ダイエットから始まる縁はまだ続いていて
それは数日後のことだった。
「ふふん、羅那くんには気づかれてないみたいだし……このまま綺麗な私を維持して……」
ぽわぽわぽわーーん。
サナの妄想が広がる。
『最近、サナが綺麗に見えるのは、気のせいかな?』
『わかってくれた!? あのね、内緒でダイエットしてて……とっても綺麗になりました!!』
『サナ、とっても偉いよ! 凄いよっ!!』
「えへへ……それで、羅那くんに抱きしめられて……あうっ!!」
ベンチに足をぶつけた。痛い。すっごく痛い。痛すぎて、こっそり、治癒力を使ってしまった。
まあ、自分の方を見ている人はいない。
どことなく、周りが男性が多いのは、気のせいだろうか?
「まあ、いっか……」
いつものようにお風呂に入って、汗を流して、さっさと外に出ていく。
「うう、早く帰ろう。寒いかも」
小走りに走っていくと。
「――え?」
次の瞬間、視界が揺らいだ。
身体から力が抜ける。
足元が崩れる。
(な……に……?)
倒れる直前。
背後に、誰かの気配を感じた。
そして――意識が、闇に沈んだ。
目を覚ました時、サナは見知らぬ部屋の中にいた。
ふわりとした一人掛けのソファーに座らされていた。
両手や両足には、何も枷はつけられていない。だが……。
(魔力が上手く使えない……これって、封印の結界?)
あらためて、部屋の中を見回した。
思っていたよりも、広い部屋。高級な調度品。だが、窓はなく、出口は一つだけ。
「お目覚めですか」
あの狐目のスーツの男だった。あのとき、挨拶をした男。名前は名乗っていなかった気がする。
「……ここは、どこですか」
声は震えていなかった。
自分でも、少し驚く。
「ご安心ください。危害を加えるつもりはありません」
「……攫っておいて?」
「正式な手順では、あなた様は決して応じてくださらないでしょう?」
淡々と答える。
まるで、正当なことのように。
「我々は、あなた様の力を必要としております」
「なら、聞かせてください。なんで、私の力が……必要なのですか?」
そのサナの言葉に、狐目の男は、嬉しそうに口元を微笑ませて……。
「あなたには、治癒力をお持ちですよね。柊シイス様と同じ、治癒力。その力を永久に……この私と父に施していただきたいのです。そうすれば、この華流院家は、あなたの力で栄華を……」
「ふうん……そんなことで、サナの力を利用しようとしたんだ」
と、そこに……いるはずのない、声が聞こえた。
そこに姿を現したのは、ただ一人。
「羅那……くん……?」
その名前を口にした瞬間。
張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
羅那だ。いつものようにサナに、安心させるかのように、柔らかな笑みを見せて、片手を伸ばす。
「大丈夫、サナ? ちょっと辛いよね。全く、こんな結界に入れるなんて、ナンセンスだよ」
ぱちんと指を鳴らして、急にサナの体が軽くなった。この部屋に張られていた結界をその一瞬で消し去ってみせた。
「なっ……貴様は一体……」
「浅樹羅那。アサギグループの次期当主って言ったら分かる? それとも、最強の退魔師って言った方がいい?」
「!!!!!」
華流院と名乗った狐目のスーツ男は、羅那の胸に付けられた鳳凰のブローチを見つけて、息を呑んだ。
「ああ、サナは僕の大切なフィアンセだよ……だから、『挨拶』に来たんだ。分かってないみたいだから」
羅那は華流院の方は見ていない。ただ、サナの様子を見ている。
「怪我はないね? 気分は悪くない?」
「だ、大丈夫……もう、息苦しいのも、ないし……」
「それならよかった」
「……って、無視するなっ!! 彼女は、華流院家のっ……!!」
「ああ、まだいたんだ」
ようやく、気づいたかのように、くるりと身を翻す。まるで、サナの視界を遮るように立ちはだかり、そして、興味深そうに華流院を見つめる。楽しそうに瞳を細めて。でも、そのぎらりと光る瞳は、笑っていない。
「華流院って、確か……石油とレアアースで有名でしたね。最近、太陽光発電にも手を出していたとか……」
「……?」
ふふっと羅那は微笑む。
「その上位互換の企業はどこでしょう?」
「……!?」
「答えはサンシャイン・ラボラトリーです。最近、力を付けてきました。ようやく、努力の甲斐が合って実を結んだ感じですね。ここまで成長させるのに、苦労させられましたけどね」
「……?????」
まだ気づいていない様子なのを、はぁ……っと、ため息一つ零して。
「アサギグループの一会社ですよ」
「!!!!!!!!」
驚愕に歪む華流院に、ようやく、羅那は微笑んだ。慈しむように。でも、その瞳は決して、笑っていない。
「では、そういうことで」
羅那は丁寧に、お辞儀をしてみせた。
その指先には、わずかに力が込められていた。
そして、サナを椅子から起こそうとして……無理そうなのに気づいて、そのまま抱き上げた。
「ああ、そうそう」
羅那は付け加える。
「今日はご挨拶だけです。でも……もしこれ以上のことをするのであれば」
くるりと振り返り、口元だけで伝える。
『次はないと思え』
「は、はい……」
男は、震えながら頷いた。
羅那は、それ以上何も言わなかった。
外に出ると、夜風が吹いていた。
いつの間にか、見慣れた街の近くだった。
「……羅那くん」
「うん」
「どうして……」
羅那は、少しだけ困ったように笑った。
「狛犬たちが教えてくれたんだ」
その言葉と同時に、気配が揺れた。見えない守護が確かにそこにいた。
「サナ」
羅那は、優しく言った。
「こういう人たちは、これからも現れる」
「……うん」
「だから、覚えておいて」
その瞳は、真剣だった。
「断ることは、間違いじゃない」
「……うん」
「そして」
そっと、サナの唇にそっと、自分の人差し指を添えて。
「君は、一人じゃない」
その言葉で。
張り詰めていたものが、ほどけた。
「……うん……」
小さく頷く。
羅那は、何も変わらないかのように、いつもの微笑みを浮かべた。
「わからなくなったら、すぐに……僕を呼んで。すぐに駆け付けるから」
けれど、サナは、知った。
自分を狙う者がいることを。
そして。
それでも。
隣には、必ず――羅那がいるということを。




