① 馬と森と人間と
ほのぼのしたい
新緑に囲まれた世界。
動物たちは泉の周りを駆け回る。
鳥たちはさえずり、虫たちも自由に舞う。
穏やかで心地よい森の中。
艶やかな黒毛をさらし、均整のとれた肢体をゆっくりと動かす一匹の馬。
その周りにはリスや兎、狐や狸などの動物がじゃれている。
その馬は、鬣に鳥を乗せたまま、穏やかな目でその様子を見る。
まるで理性があるかのように。
(まあ、元人間だからね)
この森にきたのは、もう結構昔のことだ。
日を数えるのは一週間ほどでやめた。
ふと、バツを書く蹄を目にして、やめようと思った。
どうして自分が馬になったのかはわからない。
でも人間の頃の容姿よりも、今の方が綺麗な容姿をしていると思う。
もう人間の頃の姿なんて覚えてないのに。
明らかなのは、この世界が人間だったときにいた世界ではないこと。
森の動物たちが火を吐いたり、電撃を放っている様子をみれば、嫌でもわかる。異世界にきた上に、自分は話せない馬となった。
絶望した。
話せない馬である自分が、どうやって人と交流できるのか。助けを求められない自分の無力さに、一時は自暴自棄になった。
でも、気がついた。
この森で、案外生きていけるものだと。
最初の頃は、まあひどかった。火を噴く兎がいるわ、電撃を喰らわそうとしてくるリスがいるわ…。恐ろしいことこの上なかった。
だが、それらの行動は急に自分たちの縄張りに入ってきた侵入者に対するもので、仕方がない部分ではあった。それでも、もう二度と体験したくない。
なるべく刺激しないように、距離をおきながら生活した。果物や草は豊富にあったため、奪い合う必要はひとつもなかった。そうしてお互いが適切な距離で生活していると、余裕がでてきた。
初めての交流は向こうからだった。私の住処にやってきた彼らに、ささやかな贈り物として蓄えていた果物をあげた。おっかなびっくり彼らはそれを持ち帰った。
そこからゆっくりと交流が始まった。
(今ではこんなにも心を許してくれている)
座り込んだ私の周りでは、皆が寝転んでお昼寝をしている。追いかけまわされた最初の頃が、懐かしく思える。
一匹の兎が私にすり寄ってきた。その子に顔をすり寄せてあげる。すると、それが羨ましかったのか、他の動物たちも我先にとすり寄ってきた。
(かわいらしいものだ)
そう思いながら、彼らの好きにさせる。
おや、狐と狸がけんかを始めてしまった。こちらの世界でも、そういうのがあるのかもしれない。
でも、魔法を打ち合うのは危ないからやめようね。
残念ながら、その思いを伝えられるすべはない。
人と話せないことは勿論、どうやら動物とも話すことはできないようだった。
(馬になったから、他の動物と意思疎通できるかもしれないと思ったのにな)
もしかすると、馬となら話せるのかもしれない。
だが生憎、この森に私以外の馬はいない。
まあ、わざわざ探しに行こうとは思わない。
今のこの穏やかな日々が、とても気に入っているから。
願いというものは、儚く散るのが常なのだろうか。
そんな平穏は破られることとなった。
パカラッパカラッ
(っ、はあ、はあ)
私は今逃げている最中だ。森の彼らは安全な場所へ逃がした。
あとは私が逃げ切るだけだ。
「いたぞ!あの馬だ!追え!」
人間に追われている。
全身が黒ずくめの集団なんて如何にも危ない集団だろう。
ガサッガサッ
(こちらの庭で追いかけっこだなんてお馬鹿さんめ!)
しかしこちらにはハンデがある。背に乗せた負傷している人間だ。奇跡的に習得できていた風魔法で背中に固定しているが、いつ振り落としてしまうか気が気でない。
おびただしい血を流している。早く治療しなくては命に関わる。
ヒヒーンッ
(っ、崖が)
ガラガラ…
もう後ろに下がれない。
「やっと追い詰めた。お前に恨みはないが、その背中にいる奴にはあるんだよなぁ」
近寄る凶刃。引き下がれない崖。
それなら!
「なっ!?」
私は崖からフライングアウェイした。
「そんな馬鹿な!」
奴らに一泡吹かせてやったことを満喫することなく、私たちは深い谷底へと落ちていった。
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(……)
キュウ キュウキュウ
クークー
(……?)
キュウキュウキュウ
クウンクウンクウン
(ちょっ、うるさいうるさい)
目を開けると、洞穴にいた。
危うく鼓膜を破壊されかけたことに困惑しつつ、周囲を見渡す。どうやら彼らが運んでくれたようだ。横になっている私の側で、不安げにこちらを見つめる森の仲間たちを見る。
(助けてくれてありがとう。もう大丈夫だよ)
その思いを込めて、彼らに顔を寄せる。
ギューギュー!
こちらにくっつきながら鳴くその声には、「二度とこんなことすんな!」というお叱りが含まれている気がする。
(心配かけてごめん、ごめんってば……)
再会を喜び合っていると、洞穴の奥にあるものを見つけた。
私が背に乗せてきた人間だ。流れた血は黒ずんでいて、苦し気な様子だ。
(やばい!急いで手当を!)
両足で立とうすると激痛が走る。おそらく落下の時に負傷したのだろう。
(でも多分、骨は折れてない)
そう言い聞かせながら立ち上がり、まとわりつく彼らを宥めつつ風魔法で人間を泉へと運ぶ。
(うん、なんとか汚れは落としたけど)
彼らにも手伝ってもらいながら、なんとか洗い終えた人間は未だに苦しそうだ。
(傷に効く薬草なんて知らないよ…)
草の上に寝かせた人間を見ながら途方に暮れる。
すると、鳥たちがやってきた。どうやら人間を見ているようだ。その視線から庇うように、私は体を動かす。鳥たちは私を見る。
まるでこの人間を助けるのかと問われているみたいだ。
(助けたい)
その思いを目で伝える。
彼らはじっとこちらを見た後、方々へ飛び去った。
(危機は去ったけど、薬草はどうしよう)
悩んでいるところに、先ほど飛び去ったはずの彼らが戻ってきた。そして、口にくわえた紫色の草を人間の傷口に押し付けた。
(え!毒殺!?)
明らかに毒のような草を人間にあてているカラスに、慌てて近寄ろうとする。しかし、そのカラスがこちらを理性的な目で見つめてきた。その目は、とても動物とは思えないほどの意思を宿していた。
(……。とりあえず、毒ではなさそう)
人間の治療を手伝ってくれているのだろう。
この調子なら、なんとかなりそうだ。
治療を続けておそらく三日がたった。
人間はまだ眠っている。
(本当に大丈夫かな…)
不安にかられながらも、自分の治療にも専念する。
あの人間を助けてくれるカラスは、私の分の薬草もとって来てくれる。その薬草を潰して液状にしてから塗るのだが。
(いたーいっ!)
ブルヒヒーン!
森の仲間たちにこれでもかと塗りこめられる。わざとのような気が……。そんなにたくさん塗らなくていいんだよ。少し塗ればいいだけなんだよ……。
そんなこともありながら、とうとう人間の目が覚めた。
「ここは…」
そう言って目を覚ました人間。周囲に散らばる薬草と動物たちを見比べる。
「お前たちが…助けてくれたのか?」
信じられないという目でこちらを見つめる蒼い瞳。
(まあ、その動物たちの中に一匹だけ元人間がいますから)
でも正直、この森の動物たちは皆知性が高い気がする。私がいなくてもこの人間を助けることはできただろう。
(まあ、助ける気があればの話だけど)
おそらくこの人間は、もうこの森に長くはいられない。弱った状態だったから見逃してもらえていたが、回復したなら話は別だ。
(でも、まだ万全の状態ではない)
完全に回復するまでは、私の住処で守ろう。森の彼らは身内には甘いが、それ以外にはとても残酷だ。
(人間だったよしみに、人間のあなたを助けるよ)
ゆっくりやっていきます