第三十九話 やり返す
辰月様の腕の中に入ったらいつの間にか眠っていました。疲れていたのもあって、いつもより明るい時間に目覚めました。それでもまだ眠たいのでもっと寝ていたいです。いいえ、眠くなくてもこんなに温かで心地が良い場所から抜け出すなんて不可能ですよ。いま手に触れているものも大変触り心地が良いので、ずっとここにいたいです。それならずっと触れていられますもの。
(って、これは前にも触ったことがありますよ!)
そうです、これは辰月様の胸板です。慌てて手を離そうとしたら、手首を掴まれて胸板に手を置いたままになりました。
「ふふっ、昨晩触り足りなかったのか?」
「ななっ!」
「それとも自然と触ってしまうのかな?」
「勝手にお体に触れてしまい、大変申し訳ございません」
「減るもんじゃないから、いくらでも触ってくれ。まぁ、触り方によっては増えるかもしれないけどな」
胸板が増える……まさかそんな夢のような、ではなく嘘みたいなことが起きると? ああ、きっと冗談ですね。
「おはようございます……」
「おはよう。もう少し温々としていようか」
辰月様の手が私の腰を温めるかのように乗せられました。すぐに辰月様の体温が伝わってきました。大変気心地良いのですが、問題はそのすぐ後に起こりました。
「なぁ!」
くすぐったさが私を襲ったのです。どうやら辰月様が指先を動かされているようですね。
「んっ……」
これには一体どのような意味があるのでしょうか。撫でたり揉むのなら肉付きを確かめらっしゃるのでしょうけど……。もしや、くすぐっているのではなく弱い力で肉を弾いて弾力を確認なさっている?
「くっ……」
弾力も美味しい肉の重要な条件なのでしょう。くすぐったいですが、これも我慢です。指が上に行ったり下に行ったりしても耐えるのです。今まで色んなことに耐えてこられたのだから今回も大丈夫です。
(昨晩に引き続き品質の確認をなさるとは、それほどまでに楽しみにしてくださっているのですね。感激です)
ですが、いくら感激したところでこれには耐えられそうにありません。たった今大丈夫だと思ったばかりなのに。ああもう、声も漏れそうですし、体も動き出しそうです。
「うっ……」
違う事を考えようにも、それすら出来ない状況です。どうしましょう。どうやったらこれから逃れられるのでしょう。
(ハッ!)
辰月様が手を止める方法を思いつきましたよ。私と同じような状況になれば、指の動きが止まるはずです。そうと決まれば、早速失礼して……。
「ん?」
辰月様が反応されました。この調子で背中をくすぐりましょう。……こんな感じで良いのかは不明ですが、きっと続ければ効果が出てくれることでございましょう。そうであってください!
私は懸命に指を動かして辰月様の背中や脇をくすぐり続けました。
美鶴は辰月をくすぐっているつもりのようだ。しかし、彼にはそんなのは効かない。
彼は彼女に触れられているのが嬉しくて、効果がないのを黙ることにした。
(うーん。背中より胸に置かれた手の方がムズムズするんだけど、気付いていないんだろうなぁ)
彼女はくすぐる手とは反対側の手も連動して動いている。慣れないことをしているからであろう。彼は頬が緩みっぱなしだ。
(可愛い……。何をやっても可愛い。きっと何をやっても赦してしまうんだろうなぁ)
彼は彼女が急に引っ掻いたり、殴ったり、蹴ったり、物を飛ばしてきても笑顔で赦すだろう。
(流石に笑顔は気持ち悪いか?)
気持ち悪いだろうし、暴力を振るわれた人が笑顔で赦したら、逆に怖いかも知れない。辰月は注意ぐらいしとこうと思った。
(けどなぁ、美鶴が全力で攻撃してきても俺にはかすり傷すらつかないのに注意するのもなぁ。あ、暴力行為自体を咎めればいいのか)
彼は彼女を全面的に赦すつもりなので、それを思いつくのに遅れが生じた。かなり危険な思考であるが、いざとなれば彼はきちんと対応するだろう。デレデレしているのは今のような時だけであろう。
(そもそも美鶴が何かするはずないから杞憂だな)
そう、彼女は実に穏やかな性格をしているため、誰かに危害を加えるなど想像つかない。
彼は微笑みながら彼女の背中を撫でた。
辰月様のくすぐりが収まりました。必死に指を動かした甲斐がありましたね。指が筋肉痛な気が致しますが、少し休めば回復するでしょう。ホッと一安心したら、さらなる衝撃が私を襲いました。
「なっ、何を」
背中を撫でられていると思っていたら、辰月様の手が移動しました。そして体が浮かび驚く暇もなく、そのまま辰月様のお体の上に乗ってしまいました。辰月様が仰向けで私がうつ伏せの状態で密着しております。あああ……辰月様の筋肉を全身で感じております……。
「良い抱き心地だ」
美味しい物をいっぱい食べてお肉がついたおかげですね。
「はい……」
辰月様の両腕が私に巻き付いております。これはきっと肉付きと重さの確認ですね。ご自身の手だけでなくお体を使って確かめられるとは恐れ入ります。
「温かいな」
「はい……」
私はありえないくらい全身が熱くなっています。きっと心臓の鼓動も辰月様に伝わっているでしょう。それほどまでに煩くなっています。辰月様は平気そうですのに、私だけこんなに慌てふためくだなんて情けないです。普段なら青ざめていたでしょうが、それより遥かに恥ずかしさが勝っているのでそうはなりません。
「あの、重くはありませんか?」
「いいや全然」
そうですよね。いつも私を軽々と持ち上げてらっしゃいますものね。けれど全身でのしかかるのとでは違うような?
あら? 辰月様の手が心なしか下に動いて……?
「ひゃっ」
「駄目か?」
「いいえ、そんなことはありません……」
お尻を撫でられるなんて予期しなかったので驚いただけです。腹や胸と同様に尻も肉が付きやすいですから、存分にお調べになってくださいまし。ムズムズするのには慣れてきておりますので、どんと来いです。
「……うーん、けどこれはまずいな」
「えっ」
辰月様の手が私から離れました。どうやら布団の上に置かれたようです。
「これ以上はやめておこう」
やめておこうとは……もしや粗末な尻だと思われたのでしょうか? 胸もないし尻もない。こんな貧相な体はいらぬと思われたのでしょうか?
「楽しみはとっておかないとな」
「はい」
違いました。お気に召さなかった訳ではないようです。本当によかったです。ですが、もっと食べて塩揉みもして良質な生贄になれるよう頑張りましょう。
昼食……ではなく今日初めて食べたので朝食になるのでしょうか。とにかく侍女のお二人が持って来てくれた本日最初の食事を終えると、辰月様は寝台に向かわれました。夜に備えてお昼寝をなさるようです。
「邪魔にならぬように部屋から出て行きましょうか?」
私一人では迷子になる可能性大ですが、お二人と一緒ならばその心配はありません。
「いや大丈夫だ。耳栓と目隠しをして寝るからさ」
「そうですか。一応静かにしておりますね」
「おう、すまないな」
辰月様は横になると、耳栓をし目元に布をかけられてそのまま就寝されました。
私は辰月様のお昼寝の間、いつものようにお二人にこちらの文字を習います。ふふふ、ここ数日で名前や単語を書けるようになったのですよ。文章はまだお手本を見ないと書けませんけどね。読みも癖が強い文字は無理です。お弁当屋さんの文字は一体なんと記されていたのでしょうね。
それにしてもお二人は人間の文字もスラスラと、なんでしたら私よりも上手に書きますね。私は自分よりも優秀な方々に世話されているのかと思うと、大変申し訳なくなってきました。いくら神様への生贄だからといってこんな厚遇されていいのでしょうか。いいえ、卑下してはいけません。辰月様の血肉になるのですから良い教育を受けるのは当然なのです。
「あの、お二人はどちらで人間の文字を学ばれたのですか?」
「本格的に学び始めたのはこちらに来てからですよ」
「ですがこちらに来る前から見ていたので、割とすぐに覚えられました」
「こちらに来る?」
お話しを聞くと、なんとお二人は人間の世界にいらしたそうです。神社の近くに暮らしていたため、人間の文字に慣れ親しんでいたとのこと。それでこんなにお上手なのですね。いえいえ、私も生まれたときから慣れ親しんでいるのですから、しっかりしませんと。




