歩道橋での再会は
昼過ぎのオフィスは、相変わらず慌ただしかった。
コピー機は止まらず、電話は鳴り続け、書類は次々と積み上がっていく。
「柊さん、これもお願いできる?」
「あと、これ今日中ね」
「はい、わかりました」
サナは笑顔でそれらを受け取り、淡々と処理していく。
手は止まらない。頭も止めない。
忙しさに身を委ねていれば、余計なことを考えずに済むから。
「……ほんと、相変わらずよね」
隣の席で、美咲が呆れたように呟いた。
「え?」
「仕事。引き受けすぎって昨日も言ったはずよ。そんなに引き受けてると体壊すわよ?」
「うーん……でも、嫌いじゃないから」
サナはそう言って、キーボードを打ち続ける。
その横顔を見て、美咲は小さく息をついた。
「で? 昨日、何かあったでしょ」
「……ふえっ!? わ、わかるのっ?」
「顔に書いてある」
思わず、机に置いてあった鏡に顔を映して、あ、違うとようやく気付いた。
サナは、少し視線を惑わせながらも、ぽつりと告げた。
「昨日ね……歩道橋で、転びそうになって」
「うん」
「助けてくれた人が、いたの」
美咲の手が止まる。これは……恋の予感!! と、美咲はぴきーんと感づいた。
「……それで?」
「すごく……綺麗な人で。優しくて……ちょっと、不思議な人だった」
美咲は、じっとサナを見つめたあと、にやりと笑った。
「へぇ。サナがそんな顔するなんて珍しい」
「ち、ちがっ……!」
「連絡先は?」
「それは……まだ」
言いながら、サナは昨日の蒼い瞳を思い出していた。
一瞬だけ、宝石みたいに輝いた、あの視線を。
「ふーん……。けど、気を付けてよね。サナってば、男運ないから。本格的に付き合う時は、一度、私に見せること。いいわね?」
それだけ言って、美咲は仕事に戻った。
――それから数時間後。
気づけば、外はすっかり暗くなっていた。
今日も残業。いつも通り。
「お先に失礼します……」
誰もいないオフィスに小さく頭を下げ、サナは建物を出る。
夜風が、昼の疲れを思い出させるように頬を撫でた。
足取りは重い。
それでも、昨日と同じ道を、同じように歩いていた。
歩道橋の階段を上りながら、ふと視線を上げる。
――そこに。
街灯の淡い光の下。
手すりにもたれるようにして、黒髪の青年がそこに佇んでいた。
「……え?」
心臓が、どくんと跳ねる。
眼鏡。
艶やかな黒髪。
見間違えるはずがない。
「……浅樹、さん?」
名前を呼ぶと、青年はゆっくりと顔を上げた。
「あ……」
一瞬だけ、驚いたように目を見開いてから、柔らかく微笑む。
「こんばんは。昨日の……」
「っ、は、はい! 昨日は、本当にありがとうございました!」
勢いよく頭を下げてしまい、サナは慌てて顔を上げた。
「あの……昨日はそのっ! お礼、ちゃんとできてなくて……」
「そんな……気にしなくていいのに」
「なので、どこかで……カフェとかでご一緒に……」
と、腕の時計を見て、そこで気づいた。
「あっ!! す、すみません。夜遅いですよね……はわわ……」
そう慌てるサナを羅那は、瞳を細めてふふっと笑った。
「……無理に、今じゃなくてもいいよ」
羅那は、サナの様子を見ながら、そう告げた。
「そうだね。もしよければ……休みの日に」
「え……?」
「昼間の方が安心するんじゃないかな、サナも」
その言葉に、胸が少しだけ、軽くなる。
「……はい。ぜひ」
サナがそう答えると、羅那は胸ポケットから携帯を取り出した。
「じゃあ……連絡先、交換しようか」
「……! は、はい!」
指先が少し震えながら、サナは自分の携帯を取り出し、羅那の方を見た。
互いにコードを交換して、画面越しに映し出される名前。
――浅樹 羅那。
ピロン、と小さな音が鳴って、登録が完了する。
「……ありがとう」
羅那はそう言って、ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑む。
「こちらこそ……!」
それだけで、サナの胸がいっぱいになる。
夜の歩道橋。
行き交う車の音。
けれど、二人の間だけ、時間がゆっくり流れているようだった。
「じゃあ……今日も、気をつけて」
「はい」
別れ際、サナは何度も何度も、振り返ってしまった。
羅那の姿が見えなくなるまで。
歩道橋に一人残り、羅那は携帯の画面を見下ろす。
そこに表示された名前を改めて眺める。
――柊 サナ。
人差し指でなぞるように、画面を撫でて。
「……今回も良い名だね、サナ」
小さく呟き、誰にも見せない微笑みを浮かべた。
「また会える日が……待ち遠しいよ」
小さな羅那のその呟きが解けて消えてしまうように、夜風が静かに吹き抜けていった。




