姉から見た弟の婚約破棄
「ネリー、新しい紅茶を持ってきていただけるかしら?」
アンネローゼは物憂げな様子で侍女に命じた。
ネリーと呼ばれた侍女がお茶の支度をしながら、時折気遣わしげにアンネローゼを見つめる。
「姫様、どうなさいましたか?」
「そうね、ほら…弟とその【妻】がどうなるのかしらって思ってたのよ」
「そうでございますわね、姫様のお心が晴れると良いのですが…」
淹れ直された紅茶を上品に口に運びながら、アンネローゼはクスクス笑った。
「嫌ぁね、ネリーったら。わたくし、心配している訳じゃなくってよ?」
アンネローゼはとある大国の正妃の第一子。
曲がったことが嫌いで苛烈な母親の性格を受け継いでいる賢い姫だ。
また、王国一と謳われた祖母に似た儚げな姿が、貴族にも庶民にも大人気な美姫である。
国王である父親には亡くなった側妃を含め4人の妻がいる。
当然もうけられた子も多く、兄弟姉妹は沢山いる。
アンネローゼとその弟は正妃から産まれた、たった二人の姉弟だった。
その血筋から末っ子であるにも関わらず、王太子になった弟は側妃達が産んだ年の離れた姉や兄からとても可愛がられて育った。
もちろん2歳違いのアンネローゼもとても可愛がられていたけれど。
そのせいなのか、本人の生来の気質なのか。
どうにも弟は愚かな子に育ってしまったようだった。
庶民の間で流行っているという大衆小説にあるような真実の愛に目覚めて、あろうことか婚約破棄をしてしまったのである。
「婚約破棄だけならどうにかなったものを、あんな平民みたいな娘と皆の前で婚約するって宣言までしちゃうなんて。あれじゃあお父様でもどうにも出来ないわ。あの子、下級貴族の庶子で平民として育った女がどうして自分の正妃になれるなんて思っちゃったのかしらね?」
「そうですわね、件の女性は学園でも成績がふるわなかったと聞きましたわ、社交的ではあったようですが」
「うふふ、社交的だなんて。お母様が何て言ったか知っていて?男漁りって言ってらしたわよ?殿方との社交のお上手な方だったみたい」
結局弟は廃嫡され、真実の愛のお相手と結婚して無一文で辺境の地まで送られた…というのが今の状況。
弟の私財は慰謝料や不正に使った予算の返却に使われ、足り無い分は国王の私財から賄われたので持たせるお金などあるわけもない。
「バカな子」
アンネローゼは静かに呟いて、音を立てずにカップを置いて物思いに耽った。
数ヶ月後。
父親にねだり、旅行を兼ねた避暑に行く許可を得たアンネローゼは辺境の地に近い避暑地を旅先に決めた。
国王と正妃はあまりにも遠すぎる、といい顔をしなかったが
来年は他国に嫁ぐのだから…最後くらい行きたい場所に行ってもいいじゃないの、と押しきった形である。
結果、アンネローゼは遠い遠い避暑地まで向かう許可を勝ち取った。
連れていく侍女は最低限のニ名。
十数人居る親衛隊と共に、アンネローゼは意気揚々と旅立った。
道中の馬車の中や立ち寄った宿でも、【思慮深く美しい気さくな姫様】のイメージを崩すことなく完璧にふるまったアンネローゼは、トラブル一つなく目的地へ到着した。
涼しげな湖で過ごしたり、近くの温泉に出掛けたりパーティーに参加したりと実に姫様らしく。
毎日楽しく過ごし、その愛らしい姿は遠目から庶民を大変喜ばせた。
10日ほど経って、姫様がお風邪を召されていると噂が流れアンネローゼは4、5日ほど人前に姿を見せなくなった。
実のところ、アンネローゼは弟のその後にはさほど興味はなかった。
弟のことはよく知っていたし、今更知りたいと思うこともなかった。
だが、その妻である平民育ちの庶子には大いに興味をそそられていた。
アンネローゼは数名の部下に命じ、弟の妻を秘密裏に別荘へ連れてこさせた。
妻であるその女は薄汚れており、顔をしかめたアンネローゼはネリーに命じて風呂をつかわせた。
侍女の誰かの私服を与えられた女は、多少身綺麗になって戻ってきた。
万が一があってはいけませんから、と側近の騎士が女をしっかりと縄で拘束して床に転がした。
「あらあら、絵本に出てくる芋虫のようではなくって?」
アンネローゼは微笑みを浮かべた。
「そうねぇ、確かに庶民と思えばかなり可愛らしい顔をしていると思うわ」
アンネローゼはじっくり女を観察した。
数ヶ月の荒んだ生活のせいか、女の髪と肌は艶がなく貧相に見えた。
だがその髪は珍しいピンク色をしていて、パサついていてもなお美しく思える。
金色の瞳は肉食獣さながらに輝き、気の強さを感じさせるが顔立ち自体は随分と幼く見える。
アンネローゼより背の低い侍女のワンピースが足首まで来ているので相当小柄で華奢な体格なのも見てとれる。
「あの子ったらあなたのどこが良かったのかしらね?」
確かにお顔は化粧を施せば充分可愛らしく見えそうね、と独り言のように呟く。
「なんなのよ、お金くれるっていうからついてきたのに!」
黙っていた女が甲高い声で突然叫びだした。
不敬だわ、と呟いたネリーが罰を与えるために前に出ようとしたが
「あら、いいのよネリー。鳴かせておきなさいな、どれだけさえずったって構わないわ。」
アンネローゼは淡々とした様子でネリーを制した。
ネリーは頭を下げ、姫の一歩後ろに下がった。
「ねえお前、わたくしを見てごらんなさいな」
アンネローゼは女の前で優雅にヒラリと回って見せた。
まるで素敵な殿方と踊っているかのように。
「わたくし達、王族はみんな同じように美しいでしょう?何故だかわかるかしら?」
「知らないわよ!離してよ!」
女が噛みつくように叫んでもがいた。
「あら?わたくし達の事は平民でも習ってるのではないの?どうなの、リリー」
リリーと呼ばれた侍女見習いがおそるおそる前に一歩出た。
「このリリーはね、平民なの。最初は厨房の下女だったのよ。気まぐれに話し掛けたら随分と賢くって。気に入ったからわたくしのものにしたの」
わたくし、頭の良い子はすきなのよ。
「ですけれど、おバカさんは大嫌いなの。さあ、リリー。平民はわたくし達の事をどう教わるのかしら?」
「はい、姫様。私達はまず、親から口を酸っぱくして教えられます。王族が揃って美しく、高い魔力を持っているのはそのように作られたからだと」
リリーはか細い声で、だがしっかりと話し続けた。
「貧しい家の子でも月に一度は学ぶ機会があります。その時に、何故王族がそうであるかを習います。王族が私達国民の盾であり、剣でもあると。だからこそ強く美しくあるのだと」
アンネローゼは満足げに扇をパチンと閉じた。
「その通りよ。わたくし達が美しく強いのには理由があるのよ。頑健さと身長の高さは必要だからこそ、外されてはならぬ事」
コツ、コツ。
小さな靴音を響かせながらアンネローゼは女の周囲を一周し、騎士に命じて女を椅子に座らせた。
足の縄を切ると、女は騎士を蹴りつけた。
まぁ……アンネローゼは驚いて小さな声を出した。
そんな振る舞いをする女性を見たことが無かったからだ。
「わたくし、背が高いでしょう?お兄様もお姉様も弟も。それにお父様、お母様、側妃様もよ」
「八百年よ。我が王家は開国以来、ずっと肉体的な条件を満たし、且つ血筋の良いものと結婚し子を為し存続してきたの。
美形なだけではダメよ。頑健な肉体と知性も必要なの」
そうじゃない者もたまに産まれてくるけれど、そういう子は王位継承権は与えられないわ。
弟も賢いはずだったのだけれど。
「お前に会うまではね?」
アンネローゼは眉間に皺を寄せて言い放った。
「全部お前のせい、と言いたいところだけど弟もバカだったのは認めるわ」
「そんなの知らない!あっちから言い寄ってきたのよ!私は悪くないわ!」
女は椅子を揺らし地団駄を踏んだ。
「なによ!私はヒロインなのよ!こんなエンディングなんて知らない!王女なんて出てこなかったし、あの女だって婚約破棄の後は断罪されて斬首だったはずなのよ!」
「スウの事かしら。彼女は王太子の婚約者をおりた後は引く手数多よ?わたくしはスウが妹になるのを楽しみにしていたというのに」
「嘘よ、あの女が幸せになるなんてあり得ないわ!どのルートでも斬首か追放って決まってるもの!」
女は相当錯乱しているようだ。
「訳のわからないことばかりおっしゃるのね?」
怪訝な顔でアンネローゼは暴れる女をじっと見つめた。
女の言い分は支離滅裂だったが、どうやら自分が物語の主人公だと思い込んでいるようだった。
「とっても面白いお話が聞けると思ってたのに、気が触れてるだけだなんてつまらないわ」
アンネローゼはネリーから新しい扇子を受け取ると、女に近寄り囁いた。
「お前のせいで何人が人生狂わされたと思う?」
まずは弟ね。
お前達を諌めなかった側近達もよ。
全員勘当されて平民落ちよ?
彼ら本人は自業自得だけれど、親は爵位を下げられて兄弟姉妹は揃って縁談が流れたそうよ、お気の毒にね。
次は婚約者のスウ。
幼い頃から寝る間も惜しんで王妃教育を受けてたのに全て無駄になったわね。
ああ、でも彼女は幸せになると思うわ。
瑕疵が無いのだもの。
上のお兄様は急遽また王太子に任命されて、結婚式が延期されてしまったわ。
お前、ちゃんと聞いているの?
下のお兄様は王太子のスペアとして王家に残らなくてはならなくなったのよ。
婿入りが決まってたのに。
お相手もお気の毒よ、今からまた婿を選定し直さなきゃいけないのだもの。
お前達のバカみたいな真実の愛に加担した教師や使用人、その家族も、随分解雇されて路頭に迷っているそうよ?
「そ、そんなの知らない…」
女が力無く呟いた。
アンネローゼが微笑んだ。
「そうでしょうね、わかってたらあんなバカな事思い付くはず無いもの。魔力の少ないお前と子を為したところで王位継承権を持てる子など無理でしょうし。そもそもそんな子供のような身体ではねぇ」
フン、とアンネローゼは上品に鼻をならした。
「もちろんわたくしも迷惑を被ってますのよ。下のお兄様は新たに伯爵令嬢との婚約が決まったの」
アンネローゼの柔らかな筈の青い瞳は火花を散らすように激情を溢れ出させた。
「わたくしはその伯爵令嬢の兄と婚約してたの。子供の頃からずっと大好きだった人だわ。だけど同じ家から王族に嫁ぎ、嫁がれるなんて今の政情を考えたらあり得ない話。
お陰で私は想い人から引き裂かれて遠い異国の地に嫁に出されることになったわ」
アンネローゼは少しの間口を噤んだ。
自分を落ち着けるかのように。
「お前のせいでなにもかも台無しよ」
数日後、女は足の腱を切られ深夜にひっそりと馬車で連れ去られた。
そして、どこかの街の安娼館に放り込まれた。
姫様は「お風邪が治った」ということで、再び社交に参加していつも通り華やかに過ごされた。
姫様は、終始機嫌が良かった。
帰路の途中、夜風のあたる宿のバルコニーで、アンネローゼは意を決したように背後に控えていた一人の騎士を呼んだ。
「ねえ、アラン……もう良いわ、わたくしを拐ってにげてちょうだい」
アンネローゼが騎士の鍛えられた腕に愛おしげに触れる。
アランと呼ばれた騎士はアンネローゼを無言で抱き寄せ、美しい額にキスを落とした。
「姫様のお心のままに」
避暑地を後にしたアンネローゼ一行は、何か事情があったのかしばらくある街に滞在していた。
長雨の続いたある日、アンネローゼは珍しく周囲の忠言も聞き入れず、無理を言って悪路を出発させた。
数日後、川縁で暴走して一行から先行する形になった馬車が横転し、何故かアンネローゼと側近の騎士の二人だけが運の悪いことにその身を外に投げ出された。
侍女や騎士の証言から二人は荒れ狂う川へ転落したとされ、行方不明になった。
アンネローゼを特に可愛がっていた国王は捜索を続けたが、一向に手掛かりは掴めず結局数年で捜索は断念された。
正妃は何か知っている風でもあったが…この件に関してはついぞ意見することはなかったが、侍女や騎士を責を負わせるのはやめるよう王に進言した。
そして、いつの間にかネリーやリリーも職を辞し、行方知れずに。
王女アンネローゼ、側近であり婚約者であった伯爵子息アランの名は…それ以降歴史の表舞台に出ることはなかった。