第六十一話 贅沢
夕食まで辰月様は畳の上で横になっておられました。ゴロゴロを体験なさっているのですね。規則正しい寝息が聞こえて来ましたので、風邪を召されないように私の膝掛けをかけて差し上げました。
対する私は雑誌を読んで勉強をしておりました。文字を指でなぞったり、つぶやいてみたり。侍女のお二人と読んだときに鉛筆でふりがなを書いておいたので、それを隠しながらやりましたよ。
さて次は文字を書く練習をしようと思います。
(先ほど練習した半紙の隅に書こうと思いましたけど、字を書きすぎてほぼ真っ黒ですからねぇ。いえ、鉛筆で書いた跡は光るからいけそうですよ……)
もう乾いているので試しに墨で書いた上に鉛筆で書いてみました。見辛いですけど、見えなくはないですね。このまま練習しましょう。辰月様に教えていただいた通りに、こうやってこうですね。ふむ、悪くはないでしょう。
「え、いやいや、無理があるだろ」
「ひゃー!」
耳元でよいお声が! 耳に吐息が!
「ひゃーってそんなに驚かなくても」
辰月様がお目覚めになったようです。真剣になっていたので全く気付きませんでした。
突然声を掛けられたので心臓が飛び跳ねましたが、すぐに落ち着いてきました。
「紙の節約か? 俺の貯金はまだまだ沢山あるから存分に使ってくれていいのに」
「どうせすぐに捨ててしまうので、新しい紙だと勿体ないかと思いまして」
「そっか」
辰月様は笑顔でこうおっしゃった後、やや眉間に皺を寄せられ何かを考えておられました。
「どうされました?」
「もしかして村でもこんなことを?」
「いいえ、そんなことは……」
「ならいいんだ」
もしかしたら私は久しぶりに筆記道具を持てて嬉しくて、文字を書いてみたかったのかもしれませんね。ですが一番の目的は少しでも賢くなって美味しい脳みそになることです。辰月様に感謝のお手紙も書けたらいいですけど、ただの生贄から貰っても喜んでくださるかどうか……。
「見にくかったら、正しく書けているのかも見えないだろう? だから次からは新しい紙で練習しよう」
「はい。わかりました」
私が新しい紙を出そうとしたら辰月様に止められました。
「ふふっ、けど今は直に夕食だから片付けようか」
なんと、もう日が沈みかけておりました。
片付けが終わるといつの間にか夕食が部屋の中に置かれていました。いつ見ても不思議ですねぇ。匂いだってこんなにするのに、実際に目の前に現れるまで認識されないのですから。
「おー今日は牛鍋だ」
「こっ、これが牛鍋……」
ぐつぐつと音がし、湯気と匂いが部屋に充満しています。これだけで唾をごくりと飲み込んでしまいました。
「フッ、その様子だと食べたことないみたいだな」
「ええ、ぼたん鍋やもみじ鍋ならあるのですけど牛鍋は初めてです」
生卵につけて食べるのですよね。辰月様の真似をしながら一口食べてみました。
「!」
言うまでもなく美味です。牛肉と生卵の組み合わせを思いついた人にお礼申し上げたいです。
ああ、今日はとても幸せな日です。お昼にうな丼、おやつには鹿の子をいただいた上に夕食には牛鍋を味わえているのですから。あ、まだチョコレートがあるのでしたね。
「ネギもとろりとしていて美味いなぁ」
「はふはふ……」
「気を付けて食べるんだぞ」
「はひ」
私は無我夢中で食材を頬張りました。牛肉は猪や鹿とは違った匂いがしますが、さほど気になりませんので、どんどん食べられましたよ。
「美味かったぁ」
「はい。白米とも相性抜群ですね」
「だな」
いつものように気付いたら食べ終わった食器類は消えていました。残ったのは満腹感だけです。
「今日は贅沢したな」
うな丼だけでなく牛鍋もですからね。お菓子もいくつか購入しましたし。これは間違いなく、私の肉が美味しくするためでしょう。美味しい物を食べれば美味しくなるのですからね。追い込みってやつです。
どれも残さず食べたので、良い肉になってくれることでしょう。それにこの幸福感も品質向上に良い効果をもたらすでしょうしね。
「ではお待ちかねのチョコレートだ」
辰月様が包み紙を剥がされると、中から板状の濃い茶色の食べ物が出てきました。それと同時にふんわりと嗅いだことのない香りがしました。似た香りを知らないので表現しづらいですけど、とても良い匂いです。
「これがチョコレート……」
「俺も初めて見る。ここの窪みで割るのかな」
茶色い板に格子状に筋が入っています。辰月様が一番端に力を入れるとパキッと音を立てて割れました。
「まずは一かけ食べてみよう。ほら」
「ありがとうございます」
ついにチョコレートを食べる時が来たのですね。どうやらキャラメルよりも溶けやすいようで、匂いを堪能していたら指についてしまいました。
「結構甘いんだな」
ハッ、辰月様はもう召し上がっています。私は慌ててチョコレートを口に入れました。
「これは……」
溶けたチョコレートが舌に絡みつき、甘さの奥にほろ苦さを感じました。
「もっと食べるか?」
「ええ、もっとくださいませ」
私達は二つめをじっくりと味わいました。独特の香りと味が癖になりそうです。うーん、口いっぱいに頬張りたい……。チョコレートの匂い袋があったらずっと嗅いでいると思います。
「アイスクリンに合いそうだな」
「ええそうですね。私もそう思っていました」
美味しい物と美味しい物ですからね。美味しいに決まっています。間違いありません。
「初めて食べた俺達でさえ思いつくんだから、もうありそうだな」
「そうですね。溶かしたチョコレートがかかったアイスクリンの姿が容易に想像出来ますね」
「え、練り込まれてるんじゃないか?」
「え、白と茶色のしましまですか?」
「え、薄い茶色になっているんじゃないか?」
「……ほう」
「……どれも美味そうだな」
「ええ、本当に」
私はこっそり唾を飲み込みました。そしてまた味わうために、チョコレートはとっておくことにしました。
「じゃあ次はキャラメルだ」
「キャラメルもですか?」
「嫌か?」
「嫌ではないですけど、お昼にも鹿の子もいただきましたし」
む、もしや甘い肉になさりたいのですかね? ならば塩ではなく砂糖を揉み込まねばならなくなります。
「ああ、太るのが嫌とかか?」
「え?」
太ったほうが可食部が増えるからよいのではないですか?
「あれ? 違うのか?」
「え、あの……」
もしや脂がお嫌なのでしょうか。そうですよね、胃もたれしますものね。
「腹がいっぱいとか?」
「えっと……」
これは「生贄のくせに太るのが嫌と言うつもりか」とおっしゃりたいのでしょうか?
「まさか口移しをされるんじゃないかって警戒してるのか?」
「えっ!」
ここ最近は口移しの練習をしていなかったので、思い出さずに済んでおりましたのに、今ので思い出してしまいました。
「顔が赤くなった」
「あ、その……」
「可愛いなぁ」
辰月様の手が私の頬に。そして唇をなぞられております。頬に手を添えられたままなので親指でしょうか。
「何故照れているんだ? いつもしているだろう?」
「あ、あれは接触しているだけです」
ふとした瞬間に、ほんの一瞬だけ、本当に触れるか触れないかです。ええ、ですので別に大したことないのです。特筆すべきことではないのです!
「ほう、そういう認識か」
う、なんだか嫌な予感が……。辰月様の視線が絡みつくというか粘っこくなったというか。
「では次からもう少し濃厚なものにしよう」
辰月様のおっしゃる「次」とは「今」でした。
翌朝、侍女のお二人が来ましたが、いつもより荷物が多いようです。話を聞くと、なんと他の侍女の皆さんから預かって来た物だそうです。一体何なのでしょう?
「開けてみよう」
そっと包み紙を広げると中から革製の手袋が出てきました。手首部分に小さなリボンがついておりますね。
「綺麗な色だな」
「素敵ですね」
もう一つ包みがあるので開けてみると、こちらには男性ものの手袋が入っていました。
「お土産のお裾分けのお返しだそうです」
「これから寒くなるので手袋にしたそうです」
こんなに良い物を貰っていいのでしょうか。それに私は本格的に寒くなる前にいなくなってしまうのに……。
「そうか。では手袋のお返しにキャラメルを渡そう」
辰月様は侍女のお二人に一箱ずつキャラメルを渡されると、お二人はお礼を言いとても大事そうに抱えました。
「うふふっ、ずっとお返しが続いてしまいますね」
「俺は構わないぞ」
部屋に皆の笑い声が響きました。




