1. 歯車
ブーブーブー。
ダイチのスマホが声を上げた。
一年に一度の東京行き航空便の通知だ。
「はあ、うるせえな。いやなことを思い出させんなよ」
そういってスマホを閉じ、無機質な自室を見る。
こちらに引っ越してから8年が経つというのに、ダイチの部屋には額縁に入れられた家族写真、亡くなった親族に向けた仏壇のほかに椅子や机といった最低限のものしかおかれていない。
慣れ親しんだ新宿の街を後にしたあの日のことはいまだに忘れられない。
道端に倒れる無数の人々。
子供から大人までが苦しみ、もがいていた。
新宿の夜を照らすネオンの光だけが、この惨状をまるで知らないかのように平然と光き、屍を照らしていた。
すべてが不気味だった。
ダイチの周りでも遠戚から友人まで数多くの人々が死に絶えていった。
挙句の果てに最愛の妻、カヨコまでも失ってしまいどうしていいのかわからずに途方に暮れていた。
当時2歳であった息子のアキラがいなければその場で自殺していたかもしれない。
あの日、ダイチはせめてアキラだけでも、という思いで新宿の地を離れたのである。
羽田空港から飛び立つ飛行機の中でも乗客の息絶える姿を何度も目撃した。
それ故に、飛行機の中でさえ自身にまとわりついた死への恐怖が離れることはなかった。
アルナドの特性上、九州島以南であれば体内のウイルスが死滅するというのは「情報」として知っていた。
しかし、九州島を過ぎてももだえている人 <おそらくストレスによるものだろうが> を見ると、その恐怖は一段と強くなるばかりだった。
現在、本州村にてアキラを学校に通わせてあげることができているというのはいまだに信じがたいことなのである。
本州村とは、本州から沖縄に移り住んだ人々の居住区である。
面積は500m四方。
居住人数80人。
中央の小さな公園をアパートが四角く囲っている。
そこでは、日本政府の保護のもと最低限度の生活が保証されている。
日本政府と言ってもその肩書は沖縄県知事に等しい。
WHOにより国家的パンデミックが宣言された時、すでに九州以北は壊滅し政治的能力を失っていた。
そのため、現在の那覇を臨時首都とする体制が始まるにはそう長くはかからなかった。
これが現在、ダイチやアキラを取り巻く現状なのである。
アキラは沖縄島上陸当時は新天地での生活におびえていたものの、現在ではすっかり元気になっている。
ダイチにはそんなアキラのいきいきとした姿を見ることが生きる支えとなっていた。
東京に帰る気なんて文字通りとっくに消え失せてしまっていた。
しかしながら、神様はそんなダイチの安心感を嘲っていたのかもしれない。
また、ダイチを得体のしれない恐怖から解放させようとしたのかもしれない。
とにかくこの日運命の歯車は回りだしたのだ。




