初めてのデートはカフェで
昼下がりのオフィスは、今日も騒がしかった。
キーボードを叩く音、電話の呼び出し音、プリンターの低い駆動音が重なり合い、休む暇を与えない。
「柊さん、これ急ぎで」
「あと、この資料も追加でお願い」
「あ、はい。頑張ってやりますね!」
サナは笑顔でそれらを引き受け、慣れた手つきで処理していく。
仕事が増えることに、不思議と嫌な気持ちはなかった。忙しい方が、心が落ち着く。
「……相変わらずだわ」
隣の席から、美咲が呆れ半分、感心半分といった声を出す。
「また仕事増やしちゃって……」
「うん。でも、暫くは大丈夫だから……」
サナは言葉を濁しながらも、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせた。
「……なに、その顔」
美咲はピタリと手を止め、じっとサナを見る。
「な、なにも……」
「嘘。絶対なにかあったでしょ」
ぐいっと身を乗り出され、サナは観念したように小さく息を吸った。
「……昨日ね」
「うん」
「歩道橋で……また、会ったの」
一瞬の沈黙。次の瞬間。
「やったじゃん!!」
美咲の声が、オフィスに響きかけて、慌てて二人で声を潜める。
「ちょ、ちょっと美咲……!」
「だって! 再会って、それもう運命ってやつでしょ!」
サナの頬が、じわりと熱くなる。
「で? で? 名前は!?」
「え……」
「名前!」
詰め寄られて、サナは小さく俯いた。
「……浅樹、羅那さん」
その名前を口にした瞬間、胸の奥がきゅっと鳴る。
それを見逃さず、美咲はにやりと笑った。
「はいはい。顔真っ赤。で、次はいつ会うの?」
一瞬、サナは言葉に詰まったあと、そっと答えた。
「……休みの日に」
「はい確定ー!!」
美咲は満足そうに頷き、親指を立てる。
「いい? その人、ちゃんと大事にしなさいよ。それと、近いうちに見せること! いいわね?」
「……うん」
その一言が、胸に静かに染み込んだ。
そうして迎えた、約束の日。
休日の昼前、サナは少しだけ早めに家を出た。
待ち合わせは、駅近くの落ち着いたカフェ。
ガラス張りの外観に、柔らかな日差しが反射している。
「……まだ、早いよね」
そう思いながら中を覗いて――サナは、驚いて足を止めた。
窓際の席。
すでにそこには、羅那が座っていた。
「……え?」
思わず、時計を見て確かめる。
待ち合わせの時間まで、まだ30分も前だった。
けれど、どきどきして、なかなか入れない。何故なら。
羅那の黒髪はきちんと整えられ、シンプルなシャツにジャケット。
眼鏡越しの横顔は、静かで、けれどどこか柔らかい。
陽の光を浴びて、格好よくサナの瞳に映ったからだ。
そんな彼は、カバーを付けた文庫本を楽しげに読みながら、サナを待っているようだった。
(……昨日より、ちゃんと見てなかったかも)
胸が、どくんと鳴る。
と、気配に気づいたのか、羅那が顔を上げた。
「あ……サナ」
その微笑みに、さらに心臓が跳ねた。
慌てて、サナは店の中に入って行く。
「お、おはようございます……!」
「うん。おはよう」
サナは思い切って聞く。
「……あの、その、早く来てたんですね」
「うん。楽しみすぎて」
さらりと言われて、サナは言葉を失う。楽しみ過ぎて……なんて、ええええ? いつからここにいたの?
その言葉は口には出せなくて。けれど彼は続ける。
「まあね、待つのは嫌いじゃないから」
「……!!!」
それだけで、胸がいっぱいになる。
サナは少し深呼吸をして、ようやく、彼の向かいの席に座った。
「ちょっとお腹すいちゃったね。何か頼もうか?」
「あ、はい! そうですね!! そ、それと……その!!」
「ん? 何?」
首を傾げて、羅那が優しく問う。
「ここは、私が奢ります!! お礼、ですから!!」
「いいのかな? 結構な値段するみたいだけど……」
「でも、そうしないとお礼にはなりませんから!! これでも結構稼いでますし!!」
今日が給料日で本当に良かったと思う。事前に銀行のATMで下ろしてきてよかった。なんて、彼には言えない。
「……うーん、あんまり奢られ慣れてないけど、そういうことなら、今日だけ奢られちゃおうかな」
ちょっぴり意地悪そうな顔をするのも、なんだか、魅力的に感じて。
「今日は奢られてください!! ホントに大丈夫なんで……だから、私、このパンケーキにしますっ!!」
ちょっと見栄を張って、一番高いパンケーキと紅茶のセットを指さして見せる。
「じゃあ僕は……」
少し悩んで、その下の美味しそうな……パフェを選んだ。コーヒーもセットで。
「えっ……パフェ?」
「こういう時じゃないと食べられないから」
にこっと微笑んで、スマートに店員を呼び止め、さっき決めたばかりのメニューを注文して。
そして、目の前にそれが並べられた。
「ふふ、パフェなんて、何年ぶりかな。いただきます」
なんだか、少年な顔を見せる羅那を見て、サナはもう、ドキドキだった。お食事パンケーキを選ぶと思ってたのに、まさか甘々なチョコレートパフェを選ぶなんて、びっくりだ。
「サナも食べないの? せっかくのパンケーキが冷めちゃうよ?」
「あ、食べます、食べますっ!! おっと、その前に」
ぱしゃりと写真を一枚。
「もしかして、記録とかしてる?」
「こういうのは、記念に撮ることにしてるんです。たまに忘れちゃうんで。……いただきます」
ふわりとナイフを入れて、その柔らかさと、とろんと崩れていくクリームに思わずため息が零れる。なんて、幸せなひと時だろう。
サナは目の前にいる彼のことを、一瞬忘れて。
「……可愛い」
「へあっ!?」
思わず、変な声が出た。恥ずかしい。
「きゅ、急にへ、変な事、言わないでくださいっ!! 変な声、出ちゃいましたっ!!」
「ごめんごめん。けど、本当に可愛いなって」
「は、はううううう……」
気を逸らすために、目の前のパンケーキを口に運ぶ。甘くておいしいはずなのに、味がしないのは気のせいだろうか。頬が熱くてたまらない。 その間にも、いつの間にか羅那はパフェを平らげて、何も入れていないコーヒーを口にしていた。
「えっと、苦いのも平気なんですか?」
思わず出た言葉に、羅那はきょとんとしつつも。
「まあ、苦いのも好きだよ。いつも飲んでるし。甘いのを食べた後はコーヒーの方が合う気がするよ」
僕の主観だけどねと、呟いて、サナを眺める。愛おしそうに瞳を細めるのが、なんだか照れくさくてたまらない。
――ううう、格好よすぎ、綺麗すぎ……いいのかな、私と一緒にいて。
知らなかったことを、一つ知るたびに、距離が少し縮んでいく気がした。
会話は途切れず、気づけば時間はあっという間に過ぎていた。
「そ、その……今日はとっても楽しかったです」
「僕もだよ」
その言葉が、同時に重なる。
視線が合って、二人とも、少しだけ笑った。
宣言通りに羅那は、サナに奢られて。
サナは夢心地のまま、ゆっくりと家に帰っていった。
まだ、ふわふわしたような、その気持ちのままで……。
別れたあと。
羅那は駅前のベンチに腰を下ろし、先ほどの時間を思い出すように遠くを見つめる。
目の前の景色も、遠くの景色も、羅那のその蒼い瞳には映っていない。
展開されるのは、先ほど見せていた、サナの可愛らしい表情ばかり。
「……やっぱり、いいな。つい、待ち合わせの二時間前に来ちゃったけど」
誰もいないのをいいことに、小さく息を吐いて笑う。
「次は……どこに行こうかな。今度は僕が奢ってあげるから……ね」
上機嫌なその声は、午後の風に溶けていった。
また会える日を、確信しながら。




