第十二話 食欲
私がお風呂を済ませて部屋に戻ると、辰月様が寝間着姿になってらっしゃいました。私がお風呂に入っている間に大浴場に行かれたそうです。
(ハッ! いつもの石けんと違う匂いがします! ようやく慣れてきましたのに……)
隣に座ると普段とは違う香りのする辰月様にドキリとしてしまいました。心なしか先ほどまでより数割増しで美男子に見えます。これ以上お美しくなられたら私の心臓はどうなってしまうのでしょうか。生贄の役目を全うするまで持つでしょうか。
「ああそうだ。良いものを手に入れたぞ」
「なんでしょう?」
そう言って見せて下さったのは二本の瓶です。どちらも西洋風な色形をしていてとっても綺麗です。
「化粧水と乳液だそうだ。塗ると肌がしっとりつやつや? だか、ぷるぷるだかになるらしい」
「つやつや、ぷるぷる?」
食感をよくするためのものでしょうかね。ならば使いませんと。
「あっ、顔だけに使うのか全身なのか聞くの忘れた。けどまぁ、全身に使ったほうがいいんじゃないか?」
ええそうですね。全身が良い食感にならねばならないのですものね。
「塗り薬同様、身体が温かいうちに塗ったほうがいいだろう。……塗りにくいところは俺が手伝うよ」
「ええ、お願いいたします」
化粧水と乳液を塗る前に髪を乾かしていただきました。そしていよいよ顔に塗っていきます。しかし……。
「んんっ……あ、あら?」
「貸してくれ」
辰月様に瓶の蓋を開けていただきました。私がいくら力を入れても開けられなかったのに、辰月様は一瞬で開けられました。流石素晴らしい筋肉を持ってらっしゃるだけある……。ああ、二日目に見た胸板を思い出してしまいました。なんとはしたない……。
「嗅いだことのない匂いがする……。酒のような匂いもするかな」
「本当ですねぇ」
少しツンとする香りがします。
「少し花のような匂いもするか?」
「ええ少し」
食感もよくなり良い香りも付けられるなんて一石二鳥ですね。
「……せ、背を向けて寝間着を脱いでくれ」
「はい」
寝間着を脱ぎ終わり私が顔と体に化粧水を塗っている間、辰月様は私の背中に化粧水と乳液を塗り広げてくださいました。薬を塗っていただいたので触れられるのには慣れているはずなのに、その大きくてゴツゴツとした手が触れている間ずっとドキドキしていました。手が触れていない今もまだドキドキが残っています。
辰月様はどうだったのでしょうか。きっと私の背中に触れたところで何とも思われないでしょうね。思ったとしても肉がついてきたかどうかの確認だけですかね。
「この手に残ったのどうするか。あ、俺の顔に塗っておけばいいか」
「!」
顔だけ振り返って見てみたら、なんということでしょう! 私の背中に塗って余ったものが辰月様のお顔に!
「匂いがきついけど、美鶴は大丈夫か?」
辰月様は顔中に広げ終えると、さらに首にまで伸ばして塗ってらっしゃいます。
「え? あ、大丈夫ですっ」
「そうか。じゃあ俺は後ろを向いているから、塗り終わったら教えてくれ」
「はい」
辰月様には残りではなく、きちんとした量を塗布していただくべきではないでしょうか? しかし辰月様は良い食感や香りにならなくてもいいわけですし、どうしましょう。
「塗ってすぐに寝間着を着ない方がいいんだろうか」
「そうですね。少し乾かしたほうがいいのかもしれません」
辰月様をお待たせしてはなりません。悩んでいる暇があったら、早く塗り終えましょう。
きっと辰月様は私が知らぬ間に何かしらやっておられるのでしょう。そうでなければ、これほど美男子であるはずありませんものね。
「塗り終わりました」
「おっ。塗り終わったか。……ってまだ着てないじゃないかっ」
「えっ、お見苦しいものを、すみません……」
考え事をしていたせいで、辰月様に貧相な体を見せてしまいました。私は慌てて寝間着を着ました。
「いや、大丈夫だ。ちと目の毒だが眠れるだろう」
目の毒、……つまり悪夢を見てしまいそうと?
「申し訳ございませんっ」
私が指をついて頭を下げると、辰月様が私の体を抱き起こして下さいました。
「謝らないでくれ。確認しなかった俺も悪い」
「ですが、もし何かあったら……」
お仕事と私の世話で疲れていらっしゃるのに、あろう事か悪夢を見る元凶を作ってしまいました。これ以上ご負担になることは避けねばならなかったのに。
眠るのは一番の休息です。それを邪魔してしまうなど許されるはずありません。
「え? いや、大丈夫だって。俺は我慢出来る」
「我慢……ですか?」
悪夢を我慢とは恐怖を我慢なさるのか、それともそんな原因を作った私への怒りを我慢なさるのか……。
どちらにせよ我慢は精神に良くないと聞きます。そして病は気からと言いますからお体にも良くないでしょう。
「そんなっ、我慢なさらずにどうか思いっきり発散なさってください」
「なっ発散って……」
「そうです。ため込まずに思いっきり!」
私に怒りを思いっきりぶつけてください。ちょっとやそっとではへこたれませんよ。
「俺はそんなにため込んでない……って何を言ってるんだ俺は」
「ため込んでらっしゃらない?」
「何度も言うなって……。もうこの話は終わりだ」
辰月様は気まずそうにしてらっしゃいます。私が謝罪しようと再び指を膝の前に置くと、辰月様に止められました。
「明日は早いからもう寝よう」
「ええ、そうですね」
私達がふかふかな寝台に横になると同時に灯りが消えました。とっても不思議ですが私はもうどんな仕組みなのかは考えるのをやめました。
「さっき塗ったやつの匂いが薄まってきたな」
「最初は匂いに驚きましたが、今は肌触りに驚いております」
「うん、確かに凄いよなぁ」
そう言いながら辰月様はご自分の頬を触った後、私の頬に触れられました。これは触感、いえ食感
の確認ですね。
「……良い舌触りになったでしょうか」
「舌って……」
「え、歯触りでしたでしょうか」
「誰が噛むんだ。そんな奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやる」
食べる時に噛まないようです。丸飲みなのですかね。それとも細かく切られたり、千切られたり、すり下ろされたり……。あああ、想像しなければよかったです……。
「最初に会った時にも召し上がらないのかと言ってたよな。美鶴は見かけによらず大胆な発言をするよなぁ」
「そうでしょうか……」
神様と生贄という関係なら普通だと思っていました。気を付けましょう。
「多分そのせいで距離感がおかしくなったんじゃないか?」
「ええっ?」
「ははっ、なんてな。ほら、もう寝るぞ。おやすみ」
おやすみの「み」のところで私の頬に辰月様の唇が。これから先、おやすみと聞いたらこれを思い出すのでしょう。そしてその度に赤面するのです。
しかしその度と言っても私の命は残り僅かです。翌朝、辰月様から告げられました。
「式は三週間後ですか?」
「ああ、出会ってからちょうど四週間だ。昨日言うのを忘れてしまった。すまん」
「あと三週間ですか……」
式とは生贄を食べる儀式のことでしょうか。つまり私はあと三週間の命……。
「はぁ。あと三週間、俺は我慢出来るのだろうか……」
「我慢……」
食べるのを我慢するということですね。これはわかります。
「いや、俺は決めたんだ。式が終わるまで美鶴に手を出さないと」
やはりこの我慢は食欲についてのようです。私が美味しそうになってきている証拠ですよね。日頃の努力の成果です。
「って、俺は昨日から何を言ってるんだ」
またも辰月様は気まずそうな顔をなさっています。一体どのような返事をしたらよいのでしょうか。
「ま、なんとかなるだろう」
辰月様が我慢し続けられるように、私はこれ以上美味しそうにならないほうが良いのかもしれませんね。しかしそれは生贄として良いのでしょうか。難しいですね。
「……と言ったものの、化粧水と乳液は朝晩付けねばならないそうだ。なのでまた背中に塗らねばならない」
「ええ、お願いいたします。……?」
辰月様のこのご様子だと特に背中が美味しそうに見えるのですかね。腹や尻の方が肉がついていますのに。
そう考えていたら、辰月様から顔は洗ってから塗ったほうが良いと教えていただきました。一緒に風呂場やご不浄へ続く襖を開けると、なんとそこには流し台があったのです。ここで顔を洗えということでしょうけど、一体あの襖はいくつの場所と繋がっているのでしょうか?
「俺も洗っておくか」
辰月様が洗った後で私も顔を洗いました。ただひたすら無心で洗いました。だって水も滴るいい男が目の前にいたら、そうせざるを得ないじゃないですか。きっと余計な事を考えたら顔を洗えなくなります。
私が顔を拭き終わると、辰月様が濡れてしまった顔周りの髪や寝間着を乾かしてくださいました。
「そろそろ二人が来てるかもな」
辰月様のお言葉通り、部屋に戻ると侍女のお二人が来ていました。
「辰月様、美鶴様おはようございます」
お二人揃って挨拶してくれました。今日も可愛いですね。
「おはよう」
「おはようございます」
辰月様が本多さんと紺野さんに着替える前に化粧水と乳液を塗ると説明して下さりました。
「でだ、朝は俺の代わりに背中に塗ってやってくれないか?」
「出来ますが、我々では毛が付いてしまうかもしれません」
「手も小さいですし」
お二人は体が小さいので、それに伴い手足も小さいのです。私は犬や猫を飼ったことがないので、肉球を触ってみたいのですけど、何と言ったら触らせてもらえるでしょうか。もう少し親しくなってからお願いしてみましょうかね。
「そ、そうか。じゃあ俺が塗るか……」
私は本多さんと紺野さんがニヤリと笑ったのを見逃しませんでした。まさかお二人は辰月様の食欲を試して……?




