅那様。あなたは、もっと――『完全』になれるのです」
囁きは甘い。
だが、その奥底には底なしの欲望があった。
「サナは、まだ気づいていないけれど……あなた様はもう、あの子の隣にいるだけの存在ではありませんのよ」
羅那の呼吸が乱れる。
足が震え始める。
影が、まるで抱きしめるように彼女の足元から伸びていく。
「来るな、やめろっ……」
羅那の掠れた声が漏れる。
その瞬間、ヴェルメリアがそっと羅那の顎を持ち上げた。
「怖がらないでくださいまし。これは『始まり』にしかすぎませんわ」
ヴェルメリアの両目、見透かすような赤紫の瞳が、夜の中で妖しく輝く。
「あなた様は、私に呼ばれた。そして――応えてくださった。もう、目を逸らすことはできませんわね……羅那様」
その言葉を最後に、羅那はそのまま崩れるように気を失い、ヴェルメリアはとても愛おしそうに羅那を抱きとめた。
「ようやく、あなた様にお会いできましたわ。私達を導いてくれる、我が『魔王』様……」




