② お別れ
光を反射する水面。
水鳥が飛び去ったからだろう、それは揺らめいている。
そんな泉のそばに、一匹の黒い馬と金髪の人間がいた。
「なあ、苦労はさせない。どうか俺と共に生きてくれ」
真剣な面持ちでそうのたまう金髪の人間。
ブルル
(はいはい、それはいいから体洗ってね)
鼻息でそれを伝える。多分伝わらないけど。
この人間の面倒を見ることにしてから、それなりの月日が流れた。
最初の頃は大層警戒されていた。「お前の目的はなんだ」や「なぜ私を助ける」と詰問されることは日常茶飯事。
私は住処と食料を提供しつつ、適度な距離を模索した。その甲斐あってか、次第に気を許してきた。
しかし……。
(食べ物で満足してくれた森の仲間たちの方が、まだちょろかった)
この人間は衣食住(衣は満たされてないけど)だけでは飽き足らず、こちらの真意までも求めてきた。ない真意を求められても与えることはできない。だってないんだもの、真意なんて。
毎回毎回「私から得られるものはない」と言われ続けた。
って言われなくても知ってるわーい!馬が人間に何を求めるのかな?!新鮮な草?人参?もしかすると豪奢な鞍かな~?
……はっ!自律神経が乱れに乱れてしまった。危ない。
わかった。疑うなとは言わないからせめて黙って疑ってくれないかな?そろそろ耳に大きなたこができて、耳の穴が塞がることになりかねない。あとノイローゼにも。
(まあ命を狙われてたっぽいし、疑心暗鬼になるのは仕方ないか)
当時はそう思い、広い心をもって彼に接した。
(しかし、この状況は……)
「頼む。俺はもうお前なしでは生きられない」
真剣に愛の告白をする金髪の男。ちなみに相手は馬だ。
そして共に過ごすうちに、一人称は「私」から「俺」になっていた。
(そのくらい信頼してくれたっぽいけども)
「俺のところで暮らそう」
こうして勧誘を受けるようになった。
なんだか貴族のような風格を感じるから、いいとこのお坊ちゃまと推察する。きっと手厚いお世話をしてくれること間違いなしだろう。優雅な飼い馬ライフ。
(でも私は静かに暮らしたい)
彼についていけば快適な生活と引き換えに、雑多な人の空間で過ごすことになる。それにせっかく仲良くなれた森の仲間たちとも離れることにもなるだろう。そんなの嫌だ。
まだ勧誘してくる男の背を、泉の方へ押しだす。意図を察した男はやっと勧誘をやめ、体を洗い出す。
紳士な馬である私はそっと背をむけて待つ。(いや淑女だった)
どうにかならないものかと思う。私は森にいたい。男は私を連れて帰りたい。決して交わることがない話のうえ、男が森にいられるタイムリミットは迫っている。
帰ることが可能なくらい十分に回復しているこの男は、未だにこの森に留まっている。
これでは、そろそろ森の仲間たちが黙っていられなくなる。今こうしていられるのは私が片時も離れず、男のそばにいるから手を出していないだけだ。目を離した瞬間、喜々として男に襲い掛かるだろう。もしかすると私も一緒に成敗されるかもしれない。森の掟は人間のルールよりもはるかに厳しい。そろそろ本当に男を帰らせなければ。
体を洗い終わった男と共に住処に帰る。
こうして共に帰る存在がいなくなることを思うと少しだけ、ほんの少しだけ寂しいと感じた。
あくる日。
とうとう男の迎えが来た。ちょっと遅すぎない?待ちくたびれたんだけど。
男が帰ってしまう日を今日か今日かと不安に思い、寂しさに震えた日々。その腹いせに、「憎たらしい」という思いをわざと抱く。やっと帰ってくれて清々すると、無理やり思い込んで。
「若!!探しましたぞ!よくご無事で…」
なんだかお髭の立派な人間が、泣きながら男に駆け寄る。
あと、人間が増えて呼び名がややこしいな。この男は「若」って呼ばれてたし、適当に「王子」にしとこ。お偉いさんっぽいし、容姿も金髪碧眼で王子みたいだし。あとお髭の人は「お髭男爵」にしーよおっと。
「うるさい。今忙しいんだ」
何を言うかこの王子。暇を持て余してたでしょうが。
「しかし若!もう帰っていただかなければ!」
そうそう、ぜひお持ち帰りください。
「いや俺は森で生きる」
おい帰れ!なに都会に疲れたサラリーマンみたいなこと言ってんだ!
「若!皆があなたの帰りを待っているのですぞ!」
そーだそーだ!お髭男爵頑張れ!
ムッとした顔で王子がこちらを見る。
(うそっ隠れてたのばれた?)
王子はそのままこちらに来る。そして、こう言い放った。
「俺はこの人と共に生きる!」
ガサッ
王子がかきわけた草むらの先には、馬がいた。
そう黒い馬。
(はい、私で~す…)
お髭男爵はもちろん、同行していた騎士たちもあっけにとられ口を開ける。
あまりにも多くの人目に晒されて、もじもじしてしまう。あと、それ以上口開けてたら虫がはいってくるよ。
「うわっ!口になんか入った!」
騎士が一人騒ぎ出した。
(だから言ったのにー)
本当は言ってないけど言ったことにして、その騎士の様子を笑う。
「ああ、笑っているのかい?でもその瞳に俺以外を映すのは許せないな」
私の頭を抱き込み、自分の顔だけに馬の意識をむけさせる王子。
こわい。私が笑ってることに気づいたのもそうだけど、なによりもその独占欲が恐ろしい。私は馬だよ。もしかして他の人には私が人間に見えてる?
「わ、若、それは馬ですぞ!人ではありません!」
あっ、しっかり馬に見えてるみたいです。よかったよかった。
「それがどうした」
それがどうした…だと。どうかしない方がおかしい。
「美しいだろう。この艶やかな黒毛。均整のとれた肢体。優し気な目元。深い思慮をともしたこの瞳。全てが愛おしい。俺はこの命を救ってくれた上に傷まで治療してくれた存在に心を奪われた」
はっはー、これはとても熱烈な愛の告白だ。こちらの頬まで赤くなりそうだー。その愛の告白をした相手が馬じゃなければね!
「う、馬ですぞ、若…。そやつは馬なんです、若!」
お髭男爵が声を震わせながら主張する。周囲にいる皆の声を代弁したと言っても過言ではないだろう。勿論、私の声も代弁してくれている。
「愛に貴賤は関係ない」
そう言いながら私の首を撫でる狂気の王子。いいこと言ってるのにまるで説得力がない。
「貴賤云々の前に種族が違います!」
我慢しきれなかったのだろう。口に虫がはいっていた騎士がそう叫ぶ。ツッコミがお髭男爵と私では足りなかったところだから大歓迎だ。
「お前らは、種族の違いごときで俺の愛が左右されると思うのか」
極寒の視線で王子は周囲を睨みつける。皆はピタッと動きを止めた。
そんなことは露も気にせず、王子は黒馬に甘い視線を向ける。その切り替えの早さは潔いナンパ男並みだ。
「何か失礼なことを考えてるね?」
おそろしいほどの野生の勘でこちらの考えを読む王子に、少し後ずさる。
「でもそんなところも愛らしいな」
私が後ずさった分しっかりと近づき、側について離れない鋼の心をもつ御仁。周囲の視線を威圧で黙らせ、自分の意志を貫くその姿はまさに王者の風格。
(いやいやいやそんなこと考えてる場合じゃない!)
早く帰らせないと。万が一お髭男爵たちが押し負けて、王子がここに残るなんてことになったら目も当てられない。さっさとこの森からご退場願おう。
ブルルル
王子の背中をお髭男爵御一行のもとに押しだす。王子は私には強く出られないのか、そのまま押される。でも絶妙に踏ん張ってくる。なんとか一行のもとに行かせた王子は、静かに私を見つめてくる。
ブル
(さようなら)
その思いを込めて、王子の体に最後の一押しをする。前のめりになりながら一行の側についた王子が顔をあげ振り返ると、すでに黒馬の姿はなかった。
「絶対に逃がさない」
そうつぶやく王子の顔をみた騎士は、数週間悪夢に苛まされたという。
騎士「あの顔は二度と見たくありません」