第二十五話 海
辰月は美鶴が真っ直ぐ見つめてくるので照れていた。彼は調子が狂うなと思っていたが、現在何故か彼女は視線を落として辛そうな表情になっていた。
「そうでございますか……」
「人間はあんまり外見について誉めないのか?」
「そんなことは……」
美鶴は一体どうしたのだろう。辰月は最初寒いからかと思ったが、彼女から伝わる体温はそれほど下がっていない。となると、今の会話で嫌なことを思い出させてしまったのだろう。彼はやってしまったと唇を噛んだ。彼女の境遇や村人にされたことには何となく察しがついていたのだから、もう少し配慮出来たはずだ。彼はすぐに彼女を元気づかせようと頭を回転させた。
「呉服店の蛇の店員も誉めていたぞ。あれはお世辞じゃないだろう」
「まあ! 本当ですか?」
「ほかの店員も言っていたそうだ」
「そう言っていただけて嬉しいです」
こう言っているが、彼女はまだ元気がない。彼は彼女に無理矢理笑顔を作らせてしまい、さらに悔いた。
「そうだ。本多と紺野はいつも優しくて美人で素晴らしい人だと皆に自慢しているらしい。侍女長が笑いながら教えてくれたよ」
「なんだか恥ずかしいですね」
「そのうち仕えたいって侍女が増えるかもな。あ、先週庭園に行ったときに先輩もいらしてたらしいんだが、美人な妻だと羨ましがられたよ」
辰月はいくら自分が言っても駄目だと思い、他の者からの賛辞を伝えた。だが、美鶴が直接聞いたのではないでの信じてくれるかは不明だ。
彼は少々不安だったが、彼女の目に輝きが戻ったので心から安堵した。
「妻に見えたのですね」
「え? そりゃあ俺と一緒にいたんだからなぁ」
庭園内ではほぼずっと手を繋いでいたので、辰月と美鶴は妻か恋人にしか見えないだろう。
「しっかりと妻に」
「ああ。……ん、いや奥さんって言ってたかな?」
「奥さん……奥さん?」
「え、どうした? ……あ、海が見えてきたぞ」
ようやく海に到着です。海面に日光が反射して眩しいですね。目が慣れてくると海が池とは比べものにならないほど大きいのがわかりました。壮大とはこのことですね。
それぞれの良さがあるので、どちらが良いとかではありませんよ、念のため。ただ、初めて目の当たりにして、体が固まってしまいました。それほど衝撃的でした。
「少し見てから朝飯を食いに行こうか」
「ええ……」
辰月様の手は温かいです。私の冷えた手がじんわりと温まっていきます。全身に伝わっていき耳まで温まりました。
「波の音は聞こえるか?」
「規則的に聞こえる音のことでしょうか」
「ああそうだ」
歩きにくい砂浜でも辰月様に手を引かれていれば大丈夫と思いましたが、足を取られなかなか進みません。どうやら私の脚力では無理だったようです。見かねた辰月様にまた抱きかかえられてしまいました。
「お手数おかけいたします」
「俺が誘ったんだから当然だ。それにつまだし!」
「つま……」
付け合わせの「つま」ですよね。けれど先ほどの「おくさん」とはなんでしょうか。もしや「妻」と「奥さん」なのでは? これなら意味が同じですので通じます。しかし何故そんな言葉を使うのでしょうか。
(……あ、わかりました! 神様の世界では生贄のことをそう呼ぶのでしょう!)
理由は不明ですが、きっとそうなのです。それならば納得です。すっきりです!
「お、なんだか元気が出てきたみたいだな。良い景色だもんな!」
「ええ、絶景ですね!」
青く広がる空と海。私の心はこの景色のように晴れやかに澄み渡り、まさに気分爽快です!
「あ、貝殻が落ちてる」
「あちこちに落ちていますね」
貝殻は視界に入るだけで二十か三十はあります。私は辰月様に波打ち際で降ろしていただき、一緒に貝殻を拾うことになりました。時折波がこちらまで来て手を濡らします。冷たいですが気持ちが良いです。
「部屋に飾るか」
「名案ですね」
貝殻は色も形も多種多様ですので、部屋を彩るのに適していそうですね。綺麗に洗って千代紙の上に並べるといいかもしれません。
「こうやって二人の思い出が増えていくんだな。これからは行った先々で何か買うか持ち帰ろう」
「思い出……」
前回のお出かけで購入した本も思い出の一つですね。もちろん着物もそうです。
また来週思い出が増えるのだと思うとわくわくしますが、果たしてそれ以上増えるのでしょうか。あっても後一回ぐらいで、それ以上増える事はないですよね。そう思うと、悲しさと寂しさが押し寄せてきました。
「どうした? 目に砂が入ったか?」
「えっ……ええ。そうかもしれません」
嘘を吐いてしまいました。辰月様はそんな私の風上に立ち、風と砂から守ってくださっています。
「そろそろ朝飯を食いに行こう。寿司があるといいな」
「はい!」
辰月様を心配させてはいけません。今を楽しみましょう。
辰月様は目が良いのか、すぐにお寿司屋さんを発見なさいました。暖簾が出ているそうなので朝からやっているお店のようです。他にも様々な建物がありますが、民家とお店が混在しているようです。
「近くに漁港があるから新鮮なのが出てくるんだろうなぁ」
「楽しみです」
「気に入るのがあるといいな」
「ええ。あ、辰月様のおすすめは何ですか?」
言ってから気付きましたが、辰月様はきっと「なんでも」とおっしゃるに違いありません。けれどそうではないのです。好き嫌いがないのは素晴らしいのですが、お好きなものを知りたいのです。だってそうすれば好みの味に近づけるかもしれないじゃないですか。
それにもっとどんなお方なのか知りたいのです。知ってどうこうなる訳ないので、おかしいのは十分理解しています。ですが辰月様がどのようなお方なのか知りたいのです。
「うーん、俺はなんでも食べるからなぁ」
歩を進める度に袂に入れた貝殻が擦れて小さい音が聞こえます。
辰月様は私の歩幅に合わせてくださっているようですし、ゆっくりと足を動かしてくださっています。
「貝も好きだし魚も好きだし、タコもイカも好きだし。イクラも好きだ」
「イクラ?」
「鮭の卵だそうだ。俺も最近知った」
「ほう、鮭の卵ですか……」
鮭はこちらに来てから何度か食べていますが、まさか一緒に出ていたなんてことは……。だとすると、何も考えずにただ食べているだけの食い意地の張った生贄になってしまいます。
「ああ。その反応だと食べたことないんだな。あるといいな」
毎食出される豪華な食事の中に、もしかしたら出てきていたのかもと思いましたが、出ていないようで一安心です。ただ肥えるだけの生贄でなくてよかったです。頭も召し上がるみたいですから賢くないといけませんからね。
「魚の卵……数の子のようにつぶつぶしているのですか?」
「つぶつぶと言うより、ぷちぷちかなぁ? 」
「ぷちぷち……」
数の子よりも粒が大きいのでしょうかね。などと思っているうちに寿司店に到着しました。
「いらっしゃいませー。空いているお席にどうぞー」
お店の方の威勢の良い声にビクリとしてしまいました。そんな私の手を引きながら辰月様は奥の席を選ばれました。
「俺は今日のオススメにしよう」
「えっ、では私も同じ物にします」
辰月様は席に着くなり即決されました。今日も決めるのが早くてらっしゃいます。そうですよね。優柔不断よりかはいいですものね。ですけど、いつの間にお品書きをご覧になったのでしょう。壁に掲示してありますけど、そんな暇はなかった思います。
「オススメにイクラがなかったら単品で頼もうか」
「よろしいのですか? 」
私は帽子を外して脇に置きました。髪も乱れていないか手で確認しましたが、問題なかったようです。
「食いたいもんを食う。常識だぞぉ」
辰月様はニヤリと微笑まれ、私がその微笑みにドキドキしているとお茶とおしぼりが運ばれてきました。辰月様はそれとほぼ同時に注文なさいました。お腹が空いてらっしゃるのか、少し急いでらっしゃるようです。実は私もそろそろお腹が鳴りそうなので、お茶を飲んで誤魔化しましょう。湯気が出ているので、火傷しないように注意して……。
「あ、汁物も頼めばよかったかな?」
「……まずはお寿司をいただきたいです」
汁物でお腹をいっぱいにしてはいけません。辰月様に私の残飯を食べていただくわけにはまいりませんもの。
「だな。他にも海産物を取り扱っている店もあるだろうしなぁ。焼き魚もいいなぁ」
「え?」
「ん?」
「お昼ご飯の話ですよね?」
「え? 違うが……」
え、違うですって?




