第二十九話 化粧品を買いに
「そんなことより、兄さんはどうして海にいらしたのですか? 奥さんとお子さんは一緒じゃないみたいですよね」
辰月様のお体で周囲がよく見えないのですけど、確かに近くにそれらしい方々はいらっしゃらないようです。臘月様はお一人で海に来られるほど、海がお好きなのでしょうか? それとも近くに住んでいらっしゃるとか?
「ああ、家族は家にいるよ。一緒に来る予定だったんだが、子どもが宿題に追われて来られなくなったんだ。まったく何をやってんだか。……で、俺は妻にここら辺にある店で評判の化粧品を買ってくるように頼まれたから一人寂しく来たってわけだ」
「ほう、化粧品ですか」
どうされたのでしょう。辰月様の指に力が入りました。
「あとは髪飾りだな。俺が選んだやつに文句を言われないか心配だ……」
「兄さんその店を教えてください!」
私はまたきつく抱きしめられました。苦しいですけど、お話しの邪魔をしてはいけませんので我慢です。
「お、おう。構わないぞ」
臘月様はもうご購入されたそうなので、場所だけ教えていただきました。どうやら現在地からそれほど離れていないようです。
「ふーん、辰月もそういうのに気が回るようになったか。ククッ……」
辰月様は出会った当初から私を気遣って下さっています。今の体勢ももしかしたら何か意味が……。例えば耐久力とか。そうです、きっと食べ応えを良くするための何かです。そうでなければ、こんなにきつく抱擁されるはずないですからね。
それともまだ逃げると思われているのですかね?
「ええまあ……」
「だけど彼女がつけている髪飾りは新品じゃなさそうだから、お前が贈ったものじゃないだろ?」
「うっ、それは……」
「真っ先に贈りそうな品なのにな。まぁ、出会ってすぐに同居するとなったから、今の今まで思いつかなかったんだろう。贈り物をして気を引く必要がないわけだし」
「うぐっ……その通りですが、彼女の身のまわりの物はきちんと揃えているつもりです」
「今は、じゃないか?」
「なっなんで……。って弥生姐さんに聞いたんですね」
「フッ、偶然会った時にな。……辰月よ、苦しそうだからそろそろ離してあげなさい」
「えっ? ……ああっ!」
私はようやく解放され、顔が涼しくなりました。呼吸も大変楽になりました。
辰月様は私の着物の皺を伸ばすように全身を払ったり撫でたりして下さいました。
「すまない……。息は出来るか?」
「はい。この通り」
辰月様の手は私の上腕を掴んで、倒れないように支えて下さっています。
「また嫌な思いをさせてしまった」
また? 記憶にありませんが、一体いつの話でしょうか?
「私は辰月様になら何をされても平気でございますよ」
「なっ! 嫌なら嫌だと言ってくれていいんだ」
「辰月様にされて嫌なこと……」
脳裏にチラリと生贄のことが過ぎりました。けれどそれは思ってはいけません。食べられたくないだなんて。そんな……。役目を果たさないと……。
「どんなことでも受け入れます」
「駄目だ、そんなの……」
「ですけど、嫌なことなんて……」
「よし、じゃあ練習しよう。嫌だと言ってみてくれ」
「その練習は帰ってからにしろ。さっきから皆がにやつきながらこちらを見ているぞ」
私達は恥ずかしさに耐えられず、すぐにその場から退散しました。
「ハァ、現場検証に来た人達へのじゃき討伐の報告は兄さんが代わりにしてくれると言ってくれて助かった」
紹介されたお店までは徒歩で移動です。辰月様は先ほどと同じようにゆっくりと歩き、私と手を繋いでくださっています。
「辰月様のごきょうだいは何人いらっしゃるのですか?」
今更ながら挨拶をしなくていいのかと思いましたが、たかが生贄なのでいいのでしょうかね?
「あー、兄と呼んでいるのは幼い頃に世話をしてくれていたからであって、血が繋がっているわけじゃない。そもそも俺は誰とも血が繋がっていない」
「えっと、それはその」
天涯孤独の身でらっしゃる?
「なんと言えばわかりやすいんだろう? 自然発生?」
「自然発生……」
予想外の言葉だったので思わず復唱してしまいました。
神様は親がいなくても誕生するのですね。何がどうなってとかは考えるだけ無駄です。超越した存在なのですから。
「兄さんも子どもが出来て、初めて血が繋がった家族が出来たんだ。俺達もいずれかはな。うん」
いずれかは、何でしょう? 辰月様は少し頬が赤くなってらっしゃいますから、続く言葉が照れる内容なのはわかります。
「えっと、……何人欲しい?」
「え?」
何の人数でしょうか? 直前まで子どもの話をしていたのですから、恐らくは子どもの人数ですよね。けれどそれを私に聞くなんて変ですから、きっと別のことでしょう。
そう、例えば侍女の人数とか。ですがこれは照れる内容ではありませんから違いますね。
結局何の人数なのかわからないままですが、お待たせするのは悪いので返事をしました。
「私は今のままで十分です」
現状維持です。これならどのような返事でも対応出来ると思います。
「それはつまり二人のままでよいと?」
二人ということはやはり侍女さんの人数についてのようです。唐突に侍女さんが出てきた理由はわかりませんが侍女さんなのです。
「ええ、二人のままで」
二人で大丈夫かと思いましたが、本多さんと紺野さんの意見も聞いたほうがいいですかね? 実は仕事量が多くて大変だったりしないでしょうか?
「そうだよな。しばらくは二人きりでいたいよな。うん」
二人きりでいたい? なんだか話が噛み合っていないような?
「あのう、何のお話でしょうか?」
「え? 何って俺達の今後だろ?」
「今後……」
一緒にいられるのは後二週間ほどですけれど、今後ですか。むむむ……。
「おう今後だ!」
辰月様は頬が赤いまま、歯を出して笑われました。眩しい笑顔です。
「今後で人数……」
「え、もしかして子は苦手か?」
「えっ? いいえ、そんなことは」
村では子ども達とよく遊んだものです。もっとも、怪我をする前の話ですけど。
ところで何故突然子どもの話が? 先ほどの質問は侍女ではなく子どもの人数だったのですか? そんなまさか……。
「なんだ、よかった」
辰月様は頬が緩んでおられます。私も辰月様につられて自然と笑みになりました。
「ま、今は二人の時間を楽しもう!」
「ええ」
話はやめて、おでかけを楽しむと言う意味で合っていますかね? うーん、これもなんだか違うような?
「今」とはどの期間を示しておられるのでしょう。まさにこの瞬間なのか、それともこれからなのか、どちらでしょう? つい先ほど「今後」とおっしゃったから後者でしょうかね。
辰月様はお優しいからどんな質問にも笑顔で答えてくださると思います。それなのに少しでも嫌な印象を持たれたらと想像してしまうと怖くて聞けません。
どうせあと少ししかない命なのだから、どんな風に思われたっていいのに。変ですよね。
「お、あの店だな」
私は辰月様のお声で我に返りました。無駄に考え込んでいたら到着したようです。
「綺麗なお店ですね」
お店は和洋折衷、いえ、擬洋風建築ですね。そんな外観をしており、店内もランプや絨毯など西洋の物があります。
「化粧品はここだな。色んな紅があるみたいだ」
口紅と頬紅がありますね。色の種類も豊富です。どれも美しい色なので目移りしてしまいます。かなり濃い色もありますけど、私にはまだ早すぎる気がします。きっと都会的で自立した女性が似合うでしょう。
「淡い色もあるんだな。けどこれって元の唇の色と変わらなくないか?」
「そう、ですかね?」
辰月様が私の唇に商品の見本を近づけました。
「ハッ! 結構違うんだな。似合うからこれを買おう」
辰月様は見本を元の位置に戻し、いつの間にか持っていらした籠に口紅を入れられました。
「はい」
私は鏡を見ていないので本当に似合っているのか不明です。しかし私は辰月様を信じます。辰月様が似合うとおっしゃるならば似合うのです。そうに決まっています。
「んー、どれも良さそうだなぁ。困ったなぁ」
辰月様はまだ何か買われるようで、商品にお顔を近づけて見比べてらっしゃいます。口紅だけでなく頬紅もご覧になっていますね。
「えっ! これだけで大丈夫ですよっ」
籠を持っておられるのだから、他の商品を購入されるのはわかるでしょうに、何を今更慌てているのでしょう。
「口紅の色味と合わせたほうがいいよな。ってことはこれか……」
辰月様は私の顔で確認することもなく商品を籠に入れられました。と、こんな感じで籠はすぐに商品でいっぱいになったのです。
いつにも増して3点リーダーを多用してしまいました。これでも減らしたつもりです。




