⑤ 浮気
どうも、室内飼いにされた馬です。
この部屋は空調設備が素晴らしいですね。とても過ごしやすいです。
(じゃなーい!)
ドンッ
激情のあまり、蹄を勢いよく床に叩きつける。
(あっ、やばい床に傷が!)
“賃貸は 傷をつければ 賠償だ”という恐ろしい句を詠みながら、踏みつけてしまった床の周りをグルグルと回る。
バンッ!
「どうされましたか!黒曜様!」
使用人が飛んでくる。
さて、ここで気になったことがあるかもしれない。
もしそうなら、それはきっと“黒曜”という言葉だろう。
簡潔に言うと、名前がなくて困った使用人の人たちが考えてつけてくれたのだ。
よくあの嫉妬の王子が許してくれたねって?
“黒曜”は渾名だからって、ギリギリ許されたよ。結構なせめぎ合いがあったっぽいけど、知らぬが仏だと思う。
では今に時を戻そう。
ブルル……
(床に傷つけたかも、ごめんなさい……)
謝罪の意をこめて、頭を下げる。
「なっ!頭をあげてください!これを知られたらあの方に何をされるか……」
真っ青になってしまった使用人をみて、馬はさっと頭をあげる。
ごめん、そういえば恐怖の権化みたいな人いるの忘れてた。
気を取り直して、使用人の人に踏みつけた床を頭で指し示す。
「ここが気になるのですか?おや、少し凹んでますね」
ガーン
やっぱり傷ついてたんだとショックを受けた馬は、そのままその場で固まる。
「直しときますね」
そう言うがはやいか、さっと手をかざすと床が直っていた。
(す、すごい!)
ブル!ブルル!
「うわっ」
ドサ
魔法のすごさに対する興奮と床を直してくれた感動も相まって、その使用人を押し倒してしまう。
「ははっ、お礼を言ってくれてるんですか?」
押し倒されたにも関わらず、その人は優し気な顔で笑ってくれた。
ブルル
同意の意味を込めて鳴く。
そして嬉しさを伝えるために、その人の顔に頭をすり寄せる。
はたから見れば、巨大な黒馬が人に襲い掛かっているように見えたかもしれない。
お髭男爵あたりは絶対にそう思いそう。
しかし、ある人にとっては違ったようだ。
「何をしてるんだ?」
「(!?)」
で、でたー!
いつの間にこの部屋にいたのか。全然噂してないのに影。
がっつりとこちらを凝視していたのは……王子だ。
「俺に隠れて浮気だなんて……そんなに寂しかった?」
にっこりと笑って扉にもたれている、覇王色ならぬ魔王色を纏う人物。
(いーやーー!!)
ヒヒン……
心の中の悲鳴とは裏腹に、弱気な鳴(泣)き声が漏れ出た。
「ほお?では、お前はただ床を直しただけ……ということか?」
「そ、そうでございます~~!」
可哀そうに、例の使用人の人は王子に詰められている。
私はそんな可哀そうな彼の隣に座って待機中だ。
王子に何かを言われることは決定事項なため、大人しく審判を待っている。
「もう行っていいぞ」
「は、はい!」
どうやら解放されたようだ。巻き込んでごめんなさい……。
(いや謝る必要は別にない……?)
そもそも、こんなことになったのは目の前で微笑んでいるこの人物のせいでは。
「さて、言い分を聞こうか」
馬にしゃべれと。この御仁は一刻も早くお医者様にかかるべきだろう。
どうして目が笑ってない状態で、馬に詰め寄ってるんだろうか。
「俺はなるべく自由にさせてやりたいと思ってるんだ」
さようでございますか。
「でもな。いくら自由にしていいと言っても、浮気と俺から離れることだけは許さない」
そうでございますか……。
「自由にさせている時間があることを褒めてほしいくらいだ。本来なら片時も離れないようにさせているんだがな」
…………。
「お前は今まで森で気ままに暮らしてきただろう?だから自由にさせてるんだ」
……いや室内飼いの時点で、十分に不自「なのに」
(はい……)
もうこの人、心読めてるんじゃないかなって思う。
人の思考遮ってくるんだけど。
「浮気をするなんて、どういうことだい?」
怖い怖い。
やめて、そんな闇落ちした暗い目で迫ってこないで!
(あれは浮気じゃないし、だいたい馬が浮気ってどうゆうこと?!)
ブルル!
抗議の意味を込めて、もうくっついてるんじゃないかなと思うくらい近い王子の顔に声をかける。
「浮気はな、された方が浮気だと思ったら浮気なんだよ」
めっちゃ諭すように言ってるけど、意味がわからん。
一理あるようで、一理ない暴論のような気がしないでもない……。
「俺は絶対に浮気は許さない主義だ」
マジョリティと思われる意見を述べながら、ダメな子を叱るような愛しい者を見るような眼差しをこちらに向けてくる王子。
(馬なのに……馬なのに浮気……)
こちらの『馬に浮気ができるわけないでしょ、そもそも馬が浮気するってどういうこと?!』という言葉に表せない(文字通りである。馬だからしゃべれない)気持ちを華麗にスルーし、近い顔をさらに近づけてくる。ん?どうしてもとから近いのに近づけるのかって?……こっちが後ずさりしてるからだよ!
「浮気した上、俺から逃げようとするなんて……。本当に目が離せないな、お前は」
しまった、ただでさえ闇堕ちしてたのにさらに加速させたかもしれない……。
(ええい、背に腹は代えられない!)
ブルル♪
「ん?」
王子は困惑した様子だ。
それはそうだろう。なんせ後ずさってた馬が急に甘えだしたからな!
「どうしたんだ?急に。いやとても嬉しいんだが」
頬に擦り寄る馬の顔を、王子は優しく撫でる。
その顔は困惑しているものの嬉しそうだ。なんか花飛んでる気がする。
「まったく……。今回だけだぞ?」
どうやらお許しをいただけたようだ。
(まあ、これが愛玩動物の本気ってことかな。いや、馬って愛玩されてたっけ、あれって犬や猫がメインだったような)
ドヤ顔をしたのもつかの間、何かに悩み始めた馬の様子を王子は愛おしそうに眺める。
「まあ、浮気なんてさせないけどな」
ボソッと呟いた王子の言葉は、聴覚が鋭いはずの馬の耳には届かなかったようだ。届いていれば、きっとドン引きしたように後ずさっただろう。
王子はこの日、『もしこの黒馬が浮気しようものなら何者であってもその相手を闇に葬り去る』と決意した。かの馬がそれを知らないのは、よかったのか悪かったのか……わからない。
浮気?事件が終わり、仲直りの印として王子に撫でまわされている。
彼はソファーに座っており、その膝の上に私の頭が置かれている。見ようによっては、膝枕かもしれない。まあ、これが膝枕だなんて断固として認めないが。
あとそろそろ帰ってほしい。いや、この人の家はここなんだけどね。でもこの部屋は一応、私の部屋になってるからね、自室に帰れ!
目が死にかけた時、荒々しいノックが響き渡った後すぐさま扉が開かれる。
ゴンゴンッ
バン!
「若!」
(お髭男爵!私の救世主!)
嬉しさのあまり、撫でていた王子の手を振り落とす勢いで頭を上げた。
どうやら日頃の行いがよかったのかもしれない。
「うるさい。こいつが驚いてしまったじゃないか」
不機嫌そうにお髭男爵を見た後、すぐさま馬に視線を戻し撫でるのを再開する。飛び上がった馬の頭を、撫でながら(押さえつけたともいう)しっかりと自分の膝の上に戻す。
「大丈夫だ、落ち着け。アレはすぐに帰す」
「若!!」
アレと呼ばれたショックなのか、すぐに帰すと言われた怒りからなのか、お髭男爵の顔は血管が心配になるくらい真っ赤だ。
「急にどこに消えたかと思ったら……!やはりこやつめの所でしたか!」
なんか悪者にされたんだけど。
当の本人は、全く構わずに馬を撫でている。
カオス。
「やはり『魔の森』の馬……。若は惑わされているのです!」
え~、そんな悪女みたいな……。
(いやまてよ?悪女はだいたい美人……。つまり私は綺麗ってこと……?!)
嬉しそうな様子の馬を王子は幸せそうに見る。
「何を言ってるんだ。こんなに愛らしいのに愛でないなどできるはずないだろ。それに、こいつに惑わされるなら本望だ」
愛しさを孕みつつ、その中の狂気を感じられる言い方だ。
「わ、若!目を覚ましてくだされ!」
お髭男爵の声は全く響いてないみたいだ。
(私はあなたの味方だよ!お髭男爵!何もできない馬だけど!)
心の中でエールを送る。もちろん、視線は向けない。なぜなら向けたら最後、私の頭を捕えているこの御仁にヤられる。お髭男爵が。
(この人が執着してくる理由はなんとなくわかるんだけどなー……)
自分で言うのもなんだが、命の恩人かつ物言わぬ癒し系動物かつ賢いってなったら側に置いときたくなるのは理解できる。正直、人間だったときの私が今の自分みたいな馬に出会ったら即飼ってた。
「若ーー!!」
「うるさい、黙れ」
この攻防は、馬のご飯の時間になるまで続いた。