第七話 侍女登場
辰月様は私の背中に腕を回されたまま、体の向きを仰向けから横向きに変えられました。そのおかげで私は寝台に横になれたのですが、辰月様は私を抱き締めたままでらっしゃいます。私が落ちないようにと腕で支えてくださったのでしょうけれど、もう大丈夫ですよ?
私は今すぐ離してほしいと思いましたが、このままこの時間が続いてほしいとも思ってしまいました。そんな矛盾した考えが頭の中でぐるぐるとしだし、私はもうどうしたらいいのやら。心臓のことを考えれば今すぐ自由の身になることが最善なのでしょうが、それは少し寂しい気がします。
「そうだ。もう一回、名を呼んでくれないか?」
辰月様の息が額に当たりました。密着しているだけでどうにかなりそうなのに、息までかかるなんて……。ああ、ぼうっとしている場合ではありませんね。指示に従いませんと。
「はい。辰月様……」
「本当は顔を見て言ってほしかったが……まあいいか」
今の状態だけでいっぱいいっぱいなのに、辰月様に視線を向けるだなんて無理です。しかも目が合ったりしたら本当にどうなるのかわかりません。さらに全身が熱くなってのぼせるのは確実でしょう。
「すみ……努力いたします」
私はまた謝罪しそうになったので別の言葉を言おうとしたら、おかしな返事になってしまいました。
「ふふっ。おやすみ、美鶴」
「おやすみなさいませ。辰月様」
私は辰月様の腕から解放されましたが、しばらく全身が熱いままでした。
早いことに、私が辰月様と出会ってから一週間が経過しました。私の全身の傷跡も、今では何処にあったのか分からないくらい綺麗になっています。
「顔の傷跡もすっかり綺麗になったな。ほら、鏡だ」
「ありがとうございます。わぁ……。何の跡も残っていませんね」
私の顔は薬と石けんの効果でつるりとしています。これは久しぶりのことなので、私は自分の顔を色んな角度から凝視しました。
「――がさらに――になったな」
「え? え、ええ」
辰月様はなんとおっしゃったのでしょう。聞き返していいものなのか、それともそのままにすべきなのか。
辰月様の言葉がわからないままにしておくのは失礼ですが、生贄ごときが神様に言い直していただくなんて畏れ多くて出来ません。
「おっと、言い忘れるところだった。今日の午後、目医者が来てくれるんだった」
「私の目を診て下さるのですか?」
もしや目玉も召し上がるのですかね? そうなると視力が良いほうが好ましいと。ふむふむ。
肉だけでなく他の部分も余すことなく召し上がってくださるなんて嬉しいです。肌と肉以外も頑張らねばなりませんね。……何をしたらいいのか不明ですけど。
「ああもちろんだ。俺が仕事を抜けて一緒にいるから安心してくれ」
「ありがとうございます」
辰月様が指名されたお医者様ですから何も心配することはありません。しかしやはり慣れぬ場所で一人だと心細いですし、緊張して何をしでかすかわからないのでとても心強いです。
「それとだ。もう俺の匂いがついたから、美鶴のために侍女を呼んだ」
「じ、侍女ですか? 私に?」
匂いとやらも気になりますが、侍女のほうが気になります。侍女というのは身分が高い方の世話をする方ですよね。それなのに私などのために侍女がつくそうです。
「ああ、俺の――になるのだから当然だろ?」
またも聞き取りにくい単語が登場しました。
「ええ、はい……」
話の流れを考えると生贄ですかね。神様の生贄にもそれ相当な対応をされるのでしょうか。
「じゃ、二人とも入ってくれ」
なんと私なんかのために侍女の方が二人もつくそうです。二人ですよ? いいのでしょうか。そう思っているうちに襖が開きました。
「失礼いたします。今日から私達が美鶴様のお世話を担当することになりました。私は本多と申します」
「私は紺野と申します」
お二人は揃ってペコリとお辞儀をなさいました。彼女達につられて私もお辞儀をしました。
「こちらこそよろしくお願いいたします。私は美鶴と申します」
私の見間違えでなければ、本多さんは狸さんで紺野さんは狐さんです。……顔を上げてもう一度見てみても狸さんと狐さんです。袴姿の狸さんと狐さんです。人間のように二足歩行をする狸さんと狐さんです。
神様の世界では人型でない方も喋るし二足歩行もするのですね。他の動物さん達もいるのでしょうか?
「早速ですが、辰月様。何故美鶴様は寝間着のままなのですか?」
「もしやずっと寝間着のままでいらしたのですか?」
毎日取り替えられているので私は新しい寝間着を着ていますが、言われてみればずっと寝間着ですね。
「え、外出しないのだから別にいいだろ?」
「よくありません」
「どうりで寝間着の取り替えの指示しかないはずです」
どうやらお二人がいつも新しい寝間着を用意してくれていたようです。私はすかさずお礼を言いました。
「それが私達の仕事でございますので、お礼を言われる程のことでは……」
「ええ、神にお仕える出来るなんて大変光栄なことなのです」
「神……」
これは私ではなく辰月様のことですから、偉くなったなどと勘違いしてはなりません。
「ふっ。ああ、神だ。俺は一人前になったからな。だから美鶴を迎えられたのだ」
「ええ務めを果たせるように頑張ります」
私は頑張って美味しい肉になって辰月様に食べていただきたいです。そのためには沢山食べて良い肉になりませんとね。
「務めだなんてそんな堅苦しい風に考えなくていいのに」
「ええ……」
返事をしたものの、私を食べていただかねば村の皆が苦しみ続けることになります。ですので、しっかりと生贄の務めを果たせるように準備しておきましょう。
「あ、そろそろ行かないと遅れてしまう」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
私がこう言い終わると、辰月様に抱きしめられました。思い返せば、出会って二日目の夜の出来事からでしょうか。辰月様は私の体にピタリとくっつかれるのです。
初めのうちは照れと戸惑いがありましたが、私は気付いたのです。これは私の肉付きを確認するための行為なのだと!
「まあ!」
「うふふ、ご馳走様です」
そして本多さんと紺野さんのこの言葉で確信が持てました。
(ご期待に沿えるよう尽力せねば!)
辰月様が出て行かれた後、侍女のお二人が私の髪を梳かしたり着物を着せてくれたりと世話をしてくれました。侍女なのだから私の世話をするのは当たり前なのですけど、自分で出来るのに誰かにやってもらうのはなんだか不思議な感覚です。
「明日には美鶴様のお着物がご用意出来ると思います」
「今日はこちらでご容赦ください」
「そんなっ、私にはこちらのお着物だけで十分ですよ」
どなたかがお召しになっていた着物なのでしょうが、古びた様子はなく新品のように見えます。柄自体も息を呑むほど美しくて心を奪われそうになりました。こんなに上等そうな着物を着られるだけで身に余るのに。
「神の――になられるお方に他の方が着用済みの物をお着せするなんて出来ません」
「そうですとも。美鶴様のために誂えたお着物を着ていただかなければ、月の一族は立つ瀬がなくなります」
着物を一から作るのは時間がかかると思うのですが……。恐らくはすでにある反物から、ですよね?
「そうなのですね」
「そうなのでございますよ。……美鶴様、月の一族のお方でよかったですね」
「ええ、太陽の一族でしたら暑苦しくて大変だったと思いますよ」
お二人はこれまでと違い、可愛らしいお顔を歪ませました。牙もチラリと見えています。
「そうなのですか?」
私はお二人の変わりように驚くしかありません。
「存在自体が暑苦しいと言うのに、言動がもう……」
「熱血だかなんだか知りませんけど、何故ああも喧しいのやら」
これは愚痴なのでしょうか。いえ、一族同士の軋轢やら確執でしょうか。
「それに比べ、月の一族はと言いますと――」
この後、お二人は小一時間ほど月の一族の素晴らしさを教えてもらいました。そして話が落ち着いた頃、お二人が私に話を振ってくれたのです。
「ところで美鶴様はいつも何をして過ごされているのですか?」
「この部屋から出てはならなかったのですよね?」
「ええそうです。私も辰月様に何か仕事がないかお尋ねしたのですが、何もしなくてよいと言われまして」
これはきっと肉を蓄えるために動くなということだと思います。そのおかげで肉がついてきましたもの。
「それでずっとこの部屋の中で何もせずに?」
「えっ、そんなまさか。何か暇つぶしが出来る物があるのですよね?」
「はい。こちらの本をくださいました」
私は棚から本を取り出し、お二人に見せました。この本は画集のようで文字は書かれていません。辰月様は私が文字を読めないと思われたのかもしれません。あるいは人間と神様では文字が違うのかもしれませんね。いずれにしろ気遣ってくださったのでしょう。
「……まさかこれだけですか?」
「あまり厚さのないこの本だけなはずないですよね?」
「え? こちらだけですよ?」
お二人はポカンと口を開けて驚いていました。
侍女の二人が喋るときは、本多→紺野の順で喋っています。