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花潜む雪  作者: 水菜月
5/11

雪4


「僕は毎晩のように夢を見る。晩というより、明け方なのかもしれない」


 行平さんが珈琲に誘ってくれるのは、彼が夢を見た日だ。正確には夢を覚えていた日だ。いつかこんな話をした時に、私はそれを知った。


 夜中は眠りが深くて暗闇に体ごと沈み込んでいく。明け方の夢は、そう、白いもやのかかった世界にある。現実と夢の境目がいちばん薄らぐ線上。


「僕の夢はうっすら記憶に残るくらいでね。内容までよく覚えている日は、なぜかこの店に来たくなるんだ」

「私は驚くほど夢を覚えているんです。現実と区別がつかなくなるくらいに」

「それは時々あるね。夢の中で言われことが現実のこととして残って、混同して困る」

「夢は現実と繋がっていて、夢から持ってきた感情は現実の記憶と同じように作用する気がします」

 彼は少し考え込んでから、私の目を見る。

「そうだね。悲しい夢をみると一日悲しい気分が残るからね。今朝のように幸福な夢ばかりだといいのにね」


 時折、連れてきてはいけなかったものを掴んでしまうこともある、夢の感情。


 でも……。この人には話してみたい。行平さんにならわかってもらえる気がして、私は勇気を出して言葉を向こう岸に投げてみた。

「私は夢で海に行くと、次の日に日焼けしているんです」


 おかしな子。間があって彼がほんの少しそんな風に私を見たので、急いで話を切り替えてしまった。


 私たちの会話はどこか噛み合わないままだ。それぞれが伝えたいだけの言葉が重なり、勝手に描こうとする夢の絵だけが、宙にぼんやり浮かんでいる。



 フェリーニの映画「そして船は行く」に出てきそうな豪華客船に乗っていた。現実離れした夢らしい夢。月光の下、夜の舞踏会。


 私はデッキから、荒れ模様の海を眺めている。すると、街がすぐ横を流れていった。整然と交差した道に街路樹やガス燈が並び、レンガ色の家々がその道にぴったり寄り添って流されてゆく。写真で見たヴェネチアの街並みに似ている。


 船と街はしばらく併走した。だが、街の速さに追いつけず、とうとう船は街の後姿を見送る。先の方角では滝が流れ落ちるようなゴーッという音がして、街は飲み込まれていった。船だけはその後も漂流を続けていく。


 起きたら潮風の匂いがした。あの街は現実に存在しているのだろうか。何かの暗示なのか、或いは、ヴェネチアがいつか沈んでしまうと聞いたことに影響されただけなのか、私には見当もつかない。



 駅から喫茶店への五分の道のりが、私の宝物だった。

 舗道の並木は、はじめて初夏に見た頃は碧々としていたけれど、秋に入った今は密かに紅葉の金色に移り変わろうとしている。


 今夜は思い切って行平さんと同じモカを注文した。ああ、これは私にはやはり濃い。頭がくらくらしてしまう。お酒より寧ろ私は珈琲に酔ってしまうかもしれないな。行平さんはくすっと笑って私を見る。

 彼はここで必ず夢の話を持ち出すようになった。夢の不可思議に取り込まれていく私と、夢に入り込みたいと願う彼。それが偶然なのかわからないまま、私は逢える日を心待ちにしていた。


「夢の続きを見たことある?」

「ゆめのつづき?」

「僕は一度だけあるんだ。目覚めて、どうしても戻りたくて、帰りたいと願ったら同じ場所に行けた」

 彼がそう言って幸せそうに笑ったので羨ましくなった。この人はきっと願いを叶えられる人だ。私は、どうしてもこれだけは、と思う願いが必ず逃げていく。だから失いたくないもの程、強く願えない。


 でも、彼はそっと哀しい表情を浮かべた。

「確かに同じ場所だったけど、もうそこにいた人がいなくなっていた。折角戻ったのに」

 彼は手で顔を覆って、表情を隠しながらそう言った。

「続きが見たいがために、自分の中にその場所を急いで確保して、その部屋のドアが閉まる寸前に足を挟んだ。乱暴にこじ開けたってきっと意味がないんだ。もうそこの空気諸共、僕をすり抜けて行ってしまった後だった」


 その人は、きっと行平さんのすきなひと。どんな人ですか。


 珈琲を飲んだせいなのか、外に出てみたら足がふらついた。段差でよろけて転びそうになる。ふいにぎゅっと腕をつかまれて、胸の中に入れられた。

 あ、大人の男の人の匂い。しばらく私は行平さんの胸の中で、息を整えるふりをして寄りかかった。大きな手が私の背中を摩る。温かくてやさしい撫で方。


「大丈夫? 気分悪い?」

「もう少しだけ」

 このままで、と続きを言えないまま、永遠にこうしていられたらいいのにって、強く強く、私は願ってしまった。




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