切ない気持ちの理由は
昼休みの社員食堂は、いつも通りのざわめきに包まれていた。
サナはお弁当の箸を動かしながら、何度目か分からないため息を、そっと飲み込む。
「……ねえ、美咲ちゃん」
「んー?」
スマートフォンを片手にしていた美咲が、顔だけこちらに向ける。
「最近さ、羅那くんが……ちょっと、よそよそしい気がして」
「ほう? これは何かありましたかな、サナさんや」
美咲の眉が、面白そうに上がった。冗談めかして尋ねてみると。
「前はもっと、こう……近かったっていうか。触れるか触れないか、みたいな距離だったのに」
「うんうん、それで?」
「触れて来てくれないの。絶対に、一線越えない感じ」
サナ自身、言葉にしてみて、改めて不思議に思う。
冷たくなったわけじゃない。優しさも、気遣いも、変わらない。
ただ――距離だけが、少し遠い。
「もしかして、喧嘩した?」
「してないよ」
「何か嫌われるようなこと、した?」
「それも……たぶん、ない」
「なら、浮気だっ!!」
「それも違うと思う」
一通り聞いた後、美咲は首をかしげた。
「……と、なると……流石の美咲さんでも、理由を解析するのは難しいですなー」
あるとしたら、もっと別の深い話になるだろうが……サナの話を聞いていると、そこまでは踏み込めていないらしいし。
――こりゃ、根深い案件だよ、サナ……。
「うーん、やっぱり、そうなっちゃうよね」
「まあとにかく、これ以上、距離を開けられないように、好感度を高めていくしかないよ。大丈夫、そんな酷いことにはならないだろうし!」
そう美咲が言うと、サナはそうかもと、前向きにとらえることにした。
明確な答えが出ないまま、その昼休みは終わりを告げる。
その『分からなさ』だけが、サナの胸の奥に小さく引っかかり続けていたのだった。
その日の帰り道。
夕暮れの空は、ゆっくりと茜色に染まり始めていた。
歩道橋の下を通りかかったとき、見覚えのある背中が視界に入る。
「……羅那くん?」
呼びかけると、彼は少し驚いたように振り返り、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「サナ。偶然だね」
「うん。ちょっと、びっくりした」
二人で歩道橋を上る。
ここは、出会いの場所。
何度も思い出してきた、特別な場所。
並んで立つ距離は、いつもと同じ。
会話も、他愛のないものだった。
「今日は会社どうだった?」
「いつもと同じ。ちょっと忙しいよ。羅那くんは?」
「そうだね。僕の方も、ちょっと立て込んでたね」
こんなに近くにいるのに、優しい彼は触れてこない。
一瞬だけ見せた、あの辛そうな表情が、きっと答えのような気がして。
それに……ここは、何度も出会って、距離を縮めてくれた場所。
だからこそ、サナはこの場所が好きだったし。
期待、してた……?
もうすぐ。
もうすぐ、歩道橋が終わってしまう。
「サナ、どうかしたの? どこか、具合でも悪い?」
「ううん、何でもないの」
にこっと、飛び切りの笑顔を見せる。それに羅那もつられて嬉しそうな笑みを見せてくれて。
それが嬉しいはずなのに。
「それなら、良かった。今日は早く帰れるね。ゆっくり休んで、明日に備えて。またサナに倒れられたら困るから」
「もう、大丈夫だよ……」
それにつられて、危うく自分の秘密も言いそうになったのを、なんとか堪えた。
歩道橋の、最後の一段を降りて。
顔を上げる。
そこには羅那がいるけど、ほんの少しだけ先に行ってしまって。
駅で別れて、一人で電車に乗り込んだときに、ようやくサナは気づいた。
思わず、手すりの鉄パイプを掴みながら、ゆっくりとしゃがみ込んでしまう。
どうして、今、気づいちゃったんだろう。
胸を抑えて、涙が零れそうになった。
「好き」
小さく呟いて。
サナはようやく気付いた。
――私、羅那くんのことが……好き。
もうここにはいない姿を探して、思わず涙がつうっと伝った。
そして、改めて気づく。
好きだからこそ、もっと近づきたいのだと……。




