第四十六話 絶体絶命
辰月はいつもより暗い夜空を飛行していた。どうやら雲が出ていて月や星が隠されているようだ。
(くそっ手間取っちまった。なんで次々と邪鬼が出るんだよ)
狙ったかのように彼の進路に邪鬼が出没するのだ。彼は先を急ぎたかったが、見逃すわけにもいかず逐一退治していた。そのせいで到着まで通常の倍近く時間がかかってしまっていた。
(美鶴達は無事か? こんなことなら近所の人に連絡して様子を見に行ってもらえばよかったな)
彼はさらに力を込めて空を飛んだ。一秒でも早く彼女の元に行けるようにと必死だった。
(それにしても邪鬼にまるで手応えがなかったな。だからこの時間で済んだんだが、何かおかしい)
弱い邪鬼だとは聞いていたが、それにしても弱すぎる。加えて出没する量が異常なほど多い。
人間の世界に住むところにいる奴らは皆こうなのだろうか?
(弱いから数が多いのか? だがそれなら群れになっているもんじゃないか?)
種族によると言われたらそれまでだが、彼は気になって仕方がなかった。
(今はとにかく寮まで急がねば)
彼は思考に割いている力を飛行のために使った。
空路は最短距離で行けるから良い。だが風の流れの影響を受けやすいので慣れない者には危険な移動手段だ。今晩は特にそうだが彼はものともせず飛べる。これは日頃の鍛錬のおかげだ。彼は他に興味がなくてよかったと自嘲した。
(見えてきた!)
辰月は息をするのも忘れて先を急いだ。
『なあ頼むよ、美鶴』
「!」
今、名を呼ばれましたか? 何故、私の名前を知っているのですか? 侍女のお二人に呼ばれたのを聞かれたのでしょうか? いえ、この者が来てからは呼ばれていないと思います。ならばその前に? 一体何処で?
『聞こえているんだろ? 美鶴』
正体不明の者に名前を呼ばれるのってこんなに不気味なんですね。ぞわぞわとします。そりゃあ最初は辰月様のお声に似ていると思ってしまいましたけど、何回も聞くと全くの別物ですね。もう少し似せる努力をしろと言いたいです。
この後も『美鶴、開けてくれ』『開けてくれよー。いいだろ美鶴』と言われました。やれやれ、何処で知ったのか不明ですが、名を呼んだところで開けるわけないじゃないですか。私は返事をせずに無視することにしました。
それにしても聞けば聞くほど似ておりません。少しでも似ているなどと思ってしまい大変申し訳ないです。
『……ろ。あ……ろ』
声が小さくなりましたね。諦めたのでしょうか。これで一安心ですね。本多さんと紺野さんも震えが止まり顔を上げています。
『ア……』
かなり小さくなりました。諦めてこのまま何処かに行ってくれるといいのですけど。あ、それだとまた探さないといけなくなるので、このままが良いでしょうか? 取りあえず室内が暖かくなってくれるとありがたいですね。
私はそんな暢気なことを考えていました。侍女のお二人も緊張や恐怖が薄まったようなので、私が耳元で今後どうするか話し合おうとした時です。
『ココヲ開ケロォォオオオ! 開ケロォォオオオオ! ガァァアアアアア!』
耳を劈くような怒号がしました。もはや似てる似てないではなく、声なのかすら怪しいです。
人間の私ですら耳が痛くなるほどだったので、耳の良いお二人には衝撃が大きかったようで耳を押さえています。そして立て続けに大きな音がしました。
『早ク開ケヤガレェエエエエ!』
あ……な、なんですかこの圧迫感は! 空気が震え、家具もガタガタと音を立てています。私達は悲鳴も上げられずに、小さくうずくまって呻くしか出来ません。
『開ケロォォオオオオ!』
何かを叩いている音もしだしました。床から振動が伝わってきます。暴れているのかどんどんと大きくなっていきます。それは地震かと思うほどです。
(辰月様、お助けください……。どうか早く、早く来て…………あ!)
これだけ暴れ回っているのに襖を壊そうとしないのは何故ですかね? 揺れてはいますが、それだけです。襖なんてすぐに破壊出来そうなのに……。結界のおかげで手を出せないのでしょうか。ということは怯える必要はない?
そう考えてみたものの、実際に非日常の音や振動がしたら恐怖を覚えてしまいます。震えが止まりませんし、呼吸も浅くなっているようです。
わかっているのに、わかっているのに……怖くて行動に移せません。
(いいえ! 寒いから震えているだけです。怖くなんかないです!)
大丈夫、大丈夫です。こんな襖も壊せない者なんか平気です。
もう恐怖の震えなんてありません。私は怖がるお二人を励ますように撫でました。
『開ケロヨォオオオオオ! 人間ンンンッ!』
私はお二人に相手は声が大きくて暴れているだけだ、部屋の中にいれば危害を加えられる心配はないと伝えました。
「あんなの大丈夫ですよ。名前を知られていたからなんだっていうんです。ただそれだけですよ」
「しかし……あっ、そうです! 何故名前を呼ばれたのに平気なのですか?」
「邪鬼に名前を呼ばれると操られてしまうのですよ!」
「ええっ?」
何度も名を呼ばれましたよね、私。
『美鶴ゥー! 開ケロヨォー!』
今も名前を呼ばれましたけど……。何も感じません。不愉快に思うぐらいです。この後も名前を何度も呼ばれましたが、操られる感覚はないです。手も自由に動かせます。皆で何故だろうと首を傾げました。しかし不思議がっている間にも邪鬼はこちらに侵入しようとしています。
『クソォォオオオオ!』
邪鬼は強行突破しようとしているのか、襖に体当たりをし出したようです。ドシンドシンという度に襖と襖の間に隙間が出来ます。
これは……。開けられないと高をくくっていましたが、壊されてしまうかもしれません。
『ニィンゲンンンンー! ニィンゲェンンンンー! ニィインゲェエンンンンー!』
ど、どうしましょう、お風呂場に隠れましょうか。しかし再び体が震えだして上手く歩けません。私達は這いつくばるようにして風呂場へ続く襖に向かいました。大した移動距離じゃないのになかなか辿り着けませんでした。
『ガァアアアアアアア!』
お二人だけでもお風呂場に避難させなければ。邪鬼の狙いは人間、つまり私です。部屋に私しかいなければお二人が襲われることはないでしょう。私はお二人をお風呂場に押し込みました。
「なっ何を! 美鶴様もこちらにいらしてください」
「そうです! 早く!」
私はお風呂場に続く襖が開かないようにつっかえ棒をしました。これであちらからは開けません。ああ、正面の襖にも出来たらいいのに。出来ないことを嘆いても仕方ありません。って壊されたらつっかえ棒は意味ないですね。
そんなことより武器になりそうなものは……ないですね。貝殻でも置いておきましょうか。踏みそうな場所に並べて……あ。
(海、楽しかったですね……)
いいえ、思い出より生き残らねば。そうでないと二度と辰月様に会えません。……そうです、辰月様に召し上がっていただかないといけないのですから。村のために……。
ああいけません。決心したというのに、生贄になるのを惜しんでしまうなんて。辰月様ともっと一緒にいたいと思ってしまうなんて。しっかりなさい、美鶴。
弱気になっていたら襖にヒビが入ってしまいました。そろそろ危なくなってきましたね。私は握り拳を作って身構えると、それと同時に襖の隙間から光が入りました。
『グエェエエエエエッ!』
「え?」
今までとは違う声が聞こえました。まるで悲鳴のような、断末魔とでも言えばいいのでしょうか? 一体何が起きたのでしょう?
そういえばも振動も収まりましたね。心なしか寒さも和らいだような? 外の風の音もしなくなったような?
そう疑問に思っていたら、勢いよく襖が開いたのです。
「美鶴っ!」
「あ……」
辰月様です。お顔も温もりも骨格も、全て辰月様です。
「遅くなってすまない……」
「うっ……」
耳元で聞こえるお声も辰月様です。吐息も辰月様です。
「ごめんな……」
「ぐすっ……」
背中で感じる手の平の感覚も辰月様です。
「もう大丈夫だ」
「はいぃ……」
お優しい目元の笑顔も辰月様です。
「ところで……」
「なんでしょう?」
真剣なお顔も辰月様です。凛々しいお顔です。
「なんで貝殻を置いたんだ?」
「はわっ! あのっその、まきびし代わりです」
「ふっ、なんだそりゃあ」
笑い声も仕草も辰月様です。
辰月の部屋は主室ではないのでつっかえ棒が出来ます。




