第六十五話 式
ついに辰月と美鶴の結婚式が始まった。人間の結婚式は人を招待して食事をするそうだが、こちらでは日頃世話になっている者達に結婚の報告を兼ねた挨拶をするだけである。
(とても良い部屋を借りられたなぁ。臘月兄さんに聞いてよかった……)
やはり経験者に聞くのが一番である。かく言う臘月も先輩から教えてもらったそうだ。きっと辰月も誰かに教えるのだろう。
(美鶴は横顔も可愛いなぁ。今日は美しいと言ったほうがいいんだろうけど、可愛いなぁ……)
彼はにやけるのを必死で堪えていた。しかし無理そうなので、それなら多幸感を全面に出そうかと彼は考えた。
(うーん、駄目だ。鏡を見なくても微笑みではなく、にやけ顔になっているのがわかる)
なんなら鼻の穴も広がっているかもしれない。
(美鶴に変な顔は見せられない。しっかりしろ、俺)
彼は仕事中の時を思い出し、身と心を引き締めた。これなら間抜けヅラにはならないだろう。よかったと安堵したら最初の招待客が入っていた。
次々と辰月様のお知り合いが部屋に入ってこられます。全員を同じ時間ではなく、時間帯をずらして招待されたそうですよ。沢山来て下さるようですから、挨拶までに待ち時間が出来てしまいますものね。
そして恥ずかしい話なのですが、影に入っている侍女のお二人からその都度どういうお方なのか教えてもらっているにも関わらず、大勢いらしているので、もうどなたも顔と名前が一致しておりません。流石にお目にかかったことがある方々は記憶に残っておりますが、それ以外の皆様は私の記憶力だと曖昧になってしまいました。
まるで押し寄せる波のようですね。……すみません、格好いいことを言ってみたかっただけです。波ってこちらに来たと思ったらすぐに消えてしまうので、今の状況に似てるかもと思ったのですよ。
私が自分の情けなさを再確認したところで次のお客様が入って来られました。
「辰坊、美鶴さんおめでとう」
大変お美しい女性です。あら? 耳のお医者様もご一緒のようです。ということはこちらの女性が弥生様でしょうかね。
「辰月さん、美鶴さんおめでとうございます」
耳医者の女性は長月さんとおっしゃるそうです。あ、長いはちょうとも読みますよね。それで蝶々のお姿に? それとも聴覚から?
などと悩んでいたら、弥生様が私の目の前に。近くで見てもお美しい……。お隣の長月さんも。あわわ……。着飾っている私よりも輝いておられる……。
「ふふっ、噂で聞いていた通りとても美しい子じゃないか。よく見つけられたね」
「ええ、俺は日頃の行いが良いのでそのおかげでしょう」
辰月様の日頃の行いが良いのは異論ありませんけれど、その結果が私で良いのですか?
「確かにお前は昔から良い子だけど、巡り合わせが良すぎるんじゃないかい? 引きが良すぎるというかさ」
「きっと美鶴さんの力もあったからじゃないかしら?」
「私の力ですか?」
「そうよ。だからお互い素敵な方に出会えたのよ」
「おや、いいこと言うじゃないか」
私の力……村ではずっと縫い物しかしていなかったですが、何かしましたっけ? 辰月様ほどの素晴らしいお方と出会えるなんて相当特別なことをしていないとなりませんよね。うーん、記憶にないですねぇ……。
「ってことは、あの日俺が美鶴と出会うのは必然だったと」
「引きつけ合う何かがあったんだろう」
私が考え込んでいる間に話が進んでいました。皆さん笑ってらっしゃるので私も一緒に微笑んでおきましょう。
「あら、そろそろ時間ね」
お二人は「また今度じっくり話そう」とおっしゃって退室なさいました。
どの方も次に会う挨拶していかれます。私以外には「今度」がありますものね。「今度」の中には私はいないのです。やはり決意していても辛さがあります。しかし辛気くさい顔はしてはなりません。だって、とても誉れなことなのですから。
「疲れたよな。あと少しで終わるから、もう少し辛抱してくれ」
一瞬顔が強ばっただけですのに見逃さないとは、流石辰月様です。
「えっ、はい。頑張ります」
ずっとお客様に挨拶をしていて忙しかったのですが、言われてみると少々小腹が空いていますね。お昼は過ぎているのでしょう。……流石に夕方にはなっていませんよね?
「俺も頑張って空腹と戦っている。あー昼食の休憩を挟めばよかったかなぁ。けどなぁ……」
辰月様は私よりもお辛いと思います。大食漢でらっしゃるのでお腹が空くのも早いでしょうから。
侍女のお二人によると、この豪華な部屋は豪華な分だけ貸出料金がお高いようで、借りる時間を短くするために休憩時間を取らなかったのだとか。
「腹が鳴ったらすまん」
辰月様のお腹は鳴ることがなく、無事に最後のお客様を見送れました。部屋中に安堵のため息が充満しそうになった時です。
「あっ」
和らいでいた辰月様の表情が一瞬で強ばりました。いえ、見た事がないほど真剣な顔つきに変化したと言うべきでしょうか。
「お客様がいらっしゃいました」
「――様です」
部屋の外にいる馬さんの侍従さんと侍女さんの声でしたけど、侍女さんはなんと言ったのか聞き取れませんでした。お名前だと思うのですがどなたでしょうか?
『美鶴様、今すぐお辞儀をなさってください』
『そしてそのまま顔を上げずにいてください』
『決してお姿をご覧になってはなりません』
『人間である美鶴様だとどうなってしまうかわかりませんので』
私は何が何だかわからないまま指先を畳につき、頭を下げ念のため目を瞑りました。侍女の本多さんと紺野さんの声色からただ事でないのを察したからです。現に空気が何やら圧迫感というか緊張感というか、少しでも気を抜いたら倒れてしまいそうな、それほど荘厳なものに変化しています。
圧倒された私の背中に冷や汗が流れ落ちた時、襖が開きどなたかが入室されました。足を擦る音はなく、衣が擦れる音だけします。これだけでも今までの皆様とは違う次元の神様であるのがわかります。
「――――」
「ありがとう存じます」
お客様はこの後辰月様と二言三言会話なさったら退室されました。
会話の内容は私の心音が煩くて聞き取れませんでした。……いえ違いますね。辰月様のお声は聞こえていたのですから、きっとお客様の声だけ私の耳では聞き取れなかったのです。
「ああ、驚いた……」
辰月様のこの一言で一気に場の空気が戻りました。そして一同脱力。影から出て来た侍女のお二人もぐったりとしていました。
「美鶴、大丈夫か? 想定外だったんだ。すまない」
「え、ええ……」
私はいつの間にか辰月様に支えられていました。これまでよりも一段と心強くて温かな気がします。呼吸もなんだか楽になったと思ったら、どうやら緊張のあまり息を止めていたようです。意識しなくても出来ることなのにし忘れるとは……。
「いくら時間が出来たからって、こんな下っ端のところにいらっしゃるとは……。そもそも日程をご存じだなんてさ、もうただただ驚くほかない」
仮に耳に入ったとしても覚えて下さっているなんて奇跡だそうです。
「それだけ辰月様を気にかけてくださっているのですね。どのような会話をなさったのですか?」
「ふふっ、大事にしろって言われた」
辰月様はとても幸せそうな顔をなさっています。
「大事に? 何をですか?」
「美鶴に決まっているじゃないか」
すでに大事にしていただいております。これ以上はないほどに。しかしそれは今日まで、後数時間ですけどね。……うーん、最期まで大事にしなさいと言うことでしょうか?
「あっそうだ。こうしている場合じゃない早く撤収しないと」
「そ、そうでしたね」
時間が過ぎたら余分にお金がかかってしまいますものね。すぐにここから出ませんと。牛車も待ってらっしゃいますしね。私達は大慌てで片付けて退室いたしました。
帰りの牛車を引くのは侍女さんです。行きもでしたが帰りも注目の的でしたよ。道行く皆さんの歓声が聞こえましたもの。馬さんの侍従さんと侍女さんもお客様に大人気でしたので、四人に良いお仕事が来ることでしょう。引っ張りだこになるかもしれません。……専属と自由契約はどちらがいいのでしょうね?
いつもの部屋に戻り着替え終わると、夕食の時間に近いですけど昼食が届きました。いえ、間食と呼んだほうがいいでしょうか。辰月様は余程空腹だったのか、両手におにぎりを一つずつ持って頬張ってらっしゃいます。私は今食べてしまったら未消化になってしまうので手を付けずにいたら、辰月様達に勧められました。内臓に食べ物が残っていていいのですかね? 内臓は召し上がらない?
「夕食は普段より遅めの時間に来るそうです」
「呉服店からお借りした髪飾りは私達が返却いたします」
「よろしく頼む」
「ありがとうございます」
辰月様のお口の中にどんどんおにぎりが入って行きます。私も負けじとおにぎりに齧りつきました。
あと3話で1章が終了です。(2章は数話しか書けていないので公開はまだ先になります)




