サナとクッキーとプールの異形ともう一人の影
「蒼士くん、それは本当なのね?」
翌朝、蒼士はすぐに音紗に報告しに来ていた。
「ああ……間違いない。あいつは、サナのことを知ってた。名前も……たぶん、サナのこと全部知ってると思う」
そう真剣な目で言う蒼士の言葉に、音紗は静かに頷いた。
蒼士の表情は険しい。
普段の軽さはなく、真剣そのものだった。
「その少年の名前が……」
「浅樹羅那」
どこかで聞いたことのある名前だ。気のせいだろうか。ここに来てから、少しずつ記憶が薄れてきている。
だからこそ、マメにメモして覚えるようにしている。
少し体が辛い時にだけ、サナから貰ったクッキーを食べて繋いでいる。
時間感覚も、実は正直、分からなくなっている。
サナのクッキーのお陰で、少しずつ、感覚が戻ってきているような気もするが……。
ふと、そのサナの方を見れば……。
ぼんやりと虚空を見つめ、呼びかけにも反応が鈍い。
「サナちゃん?」
舞華が心配そうに声をかける。
「……え? あ……うん……」
返事はする。
けれど、その声には生気がなかった。
まるで、大切な何かが抜け落ちてしまったかのように。
音紗は静かに近づくと、いつも身に着けていたポーチからクッキーを一枚、取り出した。
「サナ、口を開けて」
「えっ……あーん」
開いた口の中に、ぽんとクッキーを入れた。
「もぐもぐっ!?」
強制的に食べさせられて、サナは困惑するも……しかし。先ほどのぼんやり感があっという間に消え去った。
「はわわ……美味しい……もう一つ食べたいな……」
「なら、あなた……自分で作りなさい。家庭科室借りてあげるから、作り方、知ってるんでしょ?」
「任せて、ばっちり、たくさん作るよ!」
「ええ、大量にたくさん作りなさい。これでもかというくらいにね……」
と、楽しく、ガンガン、サナは家庭科室でこれでもかとクッキーを作っていっている。
「俺も手伝うよ!」
蒼士もサナと一緒にクッキーを作るのを手伝っていく。
音紗も、こっそり、出来たばかりのクッキーを一つ齧って、意識がはっきりするのを自覚する。
「ちょっといいかしら、蒼士」
「んん……なに?」
ぱこぱことクッキーを型で抜きながら、蒼士が顔を上げた。
「あなた、サナを守りなさい。守り切れなかったら、きっとそこで全部が終わるわ」
「なんだよそれ。けど……守るよ、俺」
「それでいいわ。頼むわね」
しっかりと蒼士が頷いたことを見て、音紗は安堵する。
どこかで聞いたことのある、あの名前。
けれど、何故かホッとできない。サナが知っている、向こうの少年もサナのことを知っている。
ならば、何か良い結果を得られるはず……なのに、なぜ、こんなに胸が騒ぐのか。
「私も、その子に会いたいわ。……羅那って言ったわよね?」
音紗はそう呟いて、旧校舎の方を見つめたのだった。
――野外にあるプール。
放課後を迎えたプールでは、誰もいないはずなのに水面に人影が映る。
水面に触れた生徒は、数分間水中に沈んだような感覚に陥り、意識がぼんやりして行方不明になる。
もし、そのプールの中に入れば、時間や空間の感覚が歪み、生徒は校舎内で迷子のように行動するという。
それが、第四の七不思議。
四人は、また夜の学校にやってきていた。
目指すは野外プール。
「今の所は……誰も来ていないようね」
その音紗の言葉に、皆はホッとする。今回は助ける対象はいないようだ。
「なら、調査に集中できるわね。しっかり、進めるわよ」
「了解! 私もしっかり写真を撮っていくね!」
プールにたどり着いた舞華は、さっそく、プール内を撮影していた。と、そのときだった。何かに足を引っかけて。
「えっ……」
「舞華!?」
近くにいた玲玖がプールに落ちそうになった舞華に手を伸ばすが、間に合わない。
――ざぱーんっ!!
「大変っ!!」
「た、たすけ……がばごぼ……!!」
普段ならば、すぐに起き上がって、出てくるはずだった。しかし。
舞華の周りには、無数の手が出てきて、彼女をどんどんと、プールの中へと引きづり込んでいく。
「私、行くよっ!! 助けないと!!」
ざぶんと、サナが飛び込もうとした……そのときだった。
「危ないよ、サナ」
それを止めたのは、あの羅那だった。昨日、出会った時より、少し背が高くなったように感じるのは、気のせいだろうか。
「羅那くん!! 止めないで! 今、舞華ちゃんがプールに引きずり込まれてて……」
「僕に任せて……」
ふわりと、プールの上に浮かび、手を翳す。
「その子から、離れるんだ」
いつもより、低い羅那の声が響く。
びくりと、舞華を抑えていた無数の手が震えた。まるで、羅那を恐れるかのように、さあっと逃げ出していく。
そして――消えた。
それと同時に、舞華が浮き上がり、そこを蒼士と玲玖が舞華をプールから引き揚げ、無事に助け出すことが出来た。
「けほけほ……た、助かった……」
まだ完全ではないものの、舞華は大丈夫そうだ。蒼士と玲玖が二人で舞華を介抱している。
「大丈夫? 無理しないでね?」
そういって、サナはさっそく、治癒の力で舞華を復活させていて……。
それを、明らかな嫉妬を宿した瞳で見つめているのは、羅那だった。
と、ぐらりと羅那の体が揺れて、倒れそうになる。
「ら、羅那くんっ!!」
それに驚き、サナが羅那を支えた。
「無事でよかったよ……けど、力を……使い過ぎちゃったみたい」
「それは大変だよ! すぐに羅那くんも癒してあげるね」
サナは気づいていない。癒す力が先ほどの舞華よりも遥かに多いことに……。
そのことに羅那は、笑みを浮かべた。
満足そうに――その蒼い瞳を、細めて。
蒼士は、舞華を抱えながら、その光景を見ていた。
今回、やつは、舞華を助けた。
サナを守った。
――本当に、敵なのか?
昨日は、嫌な気配を感じたし、今もその気配は変わらない。
けれど、目の前の羅那の行為に、助けたというその行為に戸惑いを隠せない。
その隣で音紗は、興味深そうに彼らを眺めていた。
姿を見て、まだ、確定したというわけではないが……。
(浅樹家の、退魔師……確か、浅樹家は……最強の退魔師を出しているところ……)
だから、自分達の味方になりえる……はずなのに、音紗の勘がそれは違うと教えてくれている。
なら、目の前の少年はなんなのだろう?
もしや、目の前の、『羅那』は……。
一つの仮説を生み出し、音紗は思わず、ため息をついたのだった。
また、羅那は一人になった。けれど、その手には、欲しかったサナのクッキーがある。
「やっと手に入った。嬉しいよ、サナ」
ぱくりとそのクッキーを食べて、少し嫌な顔をする。
「力はあるけど、ちょっと痛いな」
けれど、羅那はそのクッキーを全て食べきった。また少し、背が伸びた。
「サナ、また君に会いたい。今度はサナの全てが欲しい。その為には」
ふっと揺らめくプールの水面を見つめながら、羅那は続けた。
「あの忌々しい『ペンダント』が邪魔だね」




