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第四十二話 夜番始まり

 一人での夕食が終わり、入浴も済ませて髪の毛は侍女のお二人が持って来た不思議な扇子で乾かしてもらいました。お二人はボディクリームを塗るのも手伝ってくれましたよ。肉球で塗ってくださるのかと思ったのですが、どうやらヘラか何かを使ったようです。背中でぷにぷにを感じられると少しワクワクしていたので残念です。毛につかせないためでしょうから仕方ないのですけどね。ああ……。


「では爪が柔らかいうちにお手入れをしましょう」

「失礼いたします」


 お二人は手際よく私の手の爪を研がれました。無駄な動きは一切ないです。流れで足の爪も綺麗にしてくれました。手足の爪がこんなにピカピカになるなんて驚きです。つい角度を変えて光の反射具合を見てしまいます。


「こんなに綺麗にしてくださってありがとうございます」

「よい道具のおかげです」

「まだ終わりではございませんよ」


 どうやら爪を染めるとかなんとか。こちらも手足の指にやってくれました。本来は何時間か放置しないと色がつかないそうですが、またも不思議な術か道具ですぐに爪が染まりました。橙色と桃色の間ぐらいの色でしょうか。


「わぁ、綺麗……。思っていたよりも鮮やかな色になるのですね」


 これならより一層、辰月様の食指を動かすことが出来るでしょう。私が見ても魅惑的ですからね。もしかしたら、唇からではなく指先から食べたいと思われるかもしれません。


「それでは私達は今日はここで失礼いたしますね」

「頼まれていたものとお夜食はこちらに置いておきます」


 本多さんがおにぎりと漬け物を机の上に、紺野さんが小さな風呂敷包みをそのすぐ近くに置きました。


「何から何までありがとうございました。夜も遅いので、気を付けてお帰りください」


 お二人はペコリと頭を下げて、部屋から出て行きました。すると静寂が訪れました。

 この部屋に一人でいるのは久しぶりですね。夜なのもあって余計に寂しいです。しかし朝になれば辰月様が帰ってきてくださるとわかっているので、この寂しさなんて屁でもありません。……あ、下品な表現でしたかね。


「さて……」


 私が風呂敷を広げると中から裁縫道具が出てきました。そして端が切られた辰月様の手ぬぐいと端布です。これを使って辰月様のために目隠しを作ろうと思います。ええ、お昼寝の時に使っていただくためのものですよ。

 柄の位置を調節して……、余分な部分を切って……、光を通さないように端布を間にはさんで……、こんな感じでいいでしょうかね。では縫っていきましょう。一針一針丁寧に慎重に。

 今は両目が見えて右手も傷跡で突っ張ることもないですし、目隠しは和服や洋服からしたら構造が簡単なのでお茶の子さいさいなのですよ。マスクのように耳にかけるようにしたので、着脱も簡単なはずです。


「なかなか良いのではないですかね?」


 鼻の部分にくびれをつけて、隙間を出来にくくしました。これで光が入り込むことはありません。それに肌触りも悪くないでしょう。耳にかける紐も手ぬぐいから作ったので耳が痛くなる心配はないですし。


(ふう、おにぎりをいただきましょうかね)


 一仕事を終えた後の食事は一段と美味しい気がします。辰月様のために働けたからなのもあるでしょうか。


(鮭のおにぎり美味しいですねぇ)


 鮭の程よい塩加減と脂がたまりませんね。辰月様ならきっと五つか六つ召し上がったことでしょう。

 お腹が満たされ、お茶を淹れて水分補給もしました。朝まではまだ何時間かありますけど、これで起きていられそうです。


「あ、そうです」


 辰月様がまた匂いを吸い込まれるかもしれませんので、匂い袋を身に付けておきましょう。良い香りがしたほうが食欲が湧くでしょうしね。うーん、何度嗅いでも良い香りです。


(念のため付け心地を確認しましょうか)


 目隠しは辰月様用なのでほんの少し大きめですけど、あまり光を通さないですね。お昼寝にもバッチリです。辰月様が気に入ってくださると嬉しいです。




 真っ暗闇の中、私の体が浮かびました。私は何が起きたのかわからずに慌てふためいてしまいました。


「ふふっ、いいのを付けているじゃないか」


 まるで幼子に話しかけるかのような優しげなお声がしました。


「はわっ! 辰月様!」


 どうやら目隠しをしたまま眠りこけていたようです。なんてことを!

 急いで外すと目の前に笑顔の辰月様がいらっしゃいました。私を寝台に運んでくださっている最中のようです。こんなに明るくなるまで気付かないとは、目隠し恐るべしです。


「お帰りなさいませっ」

「ただいま」


 私は寝台に寝かされ、辰月様はそのまま私の隣に横になられました。


「これはっ辰月様のために作ったのですけどっ」

「試しに自分で使ってみたのか?」

「そうです。起きて待っていようと思ってましたのに……」

「ハハッ! それだけ良い物だってことだ」


 辰月様は私の顔についた髪の毛を指先で払ってくださいました。そして辰月様の手は私の顔から目隠しへ。どうやら試着してくださるようです。


「お、ちょうどいい大きさだな。ありがとう。これで昼寝も捗るだろう」

「お役に立てて良かったです」


 この目隠しは私がいなくなっても残るので、この先ずっと使ってくださると嬉しいです。


「あ、そうだ。忘れるところだった」


 辰月様は目隠しを外され、机に向かわれました。机の上には私が眠る前には置かれていなかった物があります。辰月様が何か持ち帰られたようです。


「ほらこれだ! 砂糖と蜜蝋だ!」

「砂糖と蜜蝋……」


 塩と同じように味付けですね。一体どこの味付けに使用するのでしょう?


「砂糖は塩と同じように使うんだけど、これは唇専用だそうだ」

「唇……」


 唇は甘い方が良いと、なるほど。確かに塩辛いより甘いほうが良さそうですね。きっと昨日……ではなく一昨晩の口移しの練習の際に、そう思われたのでしょう。


「体よりかはずっと弱い力でやるそうだ」

「わかりました」

「蜜蝋は唇の保護に使うらしい」


 恐らく化粧水と乳液、ボディクリームと同じ役割ですかね。ふむふむ。唇もかさかさと肌触りが悪かったら美味しくなさそうですものね。


「後はハンドクリームも買ってきた。……ところで爪はどこか怪我をしたんじゃないよな?」

「ええ。本多さんと紺野さんに爪を染めてもらいました」

「そうか、何ともなくて安心したよ。綺麗な色だな」


 私は爪にはつけないようにハンドクリームを塗布してみました。心なしか指にあった細かい皺が薄くなった気がします。ほのかに甘い香りもしますかね?


「……砂糖と蜜蝋は試さないのか?」

「そうですね。洗面所に行ってまいります」


 辰月様は手よりも唇が気になられるようです。そんなに気に入ってくださったのか、あるいはあまりにも酷かったから改善なさりたいのか……。どちらか不明ですが、いずれにしろ良い唇を持った素敵な生贄になれるように砂糖を揉み込みましょう。


「これくらいでいいですかね」


 私は砂糖を指先に乗るくらい取りました。そして唇の上で優しく動かします。塩ほど痛くはないですけど、やり過ぎは禁物です。そろそろ洗い流しましょう。


「んー、少し滑らかになったでしょうか」

「ふーん?」

「ひゃっ!」


 いつの間にか辰月様が隣にいらしゃってました。前屈みで鏡と睨めっこをしていたせいで全く気が付きませんでした。おかげで心臓がドキドキを通り越してバクバクしています。耳元で囁かれたせいもあるでしょう。心臓に悪いです、本当。


「どれどれ」

「!」


 辰月様の指が私の唇に触れました。最初は唇をなぞるように左右に、次はつんつんと突くように。もう何が起きているのかさっぱりわかりません。考えようにも頭が働きません。ただ血液が沸騰していないか心配するしか出来ません。


「蜜蝋も塗るか」

「えっ、ええ……」


 私が蜜蝋に手を伸ばしたら、先に辰月様が手に取られました。私が疑問に思っていると、そのまま蓋を開けられて指におつけになりました。謎は深まるばかりですが、すぐに解決いたしました。

 辰月様の指が先ほどと同じように私の唇をなぞり始めたのです。


「あの……」

「じっとしていろ」


 そうですよね。唇の食べ応えを良くするためですものね。じっとしておりませんと。ああけれど、鼻息が辰月様にかかっておりませんでしょうか。息を止めていましょうかね?


「こんな感じか?」

「ありがとうございます」


 よかった、これで必要以上にドキドキせずに済みます。作業が終わったので私達は部屋に戻りました。




 塩もあるなら砂糖もあるのです。

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