⑦ 愉快なコックたち
今からスニーキングミッションを始める。
タイムリミットは今日の夜まで。(王子が帰ってくるから)
目標はこの城の人々に賄賂(果物の差し入れ)を配布することだ。
朝日が顔を出し始めた頃。
一頭の黒馬がそろそろと城の廊下を歩いている。
ザワザワ
馬の耳が人の気配を察知した。
どうやらキッチンの方に人がいるようだ。
(賄賂作戦開始!)
トントン
「ん?何か物音しなかったか?」
一人のコックが物音に反応する。
「そうかぁ?気のせいじゃないか。この時間は俺たちしかいないだろ」
他のコックは気にも留めてないようだ。
トントン
「いや、やっぱ廊下から音が聞こえるな」
「ああ、確かに。今のは僕も聞こえたよ」
数人のコックたちが廊下に出る。
「ひぃっ!こ、黒曜様?!」
怯えた様子のコックたち。体が上下にシェイクされている。
彼らの前には、なぜか土下寝(またの名をゴメン寝)をしている黒馬。
大きな体を小さく見せようとしている努力が垣間見える。
「ん?これは……!魔の森にしか生えない『マルコレル』じゃないか!」
「何?!」
「ウソだろ!?」
(え!なに?!実は人間には毒とかあったりする?!)
人間たちのざわついた様子に、黒馬は焦る。
賄賂作戦の失敗を悟り始めたその時。
「「黒曜様が持ってきてくださったんですか!?」」
興奮した様子で黒馬に詰め寄るコックたち。
あまりの勢いに、彼らの倍はある巨体が後ずさる。
アリに驚かされたゾウのような気分だ。
「これは最高級品の果物なんですよ!数十年に一度くらいしかお目にかかれない稀少な物なんです!!俺も実物は初めて見ました!」
「僕も!図鑑でしか見たことなかったよ!」
「マジかよ……。とんでもない馬だな……」
その『マルコレル』とかいう果物のせいで、コックたちの興奮が収まらない。あと最後の人、本音が駄々洩れだから。
「も、もしかして……これらを僕たちにくれるんですか?!」
ブルルル
(ど、どうぞどうぞ)
あまりの勢いに、他の人たちに配ろうと思っていた『マルコレル』を全部渡してしまった。全ての城の人たちまとめて賄賂作戦が……。
「おっしゃあああぁぁ!!」
「いやったあああぁぁ!!」
「……うるせぇ」
三名の内、二名は正気を忘れている。
唯一冷静なのは黒馬から少し離れた所にいる彼だけだ。
そんな彼の傍にそっと座る。
「……なんですかい。俺にあの反応を期待されても困りますよ」
少しかったるそうに黒馬に話す赤い髪のコック。
この反応は新鮮だ。良い感じに興味なさげなのがグッとくる。
今まで向けられた反応が狂愛か恐怖の二択だったがために効果抜群だ。
ブルル
(彼らは楽しそう)
赤髪のコックに向けて鳴いた後、今だ飛び上がって喜んでいる二人のコックたちに鼻を向ける。朝からあんなにはしゃいで疲れないのか心配になる。
「まあ、あいつらはほっといてください。時間がたてば正気になる」
彼らを眺めながら、呆れたように言う。
(!)
こんなにも人間と穏やかに会話できていることに驚く。
ん?王子との会話も穏やかだった?
あれは私の心中が穏やかじゃなかった。
数分後、正気を取り戻した二人と共に赤髪のコックはキッチンへと戻っていった。
なんかお礼として大量の人参をもらえた。最高。
ある使用人たちの休憩室の昼下がり。
ブル♪ブルル♪
黒馬がお皿に盛りつけられた人参をお行儀よく座って頬ばっている。
「……」
ジー
「……なんだお前ら。なにか言いたいのか」
赤い髪の青年が物言いたげな視線を鬱陶しそうに手で払う。
「いや『なにか言いたいのか』じゃないよ!なんで君の傍に黒曜様がいるんだよ!」
緑色の髪をした青年が怒る。
「知らん。自分で聞け」
「聞けるわけないだろ!馬語は知らねぇよ!」
赤い髪の青年の答えに、茶髪の青年はツッコミをいれる。
(面白いコックさんたちだなぁ)
黒馬は人参を咀嚼しながら、愉快なトリオを鑑賞する。
なんだか高校生の会話っていう雰囲気をひしひしと感じる。
「そうか、お前の頭なら理解できるんじゃないかと思ったんだがな」
「おい、俺が馬並みの脳みそだって言いたいのか……?」
茶髪の青年が赤髪の青年に嚙みつく。
「否定はできないね」
「おい!」
緑髪の青年にすら裏切られている姿は、いっそ清々しいくらい可哀そう。
ガチャ
「なっ……!なんでここに黒曜様が!」
休憩室の扉が開いたかと思ったら、本日数十回目の言葉を聞かされる。
(お邪魔してます。もう慣れてください)
扉で固まっている中年の執事っぽい人は、再起動にしばらく時間がかかるだろう。前に入ってきたメイドさんのように倒れられないだけマシだ。
「……はっ、おいネイト説明しろ」
比較的素早くリロードが終わった執事の人は、赤髪の青年もといネイトに説明を求める。なるほど、この人はネイトさんという名前なのか。
「黒曜様がいます」
「そんなもの見ればわかる!」
……う~ん、ネイトさんは冷静な人かと思ってたけど天然なとこもあるのかな。
「理由ならわからないので、ぜひ執事長がご自身でお聞きになってください」
「執事長、こいつはこうなんで諦めた方がいいっすよ」
茶髪の青年が疲れたように執事長に言う。
「サイラス……お前は分からないのか」
「知らねぇっす」
バッサリと答える茶髪の青年もといサイラス。
この調子でいけば、きっと緑髪の青年の名前も……!
「君は?」
「僕も分かりませんね」
(言わないんかーい!)
ブル!
「「「?」」」
そんな不思議そうな顔されても困る。こっちから名前聞けないから。馬だから。声帯違うから。ぜひこっちを全く見ないで読書してるネイトさんを見習ってほしい。
「ど、どうして黒曜様は鳴いたんだ?」
執事長が怯えと困惑を含んだ声で言う。
「分からないっす」
「分かりません」
他二人も困惑している。
しかし、執事長と異なるのは怯えを含んでいないとことだ。
「ネイト!お前は分からんのか」
小声ではあるものの読書を邪魔されたのが気に入らなかったのか、ネイトは顔を顰めて本から視線を上げる。
「はあ…、さっきの会話で得られた情報が今の会話で得られなかったからでは」
めんどくさそうにそう答えると、すっと本に視線を戻した。
「あ?どういうことだよ」
「まあ、お前の脳はそんなものか」
「ああ゛!?」
「ケンカは外でやってねー」
緑髪の青年は仲裁することなく、放置という選択をしている。意外だ。調停役かと思ったら特にそんなわけじゃなかった。
「ネイト」
執事長が催促する。
「はいはい、名前じゃないですか」
「「「名前」」」
「さっきの会話の法則的にそうでは?」
「「「……」」」
(……)
思わず執事長たちと同じような反応をする。
あってるけど。あってるけど天才の考えることは分からないかもしれない。なぜ理解できたのか分からなさすぎる。
「いや、名前?馬が名前なんて理解するか?」
サイラスが通常であれば常識であることを言っている。
しかし、この黒馬は魔の森出身であることを頭から抜けている。
「知らん。理解する馬がいてもおかしくないだろう」
「いやいや~、本の読みすぎでおかしくなったのか?」
サイラスがネイトを小馬鹿にする。
「は?」
あれ、ネイトさん意外と沸点低かった。
「確かに、あり得るかも」
「は?俺がおかしくなったと?」
「違う違う。黒曜様が名前を理解してるっていうのだよ」
静かに地べたに座っている黒馬に緑髪の青年がそっと近づく。そのまま片膝をつき、馬の視線に自身の視線を合わせる。
「黒曜様、僕の名前はロイです。よろしくお願いします」
ブルル
(こちらこそ)
鳴き声だけでは分からないだろうと、黒馬はお辞儀するように頭を下げる。
「え?マジで理解してる?」
驚愕しているサイラスの横で、執事長はウンウンと頷く。
「黒曜様は特別な方だからな。そういうこともある」
「あるのかっ?!」
納得しきれてないサイラスはそうツッコむ。
尻尾を揺らした黒馬は、ロイの手に頭を寄せる。
ロイは嬉しそうにその頭を撫でる。
サイラスもそれを見て羨ましくなったのか撫でるのに加わってくる。
ネイトは本から目を離さないものの、さり気なく黒馬の背中を撫でている。
その様子を微笑ましく執事長は見守っていた。
この微笑ましい様子を浮気だと見なす御仁もいることは、この時すっかり忘れていた。
御仁「俺のこと呼んだ?」