浅樹家の日常とは
自分の部屋を出るときに、少しだけ深呼吸をして。
羅那はそのまま、いつも食事をするダイニングへと向かった。
「おはよう、父さん、母さん」
挨拶をしながら、羅那は自分の席に座る。
「おはよう。浮かない顔してるな?」
父である翔に声を掛けられ、苦笑を浮かべた。
「ちょっとね……嫌な夢を見たから、その所為だと思うよ。でももう平気。仕事はちゃんとやります」
「ならいい」
改めて、上座に座る翔を見る。
羅那にどことなく雰囲気は似ている。自分はそれっぽく真似てはいるが、父の知性溢れる所作には敵わない。
整った顔の造形は、祖母に似たのだと前に聞いたことがある。けれど、彫りの深いところは、祖父にも似ているように感じる。
壮年になったことで、大人の男性、独特の魅力だけでなく、甘いダンディさもあって、物腰柔らかだ。
その深い青い瞳は、自分の瞳にも受け継がれている。
「あまり無理しては駄目よ。それに……駐車場では、数多い妖魔を倒したのでしょう? 疲れは残ってない?」
そう心配して声をかけて来るのは、母であるリィナだ。
「大丈夫だよ。あれくらい、どうってことはないし。狛犬に聞いたの?」
「そうよ。だって、熊ぐらいの大きさだったって……」
「力が強いだけのFランクに遅れは取らないよ。寝ればすぐに戻るくらいだしね」
目の前に置かれた朝食を、羅那はナイフとフォークで、慣れた手つきで完璧に口に運ぶ。
――ん、やっぱり、実家の朝食は相変わらず、美味しいな。
ちょっと嬉しそうにその瞳を細めて。
翔の隣にいるリィナを見る。
赤みがかった茶色の柔らかな髪を揺らしている。金色に輝くその瞳は、様々な男を魅了してきたと聞いていた。そのお陰で、気難しい相手でも契約することができたとか。唇に艶やかに差してある赤いルージュを見ると、思わず麗子を思い出すが……彼女よりも、母であるリィナの方こそ相応しいと感じるのは気のせいだろうか。
そんな母の首には、鳳凰の形をしたペンダントが揺れていた。
そのペンダントには、幾重にも守護が掛けられている、特別な物。父が送った大切なものだ。
「父上、母上……そこは、よくやったと褒める所ではないのか」
凛とした女性の声が響いた。
3歳年上の姉、レイだ。
「いいよ。普段通りの退魔の仕事だし」
思わず、そう指摘すると。
「前に見たんだ! しっかり褒めることは、情操教育にとても良いとな!! なら、私が父上と母上の分まで……褒めるっ!!」
「ちょ……今、朝食を……あっ……!!」
レイは話を聞かない。話を聞かないというところは、若干翔にも言えることだが……。
「もう、せっかく纏めてたのに……」
髪がくしゃくしゃになってしまった。けれど、それはそれで悪くはない。少しだけ、気分も上向きになったし。
ぱちんと指を鳴らして、髪を一瞬で整えた。
自分の隣に座って、満足げな笑みを浮かべるレイ。
思いついたら、すぐ行動を具現化したような、母に似た凛とした女性だ。
赤みを帯びた茶髪を高く一つにまとめて、金色の瞳を輝かせているその美貌は、母親と同様、人を引き付ける力をも持っていた。
だが、いつも、軍服を身にまとっているせいか、女性と言うよりは男性のように見られることが多い。
男装している麗人というのが相応しいのかもしれない。
実際、男性よりも女性に好かれる方が多いくらいだ。
これが、羅那の家族。
父と母とそして、姉の三人。
そこに羅那が加わり、浅樹家の家族が揃う。
いつもと変わりない朝だ。
ただ、今日は……遠出していた姉のレイが久しぶりに帰って来たということで、実家に戻るよう、あの退魔の仕事の後、父から連絡を受けてここにいる。
(確か……遠くの異国で夜盗を退治していたと聞いていたか)
今、姉は外国を飛び回る傭兵として働いていた。
対人では最強を誇るレイではあるが、対妖魔となると、やや力不足となる。
身体強化なら、息をするように出来るレイだが、それ以外はからっきしである。
それに……もう一つ、理由がある。
浅樹家では、女性に浅樹家を継がせることはない。
男のみがそれを受け継ぐことができる。
その所為で、祖父の代はかなり苦労したと聞いていた。
父が生まれた時は、大いに喜ばれたとかなんとか。
ふと、隣にいるレイを見る。
なんだか、ちょっとそわそわしていた。
そういえば……予定では、帰ってくるのはもう少し後だったように思う。
「今回は、レイなりに頑張った様だな」
「ええ、だから、ご褒美をあげなくっちゃ。あの国も賑わいを取り戻すでしょうし」
父と母がそう告げる。なるほど、レイはその『ご褒美』目当てに無茶をしたのかと理解した。なら、姉ならきっと……。
「そ、それなら!! メランコリック☆パラダイスの、裕樹の衣装を頼む!!」
メランコリック☆パラダイス――巷で人気の学園アイドルもののアニメだ。確か、その一番人気のキャラが陽キャな『裕樹』だったはずだが……。
「また、コスプレするのかしら? レイはコスプレ、好きだものね?」
くすくすと、幸せそうに笑顔を見せるレイに、羅那は思わず生暖かい視線を送ってしまう。
(よかったね、姉さん)
こういうのは、ずっと続けばいいと思う。
「そういえば……最近、機嫌が良いようだな、羅那?」
突然の翔の言葉に、もう少しで変な声が出る所だった。
ただ……こんな風に父が自分の名前を呼ぶときは、いつも嫌なことを押し付けられるか、何か面倒なことが起きる予兆でもある。
「そんなことないよ。いつもと同じ」
なるべく、素っ気なく返す。まだ、サナのことは父には話していない。しかも、あのペンダントも渡してるなんて言ったら、何を言われるか、いや、何をされるか分からない。だからこそ、隠し通さなくてはならない。
と、警戒している中、口を開いたのは姉のレイ。
「ふふん、きっとアレだろ? 私は聞いてるぞ! あの皇太子から、あの案件をもぎ取ったんだろ? 羅那も良くやった!!」
また頭をぐしゃぐしゃにされないよう、さっと身を躱してしまったのは見逃してもらいたい。ちょっと不満そうだったが。
「まあ、それもあるが……他にも良いことがあったように感じるが……気のせいか?」
「気のせいじゃないかな? まあ、表の仕事に精を出してるよ。父さんの課題も、ちゃんとこなしてるからね」
そうだよねと、言わんばかりに父に視線を送ると、ふむと翔が呟く。
「そうだな。じゃあ……裏の仕事を増やしておこう。お前の仕事、溜まってるからな……?」
「…………!!!?」
もう少しで、表情に出る所だった。出てないよな? 出てないと思いたい!
そういえば、サナとの時間を捻出するために、最近、少々、サボっていたことは認める。
だからこそ、先日はきちんと退魔師としての仕事を果たしたのだ。
なのにまだ足りなかったか? まさか、それを増やされるなんて……。
「はぁ……わかったよ。後で回しておいて」
「おう。ちゃんと励めよ。サボった分な」
しっかり釘を刺してきた。逃れられない。
「それじゃあ、もう行くよ……いってきます」
なんだか、少し足が重く感じるのは気のせいだろうか。
ただ……お陰で、朝見た嫌な夢は、少しだけ遠のいた気がした。
完全に消えたわけではないが、それでも――前に進める程度には。




