leave a persen in the lurch.
ぷつりと赤い玉が膨れた。
ゆっくりと体積を増したそれは、限界を超えたのか、横へ流れる。
覚悟していた痛みは殆どなかったが、その代わりに虚しさと情けなさが強く胸に残った。
右手に持っていた剃刀をそっとテーブルの上に置いて、絆創膏を探す。テーブルの引き出しの中にファンシーなウサギの描かれた絆創膏を見つけ、手に取った。
思い切れなかった為に小さな傷口と、嘘臭く薄っぺらなウサギとを交互に見比べ、少し笑った。
お似合いじゃないか。
隣に置いたティッシュペーパーで軽く血を拭い、傷口に絆創膏を貼り付けた。
リスカしてるときだけ、生きていると感じるの、そう言った少女の顔が浮かぶ。血の味が好きになったのと笑った彼女は、ひどく虚ろな瞳をしていて、それが恐ろしかった。
気持ち悪くなって、私は洗面所へ駆け込んだ。
胃の中のものを吐き出しながら、頭の中に響く彼女の声を聞くまいと目を瞑った。
「一度やるとクセになるの、やらずにはいられなくなるの。だからやっちゃ駄目、麻美はこんなこと知らなくていいよ」
「最近リスカしてないと落ち着かないの、あたし変かなあ、変だよね、おかしいんだ。ねえ麻美、怖いよ。やめなきゃいけないのに、わかってるのにやめられないの」
「血の赤ってキレイなんだよ。あたしにもこんなキレイなものが流れるんだって思うと不思議」
「昨日、垂れた血を舐めたら美味しかったんだ。ご飯食べるより、ずっといい。ご飯食べてると気持ち悪くなるの」
「麻美、麻美はあたしみたいにならないでね。あたしはおかしいの、でも麻美は違うでしょ?麻美は普通だよね?あたしだけがおかしいんだよね、そうだよね」
おかしくなっていく彼女を、私は止めなかった。止められなかったのではない、止めなかった。
知っていたのに。日に日に増える痣が誰につけられたものなのかも、クスリに手を出していたことも。
売春婦まがいのことをしていたことだって、うすうす気づいていた。
全部、知らない振りをしていた。
知らない振りをして、やせ細っておかしくなっていく彼女を、私は突き放した。関わって、面倒ごとに巻き込まれたくなかった。 リストカットなんて、死ぬ勇気の無い人間がするものだって思ってた。汚らわしい、気持ち悪いと、思っていた。
そして。
あの日、由佳は屋上から飛び降りて死んだ。天気がよくて、気持ちのいい風が吹いている日だった。むなしいくらいに。
私は……ああ、私、何しているんだろう。
とても非生産的で、非現実的で、意味の無いこと。そう思っていたのは、何より自分だったのに。
今更彼女は帰ってこない。遺体は焼かれ、残った骨も、もうお墓の中だ。
帰っては、こない。
由佳はもしかしたら気付いていたのかもしれない。彼女といるとき、私がこそこそと周囲の目を気にしていたことを。
気づいていて死んだのだろうか。
答えはもう知るすべが無い。どれだけ知りたくても。
ねえ由佳、リスカなんてしてもやっぱり何も変わらない。
痛くもないし、安らぎもないよ。 こんなものだけが、由佳の生きてる証だったの?
私には理解できないんだ。
あの頃も今も、何も変わっちゃいない。
私は由佳の気持ちは分からないし、結局本当のことなんて何も知らないままだ。
私は声を上げて泣いた。
赤く滲んだウサギのイラストが、いつまでも私を笑っている。