蝕む瘴気と美しき妖魔
午後の昼下がり。
街路樹の間を抜ける風は、少し冷たく、秋の終わりを告げるようだった。
そんな中、羅那は取引先との打ち合わせを終え、鞄を手にゆっくりと帰社していた。
「後は会社でいくつか書類を確認するだけか……」
携帯でメールを確認しつつ、羅那がそう呟いた、そのときだった。
――じゅわ……。
「えっ……」
思わず、携帯を見ていた顔を上げる。と、羅那の側にあった花壇の花々が瞬間的に枯れ始め、葉が黒く朽ち、茎がねじれていく。
「ぐっ!?」
と、胸の奥に、鋭い痛みが走る。
自分の中の災厄の力が、無意識に漏れている……そんな恐怖が脳裏を貫いた。
すぐさま、胸の奥底に封じ込めるように、魔力を込めた。
どくんどくんと脈動する、災厄。
自分の力が、街や人々を傷つけかねない。それだけは、絶対に阻止しなければいけないことだった。何故なら、それが、退魔師として生まれた、自分の役目であり使命であったから……。
その思いが、胸を締めつける。
黒紫の瘴気が空気を歪め、形を持たない影が集まり始める。
それはまるで、生き物のようにうねり、羅那に向かって押し寄せる。
「……駄目だ……抑えろ……いや、出しては駄目だ……!!」
羅那は反射的に魔力を爆発させる。
体から放たれる光が瘴気を弾き、空中で黒い霧を切り裂く。
瘴気は裂け、黒い滴が地面に落ち、じゅうと煙を上げる。
だが、全力を出せば出すほど、胸の奥に重い罪悪感がのしかかる。
――この力は、災厄そのものだ。もし僕が完全に抑えられなかったら……もし誰かが、街路の向こうにいたら!!
影は次々と立ち上がり、羅那の足元に群れを成す。
彼は呼吸を整え、纏う光で、光刃を生み出し、その影を切り裂く。
このままでは、街そのものを傷つけかねない!!
その葛藤の中で、羅那は一人で、戦っていた。
その時、背後から低く艶のある女性の声が響いた。
「……落ち着いて」
振り返ると、夕暮れの街路に、黒紫の長髪を揺らす女性が立っている。
顔立ちは端正で美しく、冷たい微笑みを浮かべている。瞳は赤紫で、底知れぬ闇を湛えていた。
羅那の心は、戦いで高ぶった後の疲労と罪悪感で揺れる。
その揺らぎを、女性の視線が見透かすかのようだった。
「……妖魔……だな」
それでも羅那は、彼女の纏うものを見て、そう告げた。
彼女は頷くでも否定するでもなく、ただ微笑んだまま。影はその隙をついて、黒い霧となって消えていく。
街路樹の枯れかけた木も、その緑を取り戻したようだった。
しかし……次の瞬間、羅那の周囲の瘴気が、微かに収まったことに気づく。
彼女が触れたわけでもないのに、黒紫の霧がゆっくりと引き、影の形がほぐれて消えたのだ。
(……もしかして、救われた……のか?)
胸の奥の重みが、わずかに和らぐ。
その瞬間、羅那は悟った。
この妖魔――名前も知らないが、意図的に助けてくれる存在であることを。
ただ、完全に信頼できるかは、別の話だ。
女性はゆっくりと近づき、そして霧のように消えた。
残されたのは、黒くねじれた街路樹と、微かに漂う瘴気の名残。
そして、羅那の胸に残る、言い知れぬ感覚――恐怖と救いが交錯する複雑な波だった。
(……名前もわからないのに、確かにあれは妖魔だった。でも……僕を、見て助けてくれた……?)
罪悪感と恐怖が、胸に重くのしかかる。
しかし、救いの気配も確かに感じた。
――いずれ、この力と、この妖魔と向き合わねばならないことを、羅那は強く実感するのであった。




