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第四十七話 ふにふに

「はははっ! 危うく貝殻を踏むところだったよ」


 辰月様はすぐに貝殻に気付いて跳び越えられたそうです。


「すみません……。すぐに片付けます」

「いや俺がやるよ」


 辰月様は私が腰が抜けているのに気付いておられたようです。は、恥ずかしい……。辰月様はひょいひょいと手際よく貝殻を回収され、元の位置に戻されました。少し向きが違っていますが、こちらのほうが見栄えが良い気がします。私があれほど悩んで配置したのに、辰月様はものの数秒で……。むむむ……。


「こっちもどうにかするか」

「あ……」


 辰月様はお風呂場に続く襖に視線を移されました。そこからは侍女のお二人の声が聞こえてきます。辰月様がつっかえ棒を外すとお二人が飛び出てきました。


「みちゅるしゃまぁああん!」

「ごぶじでちたかぁああん!」


 私は走って来たお二人を抱きとめ、背中を撫でました。そして心配かけたのと閉じ込めてしまったのを謝罪しました。


「そんなことはいいのです!」

「ご自分を犠牲にしようだなんて、おやめください!」

「すみません……」


 今思えば軽率でした。反省しております。二度としません。


「いや、俺が遅れたのが悪い。皆、怖かっただろう」

「いいえ、邪鬼は私が狙いだったのですから、私のせいです」


 むしろ辰月様は助けて下さった恩人です。大恩人です。


「ん? 何故、美鶴が狙いだと思ったんだ?」

「名前を呼ばれましたので」


 しかも辰月様の声真似までして。かなり悪質です。


「邪鬼に名を呼ばれていたのか?」

「はい。何度も呼ばれました」


 似ていないのですぐに偽物だと気付きましたけどね!


「ええ、そうなのです。美鶴様は何度もお名前を呼ばれておりました」

「それなのに邪鬼に操られることはなかったのです」

「ほう……。念には念をと思って呼び名を変えたのが功を奏したか」


 私の本名は美鶴子(みつこ)です。……横取りされないようにと私の名を変えたのですかね? ふむふむ。


「まぁ、人間は名の他に氏もあるから、よほど力がある邪鬼でないと本名を知られても操れなかっただろうがな」

「小さなお子だったら危なかったですね」

「疑いもせずに反応してしまっていたでしょう」


 確かに名を呼ばれたら知り合いかと思うかもしれませんね。名前がこんなに重要だっただなんて、ただ驚くしかありません。


「何はともあれ皆が無事でよかった。まだこうして喜びを分かち合っていたいが、俺は持ち場を離れてしまったからそろそろ戻らないとな。あー……叱られるんだろうなぁ」

「邪鬼を倒されたのにですか?」


 危機を排除してくださったのにおかしいです。もし辰月様が叱られたら抗議しに行きましょうかね。


「まだ勤務時間中だからなぁ。勝手な行動は慎まないといけないんだ……」


 他にもまだ邪鬼がいるかもしれないとのことで、辰月様は部屋から出て行かれました。ちらりと見えた外には星空が見えました。辰月様は星空を背景にしても引けを取らないようです。むしろ勝っているようにも見えました。




 辰月が同僚達に合流し事情を説明すると案の定、苦言を呈された。後日正式に処分を言い渡されるらしい。


「で、そいつは他のより大きかったんだな?」

「はい、そうです」


 他のは人間の子どもほどの大きさだが、そいつは牛よりも巨大で上半身は人型で下半身は大蛇のようだった。


「じゃあそいつが本体だな。よかったな。邪鬼の本体を討伐したから注意ぐらいで済むぞ」

「待ってください。本体とは? 姿が全く違いましたよ?」


 どうやら美鶴を襲おうとした邪鬼は分裂する種族だったらしく、本体が討伐されると同時に分裂体も消えたそうだ。


「お前、力加減をせずに倒しただろ。俺のいた場所でも気を感知出来たぞ」

「大袈裟だよなぁ。知恵が働くだけで大した邪鬼でもないのに」


 これは彼らにとっては大したことがないだけで、美鶴ら人間や非戦闘員からしたら十分脅威である。


「言ってやるな。可愛い奥さんを思って必死になっちまったんだろう」

「フッ、格好つけたかったのか」


 辰月はからかわれてばつが悪そうな顔になった。彼らに言われた通りなので恥ずかしくて仕方なかったようだ。思い返せば頭に血が上っていたので、加減など考える余裕はなかった。よく周囲を破壊せずに済んだものだ。


「あー俺も彼女欲しい……」

「俺も……」

「お前は彼女いるだろ!」

「別れた……」


 辰月は彼らの話を無視して、他の者達に美鶴が邪鬼に名前を呼ばれていたのについて話した。


「本名でなかったので大事には至りませんでした。邪鬼が彼女の名を知ったのは恐らく海岸だと思います。そこで彼女が俺の知り合いに自己紹介をしたので、その時に聞いていたのでしょう……」


 辰月は予め彼女に注意しておくべきだったと悔いた。彼は彼女を無闇に怖がらせてはいけないという思いと、自分が携わっている仕事に自信を持っていたので脅威は訪れないと慢心していた。だがそのせいで彼女達を怖がらせてしまった。


「そうか。わざわざ呼び名をつけるほど用心している辰月が言うわけないからな」


 辰月はこの点だけは過去の自分に感謝した。


「邪鬼は行楽地で得物の物色していたってわけか。他の場所にもいるかもしれないから、昼番のやつに巡回を強化するように伝えておこう」


 辰月達も念のためと他の班に連絡して観光地や繁華街を見回ったが、夜だからか別の個体は発見されなかった。取りあえず平穏が訪れたようである。




「ただいまー」

「お帰りなさいませっ」


 辰月様が帰ってらっしゃいました。今回はちゃんと起きておりましたよ。まぁ、途中でうつらうつらしましたけど。


「今日は起きてたかー」

「はいっ」


 言われてしまいました。それにしても耳元で話されるのには一向に慣れませんね。息が当たるので体がむずむずします。


「別に寝ていてもいいのに」

「辰月様が頑張っておられるのに、ただ寝ているだなんて出来ません」

「可愛い寝顔が見たいのに」

「なななっ」


 間抜けであろう寝顔を可愛いだなんて。お世辞だとわかっているのに頬が熱くなってしまいます。こう密着していたら辰月様にバレてしまいますね。あ、離れていても顔を見られたら丸わかりでしたね。


「食事と風呂は済ませてきたから、もう寝るだけだ」

「そうですね。……あ、ボディクリームを塗りませんと」


 忘れませんでした。ちゃんと覚えておりましたよ。フフンッ。


「おお、そうだな。美鶴の背中にも塗らないと」

「もう本多さんと紺野さんに塗っていただきましたよ」


 お二人の肉球を堪能出来なかったのが心残りですけれど。


「なっ、寝る前の楽しみが……」


 顔が青ざめるほど楽しみでらしたのですね。それほどまでに肉の質感の確認をなさりたいと。

 おや? 辰月様が何かぶつぶつと言っておられますね。んっと……ふにふに? なんでしょうか、ふにふにとは。ふにふに……。


「いや、寝間着の上からでもいけるか……」

「ええ。いくらでもふにふになさってください」


 ふにふにが何なのかよくわかっておりませんけど。きっと肉質を確かめる際の何かでしょう。


「えっ!」

「え?」


 辰月様は目を見開いて大変驚いておられます。驚かれたお顔も整っておられますね。素晴らしいです。


「いい、のか? ふにふに……」

「お好きになさってください」

「なっ、あ……。う……駄目だ。耐えられる自信が皆無だ」


 つい食べてしまうと?


「では辰月様の背中に塗るだけにいたしましょうか?」

「ああうん。そうだな。…………あ!」


 辰月様は目を輝かせてらっしゃいます。何か名案を思いつかれたのでしょう。ええっと、……え、俺をふにふにしろ? ちょっと何をおっしゃっているのかわかりません。


「ほら、いくらでも構わんぞっ」


 辰月様はそうおっしゃると目にも留まらぬ速さで寝間着を脱がれました。もちろん上だけですよ。

 相変わらず筋肉でぼこぼことしたお体でらっしゃいます。どこにどの筋肉があるのかわかるほどです。一体どれだけの鍛錬を積み重ねたらここまで立派な体つきになるのでしょう。


「ほらほら」

「えっ、ええ……」


 どうしましょう。ふにふにが何なのか聞きませんと。けれど、語感からすると選択肢は一つしかないように思えます。


「失礼いたします」


 私は辰月様の胸部に手を当てました。




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