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第十話 蝶々

 蝶々様はひらひらと舞いながら私の右耳、そして左耳の中を覗かれました。その際に何か術を使われたのか、ほんの少しだけ圧迫感がありました。


『鼓膜が破れているわけではないわね。怪我をした時に熱が出たそうだから、その時何かに感染したのでしょう』

「そうだったのですね」


 土石流発生直後のことはよく覚えていません。ただ、怪我で寝込んでいる時に村の人から両親が亡くなったと知らされ、悲しみとあらゆる苦しみでおかしくなりそうになったのは覚えています。あの時に村の皆さんの献身的な看病がなければ、今こうしていられなかったでしょう。

 ですので皆さんのためになんとしてでも生贄の役目を果たしたいと思っているのです。そのためには目だけでなく耳も良くなって、辰月様にふさわしい生贄にならねば!


「先生っ、これはどのように治療するのですか?」

『飲み薬を何種類か処方するからそれを飲んでちょうだい』


 薬を飲んだら肉の味は変わらないのでしょうか。大丈夫ですかね。影響がないといいのですけど。


「薬だけですか? 治療のための術をかけたりはしないのですか?」

『すぐに出来るのは聴力強化ぐらいかしらね』


 蝶々様はこのお姿では出来ないとのことで、やるなら別の方を手配して下さるそうです。


「え、強化ですか? 治すのではなく?」

『薬を飲めば今よりは格段に良くなるわよ。元の状態とさほど代わりはないほどにね』

「元通りではないのですか?」


 辰月様は前のめりになっています。眉間に皺も寄っておられますね。きっと耳、鼓膜もお好きでらっしゃるのですね。


『生活に支障はないわよ。ふふっ、また怖い顔になっているわね』

「あ……すみません。必死になってしまい、つい……。先ほど気を付けると言ったばかりなのに……」


 辰月様はがくりと頭と肩を落とされ、ため息を吐かれました。


『必死になっちゃうわよね。どちらかだけでも大変なのに、目と耳の両方が不自由なんだもの。余計に心配しちゃうわよね。だけど大怪我をしたのに見える箇所に傷が残らなくてよかったわね』

「はい。傷跡は残っていたのですが、辰月様がくださった塗り薬のおかげで綺麗になりました」


 私は日に日に綺麗になっていく肌を見て、とても嬉しく思っていました。見た目も舌触りもよくなったので、生贄の役目を果たすのに一歩前進出来たと思っています。


『え? ちょっと待って。最近人間の診察をした報告なんてないわよ? 一体どこで薬を手に入れたの?』


 蝶々様は一瞬だけピタリと止まり、再びヒラリヒラリと舞われました。声色からすると怒ってらっしゃるのかもしれません。


「……先輩がもう使わないからと言って分けて下さいましたが、いけませんでしたか?」

『医師の処方もなく勝手に? はぁ……、それ駄目なのよ。今度からやらないでね』

「そうなのですか? すみませんでした」


 私のせいで辰月様が何度も謝罪させてしまっています。生贄の分際でなんということでしょう。


「わっ、私のためを思ってやってくださったのです。私が罰を受けます」


 お咎めは私が受けるべきです。辰月様は何も悪くはありません。美味しくなさそうな見た目をした私が全て悪いのです。


『大丈夫よ、安心して。今回は注意だけで、さっきのは聞かなかった事にするから』

「ありがとうございます」

「先生、色々とありがとうございました」


 私は感謝と謝罪の気持ちをこめて、深々と頭を下げました。きっと辰月様も同じことを思いながらお辞儀をされたと思います。


『どういたしまして。……はぁ、本当は駄目なのに、やっている人って多いのよね。同じ症状に見えるかもしれないけど、全く違うものの可能性もあるから絶対に駄目なのに』

「もうしません」

『ええ信じるわ。弥生に知らせておくわね。うふふ』


 蝶々様は舞うように部屋から出て行かれました。本来はどのようなお姿なのでしょう。いつかまたお会い出来たらいいですね。


「飲み薬は後でか……。あ、そうだ美鶴、もう一時間経ったから眼帯はいいんじゃないか?」

「そうですね」


 私は眼帯を外し右目を開けました。最初は光でよく見えませんでしたが、目が慣れると右目でも物がハッキリと見えました。勿論、辰月様や侍女のお二人もよく見えます。


「美鶴よ、指が何本立っているか見えるか?」

「二本ですね」


 両目で辰月様を見られる日が来るなんて! 感激です! 片目で見るよりも、より一層美男子に見える気がします。


「ではこれは何本だ?」

「五本です」

「じゃあこれは……」


 そう辰月様が言いかけたところで、侍女のお二人が止めに入りました。もう見えるとわかったのだからよいだろうとのことです。私は別にこのまま続けてもよかったのですけど……。


「この調子で耳も聞こえるようになるといいな」

「はい」


 辰月様のお声が鮮明に聞こえるようになるのですね。とても楽しみです。

 きっと味もよくなるでしょうし、良いことだらけですね!


「この声の大きさだと聞こえるんだよな?」

「ええ、早口でなければ聞き取れます」

「そうか……」


 辰月様は口の元に手をやり、何か考えてらっしゃるようです。もしや今までの私の発言を思い返してらっしゃるとかですかね……。

 やはりおかしな返事をしてしまっていたのでしょう。これなら勇気を持って言うべきでした。辰月様は耳が不自由なだけで誰かを嫌うなどしないのは、傷跡が残っている私を見た際の反応でわかっていたのに……。


「まぁ、大丈夫だろう……」


 な、何が大丈夫なのでしょうか? この他は聞き取れませんでした。いえ、口元が動いていなかったので何も喋っておられなかったのかもしれません。


「ふっ、これからは耳元で話そうかな」

「えっ?」


 辰月様にどういう意味か尋ねようしたら、私は抱き寄せられていました。辰月様の腕の中にすっぽりと収まった私は一気に顔が熱くなるのを感じました。


「こうすればよく聞こえるだろう?」

「……はいっ」


 私の耳に辰月様の吐息がかかりました。全身がぞわぞわしました。辰月様の体もくっついているので、全身が熱くなりました。まさかこれからこれがずっと続くのですか? ああ、私の体は一体どうなってしまうのでしょう。


「うーん、だけど顔が見えないよなぁ」


 辰月様は私からお体を離されました。これで耳に息がかかることはないので一安心です。ですが、どこか寂しさを覚えました。安心ならばそれでいいのに変ですね。


「可愛い顔が見えないのは勿体ないもんな」


 私は辰月様に顔を覗き込まれました。目が合うと、さらに顔と耳どころかつま先まで熱くなりました。まるで熱いお湯に浸かっているかのようです。心臓も煩くてたまりません。汗も酷いです。


「一秒でも長く見ていたいのに」

「え、ええ……」


 なんと返したらいいのでしょう。何も浮かびません。ああ、背中につぅっと汗が流れ落ちていきました。

 そんな私を本多さんと紺野さんが助けてくれました。


「辰月様、美鶴様が困ってらっしゃいますよ」

「いくら仲が良くてもいけませんよ」

「えー、別にからかっているわけじゃないからいいだろ?」


 辰月様は私から視線を外されました。そのため私の心臓は少し落ち着いてきましたが、いつもよりは騒がしいままです。深呼吸をすれば通常通りになるでしょうか。


「辰月様はそうでなくても、美鶴様はそう思ってらっしゃらないかもしれません」

「ええ、そうですよ。言った本人ではなく言われた側が判断するものです」

「そうか、そうだよな。美鶴、すまなかった。以後気を付けるよ」

「ええ、はい……」


 深呼吸の効果はまだ得られず、体も顔も熱いままです。私は辰月様とは目を合せないように、自分の膝を見つめることにしました。


「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」


 とは言ったものの、心配されたままでいるわけにはいきません。ですので私は顔を上げました。


「あ……」

「ん?」


 再び辰月様と目が合ってしまいました。おかげでいつもとはほど遠い状態になってしまいました。


「美鶴の様子がおかしい! 何の専門医を呼んだらいいんだ!」

「簡単ですよ。辰月様がお仕事に戻られればよいのでございます」

「ええ、そうすれば美鶴様のお心が和らぐと思われます」

「俺が原因なのか? そうなのか?」


 辰月様は侍女のお二人と私を交互に見てらっしゃいます。辰月様を焦らせてしまうなんて、悪い生贄です。なんとか挽回したいのですが、調子が悪いのでなんと言ったらいいのかわかりません。そもそも調子が良くても上手くいくか不明ですけど。


「そうですけれど、これは慣れるしかないでしょうね」

「慣れるためには一緒におりませんと」

「離れるのと一緒にいるのとどっちがいいんだっ」


 辰月様は手を握り締めてご自身の腿を叩きました。自傷行為をさせてしまうなんて、ますます悪い生贄です。


「少しずつ距離を縮めればよろしのではないでしょうか?」

「辰月様は少々距離が近いようですのでね」

「え、近いか?」

「美鶴様限定ですけれど」

「出会って一週間の距離ではないですね」

「いや、だが、俺達は……」


 ここで辰月様は呼び出しがかかり、持ち場に戻って行かれました。




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