夕方の公園とサナのおまじない
会社の最寄り駅から少し歩いた場所にある、小さな公園。
ブランコと滑り台、それに砂場があるだけの、どこにでもある場所だ。夕方のこの時間帯は、子供たちももう帰った後らしく、人影はほとんどなかった。
サナはベンチに腰掛け、スマートフォンを覗きながら、ちらりと時計を見る。
「……やっぱり、遅くなるよね」
そう呟いた直後だった。
小さな足音が、砂利を踏みしめる音と一緒に近づいてくる。振り向くと、ランドセルを背負った男の子が、勢いよく公園に入ってきた。だが、数歩も進まないうちに、つまずいたように前のめりになり――。
「あっ」
鈍い音と共に、男の子は地面に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫!?」
慌てて立ち上がり、サナは駆け寄る。男の子は膝を押さえ、唇をきゅっと噛みしめていた。血は出ていないが、擦りむいたのか、赤くなっている。
「……いたい」
泣きそうな声に、胸がきゅっとなる。
周囲を見回すが、公園には他に誰もいない。道路も、今は静かだった。
――少しだけなら。
そう、自分に言い聞かせる。
今はもういない父と母の顔が、一瞬よぎったが、今ここで放っておく方が、サナには出来なかった。
「大丈夫だよ。ちょっと、痛くないおまじない、かけようか」
しゃがみ込み、男の子の膝にそっと手を伸ばす。触れた瞬間、サナの指先から、ほのかな温もりが滲み出した。
僅かに光が漏れたのだが、夕焼け色に隠れて、気づかれることはなさそうだ。
優しくて、暖かい温もりが、その傷の熱と腫れを抑え込み。
気づけば、擦りむいた痕はもう、そこには何もなかった。ほんのりと感じた暖かさだけが残っている。
「……あれ?」
男の子が目を瞬かせる。
「いたく、ない?」
「うん。もう大丈夫」
サナはにこっと笑って、手を離した。
男の子は恐る恐る立ち上がり、膝を曲げ伸ばしする。次第に、その顔がぱっと明るくなった。
「ほんとだ! すごい! お姉ちゃん、魔法使いさん?」
「ふふ、内緒だよ?」
サナが人差し指を唇に当てると、男の子はこくんと頷いた。
「ありがとう、おねえちゃん!」
そう言って、元気よく公園を飛び出していく。その背中を見送りながら、サナはほっと息をついた。
――使っちゃった。
けれど、不思議と後悔はなかった。
その時だった。
「……サナ?」
聞き慣れた声に、肩がびくりと跳ねる。
振り返ると、公園の入り口に、黒いコートを羽織った羅那が立っていた。仕事帰りらしく、少し疲れたような、それでいていつも通りの穏やかな表情だ。
「羅那くん。お疲れさま」
「さっき……あの男の子と話してなかった?」
視線が、男の子が走り去った方向へ向く。
「うん、ちょっとね」
サナは曖昧に笑う。
「私の目の前で転んじゃってたから、痛くないおまじない、かけてたの」
「……そう」
羅那はそれ以上、何も聞かなかった。ただ、サナの様子を一瞬だけ、じっと見つめる。
「もう、大丈夫そうだった?」
「うん。元気に帰ったよ」
「それなら、よかった」
それだけ言って、羅那はサナの隣に腰を下ろした。
夕暮れの空が、少しずつ茜色に染まっていく。
並んで座る二人の間に、穏やかな沈黙が落ちた。
羅那は気づいていない。
――少なくとも、サナはそう思っていた。
けれど、胸の奥に残る、微かな温もりは、まだ消えていなかった。




