第三話 アイスクリン登場
「ん? なんか顔が赤いか?」
辰月様の大きな手が私の額に触れると、私の腕にはぞわぞわと鳥肌が立っていきました。
「んー、少し熱いけど平気そうか? 首も触るぞ」
「はい……」
辰月様の手が私の首元にやって来て、包帯がない部分、うなじ付近を直に触れられました。すると何やら体がむずむずとして変な感じに。これは一体何でしょうかね? 嫌なような、そうでないような?
「うーん。熱はなさそうだが、寝汗が酷いみたいだな。もしかしたら布団の保温性が高くて二人分の体温で熱くなりすぎたのかもな」
辰月様はこう言い終わると、掛け布団をめくり風が入るようにして下さいました。おかげで火照った体が涼しくなりました。汗もかいているのでひんやりとして気持ちが良いです。
「これでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
「もう少し涼しくしておくか」
辰月様はさらに掛け布団をバサバサと動かして風を起こして下さいました。とても涼しくて心地良いです。そうしているうちに私の体は冷えてきましたので、もう大丈夫だとお伝えしようと辰月様のほうに顔を向けました。
(なっ! 先ほどよりも胸元が露わになってらっしゃる!)
私の熱はぶり返してしまいました。見なければいいのに、見てしまうのは何故でしょう。目を瞑ればいいだけなのに。わかっているのに。
「ん? 俺の体に何かついてるか?」
「いえっ何もっ!」
「そうか」
辰月様は手を止め、ご自身の体を不思議そうに覗き込んでおられます。
私はよせば良いのに、焦点を辰月様の胸元から全身にしてしまいました。
(はわっ!)
私は辰月様の胸板だけでなく脚も見てしまいました。寝間着の裾から脛が見えているのです。
ああっ、殿方の体をじろじろと見るだなんて、随分とはしたないことをしてしまいました。邪な心を持つ生贄など美味しくないに決まっています。私はここで漸く目を瞑って顔を天井に向けることに成功しました。
「あ、薬を塗り直して包帯を巻こう」
「えっ自分で出来ますので大丈夫ですよっ」
「背中には塗れないだろう? 俺がやるよ」
辰月様は私が止める間もなく、すでに立ち上がって薬類を取りに行かれていました。
神様の手を煩わせるだなんて生贄失格です。それともご自分で管理されたいのでしょうか? もしそうなら、理由はどうあれ大事にしてくださってとても嬉しく思います。
私は辰月様が戻られるまでに寝間着を羽織っているだけの状態になっておきました。これですぐに作業に取りかかれます。あ、包帯も外しておいたほうがよいですね。
私は顔の包帯から外すことにしました。ですが何処に包帯の端があるのか分かりません。何やらぐちゃぐちゃになっているような気がします。
「ああ、俺がやるから手を下ろしてくれるか?」
私が手間取っているのを見て、辰月様が手伝って下さいました。結局、お手を煩わせてしまうなんて……。私がしたことが裏目に出てしまいました。
「申し訳ございません」
「謝らないでくれ。すぐに交換出来るようにって思ったんだろう?」
「はい……」
辰月様は私の後ろに移動され、手際よく頭と腕の包帯を外してくださいました。
「よし、次は体のだ」
「お願いいたします」
全身の包帯を外し終えたころ、私の体に残った塗り薬の匂いが部屋に充満していました。その匂いに耐えながら薬を拭き取ってみると、明らかに傷跡が薄くなっているのがわかりました。神の妙薬恐るべしです。
「お、ちゃんと薬が効いているみたいだな」
「ええ、そうみたいですね」
これで舌触りの良い肉になれそうです。私は少し嬉しくなりました。
「……なぁ、傷が右側に集中している理由を聞いてもいいか?」
辰月様は私の背に薬を塗りながらおっしゃいましたので、どんな表情をされていたかわかりませんが、声から推測するにかなり気を使ってくださっているのでしょう。
「左側は両親が庇ってくれたので、ほぼ傷がなかったのです」
三年前に村が土石流に襲われた時、私が両親と暮らしていた家も押しつぶされてしまいました。
「そうか。辛いことを思い出させてしまいすまない」
「そんな……。なんでも聞いて下さって構いません。だって私は……」
私は生贄と言いかけて、なんだか寂しさと悲しさがこみ上げてみました。ずっとこのままだったらいいのにと思ってしまうなんていけません。きちんと生贄として食していただきませんと。
「そうだな。美鶴は俺の――になるんだものな。美鶴も俺に聞きたいことがあったら何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます」
辰月様がなんとおっしゃったのか考えているうちに、包帯が巻き終わっていました。
「よし、出来た。もう外が大分明るくなってきたから、朝食はそのうち来るだろう」
辰月様は食堂で召し上がるそうなので、一緒に食べられないと謝罪されていました。神様が生贄に謝るなんて。私はただただ驚くばかりです。
「あ、忘れてた。他の奴らが何をするかわからないから、この部屋からは出てはいけない」
「わかりました」
もしかしたら、他の神様に横取りされてしまう可能性があるのでしょうか? その場合、村への影響は……、きちんと土石流は収まるのでしょうか? いえ、私がこの部屋から出なければいいだけの話ですので、そんな心配はしなくてもよいですね。
「絶対に駄目だからな」
「はい。わかりました」
先ほども返事をしましたが、辰月様は確認のために何度も言ってくださっているのでしょうね。心なしかお顔も真剣な表情になられていますから、重要なことなのでしょう。
「……絶対に絶対に駄目だぞ」
「え? ええ、絶対にこの部屋から出ません!」
もしや確認ではなく私の声が小さかっただけですかね? 私は少し大きめに返事をしてみました。
「うん。約束だ」
「はい。約束です!」
辰月様は笑顔で部屋を出て行かれました。
ところで辰月様はいつの間に寝間着からお着替えになったのですか? ずっと見ていたはずなのに全く気付きませんでした。
うーん、顔の右側を包帯で覆われているから、よく見えなかっただけですかね? いいえ、覆われていなくても右目は視力が弱くなっていて光程度しかわからないので、大した差はないでしょう。
(きっと術か何かでお着替えになったのでしょう。さて食事まで何をしていましょうか。……あ!)
またもいつの間にか御膳が運ばれて来ていました。昨日の夕方から驚きの連続です。寿命が縮んでいるかもしれないです。
ああ、どうして今更寿命など気にしてしまうのでしょうか。直に食べられてしまうというのに。
(こんなことを考えていたら美味しくなくなっちゃいますね)
良くない考えをする生贄なんて、きっと美味しくないですよね。なるべく楽しいことを考えて良い肉になりませんと。
もちろん味だけでなく品質や量でも満足いただくために、食事はしっかりと食べておきましょう。
私は満腹になったので寝台に横になりました。こうすれば太ること間違いなしです。
傷跡がなくなり質量も増えれば、食べ応え抜群なのでは?
(村を救うためです。頑張りませんと……)
私は目を閉じて眠ろうとしました。食べた後にすぐ眠るだなんて子どもの時以来ですね。しかもこんなに明るいうちから眠れるなんて。いつもは夜遅くまで針仕事をしていましたから、なんだか変な感じがします。
(そう言えば、指にあった針の刺し傷が消えていましたね)
昨晩薬を塗った際に付着したからでしょうね。小さな傷なら一晩で治してしまえるとは、やはりあの薬は凄いです。
(不思議なことだらけ……)
何もかもが不思議です。あげだしたらきりがないです。すぐ隣に浴場があったり、いつの間にかあったり消えたりする御膳。恐らくもっと不思議なことがあるのでしょうね。
「おーい。起きろー」
「ひゃいっ」
私は横になってそのまま眠っていたようです。それも辰月様が帰ってらしても気付かずに寝たままだったのです。申し訳なさと恥ずかしさから顔が冷たくなったり熱くなったりしました。
「起こさない方がよかったか?」
「いえ、そんな。ご用があるのなら気にせず起こしてくだしゃい」
「ふふっ、まだ夢の中か?」
「大丈夫ですっ。どのようなご用でしょうか?」
今の私は顔から火が出ているに違いないです。
「おやつに甘い物を入手したから持って来たんだ」
「まあ! 本当ですか?」
子どものようにはしゃいでしまうなんて、私はまだ寝ぼけているのですね。
「ふっふっふ、それも珍しい代物だ」
神である辰月様でさえ珍しいとおっしゃるのですから、正真正銘の貴重な代物なのでしょう!
「これだ!」
「これは……」
辰月様が体の後ろに隠していた物を見せて下さいました。何やら白っぽい食べ物のようで、ガラスの器に乗せられています。
「これはアイスクリンと言うそうだ。西洋の菓子なんだそうだが、知っているか?」
「はい。私も父や雑誌の話でしか知りませんが、冷たくて甘い食べ物だそうです」
「早くしないと溶けてしまうな。さっさと食べてしまおう!」
辰月様は銀色のスプーンを二本取り出されました。どうやら、アイスクリンは二人で食べるようです。