第三十七話 質感確認
辰月は味見の感想を聞かれて動転したが、ふぅと一呼吸して心を落ち着かせた。日頃の鍛錬もあってか、彼はすぐに正気に戻った。
「あっ、そうだ。海で撮った写真が届くの楽しみだな」
「ええそうですね。私がいた証しになるといいのですけど……」
「ん? ああ、そうだな」
一体どういう意味だろうかと辰月は眉を顰めた。
「写真を見て思い出してくださると嬉しいです」
「ああ……」
彼はこれもよくわからない。共に海に行ったのを思い出せばいいのだろうかと考えてみたが、それでも何やら変だ。
「また行こうな。きっと海の幸も季節で変わるだろうしさ」
「ええ、ずっとお側におります」
「うん……」
やはり何か変だ。噛み合っていない。彼はどこから変だったのか思考を巡らすも、今までも所々おかしかったのを思い出した。これは神と人間だからだなんて理由ではないだろう。
(証し、思い出す、ずっと側にいる……。駄目だ、さっぱりわからん)
彼は彼女に質問してみようかと思ったが、どう尋ねたらいいのかも見当がつかない。しかし何かしら聞かないことには解決しないので機会を窺うことにした。
「美鶴、写真は初めてか?」
「記憶にないのですが、小さい頃に両親と撮ったそうです」
「そうだったのか」
彼は小さい頃の彼女も見てみたかったなと思うと同時に、しまったと後悔した。
「ええ。……土砂の下敷きになってしまいました。もし残されていたら寂しさを紛らわせてくれていたかもしれません」
「ああ、そうかもしれないな……」
また辛い記憶を話させてしまった。なんと学習能力のないことかと彼は唇を噛んだ。
「辰月様は初めてでしたか?」
彼女が体ごと彼のほうを向いたので、彼は彼女を抱きしめようと思った。しかし今の話の流れではおかしいと頭によぎってしまったため機会を逃した。彼は慎重になりすぎてしまったのだ。ただ自然に腕を伸ばせばよかっただけなのに。
「俺も子どもの頃に撮ったそうだが、当時は長時間じっとしていないといけなかったから、耐えられずに動いてしまってさ。変な風になってたよ。今は何処にあるんだろうな」
彼の他にも動いてしまった子がいたので、なかなか面白い写真になっている。
「ふふっ見てみたいです。辰月様のお小さかった頃のお写真」
「んーじゃあ探してみようかな」
彼女が笑いながら「お願いします」と言ったので、彼は彼女の機嫌が良くなったのだと喜んだ。しかしまだ本題の噛み合わぬ会話の謎は解決していないので、彼は気を緩めていない。
「あんまり期待しないでくれよ。集合写真だからどれが俺か判別が難しいだろうからさ」
「うふふっ辰月様が写ってらっしゃるのなら、どんな写真でも構いませんよ」
彼は照れながら返事をしつつも、次は何を質問しようかと考えていた。
「集合写真とのことですが、一緒に写ってらっしゃるのは神様ですか?」
「まぁそうかな」
彼がこんな返答をしたのは、まだ一人前の神になった者は少ないからだ。神未満というか見習いというか……。
「学校か何かの集まりでしょうか?」
「人間で言うとそうかもな。寝食も共にしているから寮制ってことになるのかな」
「そうなのですね。今もご学友とは交流があるのですか?」
彼が彼女に尋ねようとしていたのに逆になっている。彼は何とかして彼女に質問せねばと頃合いを探るも、彼女の過去を聞くのはかなり勇気がいるので行動に移せない。
「たまに道端で会ったら話す程度だ。わざわざ積極的には接触しないかな。皆仕事で忙しいだろうし」
「そうですか。……貴重なお休みの日は私などに構わずにご学友と交流なさってください」
「なっなんで」
何故に愛しい妻ではなく、ずっと一緒にいすぎて飽きている者共と貴重な休みを共にせねばならぬのか。彼は当惑した。
「すぐにいなくなる私ではなく、ずっと続く縁を大事になさってください」
「すぐに? えっ?」
彼女がいなくなる? 何故? どこへ? 誰と? 一人で?
彼はここ最近一番の驚きのあまり、上半身を起こしていた。
「待て待て待て」
「どうされました?」
彼女は目を丸くしている。
「いなくなるってどういう事なんだ?」
「だって私の命は直になくなるわけですし」
「え……?」
彼女が何を言っているのか彼には理解出来ない。何故彼女の命が直になくなるのか。もしや神と人間の寿命の違いを言っているのだろうか。
「……くちゅんっ」
「あっ、寒かったか。すまない」
彼はここぞとばかりに彼女を抱きしめた。そのついでに彼女の匂いを堪能した。石けんや髪油の匂いが彼女本来の匂いと混ざりあって、より良い香りになっていた。
「ずっと側にいてくれるって言ってくれたじゃないか。お願いだからいなくなるだなんて言わないでくれ」
彼女の背中に回した彼の手には力が入っていた。
「申し訳ございません……」
「人間だからってすぐに死ぬわけじゃない」
「そうなのですか?」
こちらに来た時点で人間であって人間でなくなっており、寿命はあってないようなものだ。彼はこう説明した。
「だから安心してここにいて欲しい」
「はい……」
これで彼女は今後一切、命がなくなるだなんて悲観しないでくれるだろう。そう言えば、きちんと説明していなかったと彼は悔いた。
今の会話で彼女の勘違いがわかった。恐らくこのせいで色々と噛み合わなかったのだろう。彼女が写真を見て思い出してと言ったのは、彼女が彼を残してこの世からいなくなると思っていたからだ。
(つまり俺を思ってくれているんだ)
彼は幸福感でいっぱいになり体温が上がるのを感じた。
「美鶴、好きだ。大好きだ」
「私もお慕い申し上げております」
私はいつの間にか人間ではなくなっていたようです。体調の変化等はあまり感じませんが、辰月様がそうおっしゃるのならそうなのでしょう。そんなことより……。
(寿命はあってないもの……)
しかしこれは生贄には関係ないように思えます。ずっと生きられるのなら、ずっとお側にいられましたのに。けれど辰月様の血や肉になるのなら同じ事ですよね。落ち込んでいる場合ではありません。
(辰月様好みになってきているようですから、美味しく召し上がっていただけるように残りの日数でより一層磨きをかけましょう!)
辰月様のこの逞しい体の一部になれるなんて、これ程までに喜ばしいことがあるでしょうか。自分の寿命の残りを嘆いていたのが馬鹿馬鹿しくなってきました。どんな形であれ、辰月様とずっと一緒にいられるのなら本望です。
(頑張りましょう!)
迷いは無くなりました。昼間に見た空のように心は晴れやかです。何も恐れることはありませんもの。そう思ったら、ついつい笑みがこぼれていました。
「何だか楽しそうだな。胸にかかる息でくすぐったい」
こぼれるどころか、思いっきり笑っていたようです。やってしまいました。恥ずかしいです……。
「っ、失礼致しました」
「美鶴の吐息ならいくらでも浴びられるから平気だ」
「ええ?」
変わった嗜好をお持ちのようです。辰月様のまだ知らない一面を知られて良かったです。
「あっ、いや、吐息っていうのは普通の呼吸のだ。決して何かしている時のじゃなくて……」
「そうなのですね」
辰月様は何を慌てておられるのでしょう? 私が気付かぬうちに何かありましたかね?
「いや、どんな時のでもいいんだが……」
「ええはい」
「あっ、そうだ。塩はどうだった? 肌はすべすべになったか?」
ふふっ、肉質の確認ですね。私は辰月様に腕を差し出しました。思えばボディクリームを塗る前に確認していただけばよかったですね。
辰月様の大きな手が私の腕を行き来しています。ムズムズしますが鳥肌は立っておりません。普段から抱きしめられていて慣れた成果でしょうか。しかし頬が熱くなってしまうのでまだまだですね。
「おっ、いつもより滑らかになってる……。塩って味付けだけじゃないんだな」
「味見はされますか?」
洗い流してしまいましたが、しっかりと擦ったので塩味がついているやもしれません。
「えっ……何を言っているんだ……」
「ハッ! ボディクリームがついていますものね。すみません」
食べられるクリームではないのですから、口にするなんて言語道断なのでしょう。
「え、そうじゃなくて……」
「違うのですか?」
唇や口内だけの味見では全身の味はわからないですよね。しかも唇には塩を揉み込んでおりませんし。
「大胆なこと言うなぁ、と……」
「大胆ですか? 私が?」
「ああ。初対面の時も……」
辰月様はとても小さなお声で何かを言っておられます。しかし聴力が回復しているのに言葉の断片しか聞き取れず、なんとおっしゃっているのか一つもわかりません。とてももどかしいです。
どうしようかと悩んでいると、ある事を思いつきました。
「あっ! そうです、脚もいかがですか?」
私は辰月様が触れやすいように、寝台の端に寄り膝を持ち上げてみました。布団の中なので見えませんが、動きで伝わると思います。
「おおう……。そういうところだ」
「ええっ?」
辰月様は私の膝の確認中も何かぶつぶつと呟いてらっしゃるようです。耳を澄ませてみましたが、よくわかりませんでした。抱きしめられたままの距離なら聞こえていたでしょうけど、今は少し離れたからでしょう。
膝をより顔に近づけば辰月様との距離が短くなると試みてみましたが、柔軟性のない体では無理でした。しかも変に力んだせいで体を痛めてしまったようです。情けないです……。そんな私を見かねて辰月様が介抱して下さいました。
「大丈夫か? というか何をしようとしたんだ?」
「えっと、辰月様に近づこうかと思いまして」
「けれど体が硬くて出来なかったと」
辰月様は苦笑されながら、私の脚を伸ばして元の位置に戻して下さいました。そして先ほどのように抱きしめて下さいました。
「大変良い手触りだった。まぁ、元の触り心地を知らないんだけどな」
「はっ!」
言われるまで気付けないなんて……。




