8.(堪忍して)
「行くッスよ! シアリィ!」
「はい! ゴロー様!」
印を切った和風少女が輝いて形状変化し、一振りの剣となる。
その柄を手にした丸坊主の少年が腕を振るう。
それだけで大柄な黒い筋肉の塊が四つ、胴を薙がれて倒れ伏した。
哀れな死体はすべて魔物、すべて変異種のオーガ、例外なく一撃死だ。
剣が輝き、少女の姿へと逆に戻った瞬間には、既にシアリィはびしっと指を死体に突きつけている。
「安心しなさい! 化け物ども! 今のはただの横薙ぎです! きっと峰打ちの同類です!」
「……コイツら殺された後ッスよ? 何を安心しろって言うんスか……自分でも信じられないッスよ。これ、本当に、ただの横薙ぎなんスよね……? なんで基本技の一発で中ボス級が複数即死するんスか」
並大抵の腕ではないし、一山いくらの剣でない。
これこそが、田吾作勇者の最新モードにして攻撃特化スタイル。
レベル四十勇者による神剣シアリィ装備での剣の基本技連発である。
本来、チュートリアルのお試し戦闘でしか使われないようなスキルが、このカナーンの地における魔王軍の中堅幹部を絶滅へと向かわせていた。
結局、シアリィはゴローが装備することになった。冷静に考えれば組み合わせはこれしかない。
ゴローは素の攻撃力が低く、高位の攻撃技も身に付けられないのだから、強い装備で補うしかない。
そして防御面では硬すぎて、シアリィの継続ダメージも通じない為、自爆の心配はない。
完璧な戦力強化であった。急接近する二人。いや、絡む機会が増えただけなのだが。
「さすがはゴロー様! 獅子欺かざるのお力です!」
田吾作勇者はともかくも、シアリィの方は、完全にゴローに恋する瞳であった。
どうも前世、ただの人間だったときから、触れた相手にダメージを与える体質だったらしい。
生まれて(そして一度死んでからも)初めて、触れて痛がらない、嫌がらない男の子に出会ったのだ。
運命を感じるのも自然であった。
乙女のハートは暴走した機関車だ。走り出したらブレーキは利かない。
(随分といいご身分だな! 発情しているだけなのにそれを恋だと思い込み、彼女面とは!)
だがしかし。その運命に待ったを掛ける者がいた。
(面白くない! 面白くない! 面白くないぞオオオオオオオ!)
女神が切れていた。念話には出さず。
仲間外れが許せない。新参が勇者と仲良し許せない。何よりも。
(おめぇなに私のポジションを侵食してんだよオォォォォォォ!)
そう、ゴローに馴れ馴れしいのが。
自分のゴローと『私たち、もしかして運命のカップル!?』的な空気を出しているのが許せないのだ。
女神の機嫌は、凄まじい速度で悪くなっていった。
あの後、冒険者ギルドに行ってカネを受け取り、宿屋へ三人で戻った。
それからは狭い部屋で、シアリィがゴローにベタベタひっつこうとしている。
ゴローが恥ずかしがって押しのける。その繰り返しだ。
女神は、二人から少し離れてベッドに座っていた。じっと手を見る。
金貨二十四枚。今日の討伐報酬が、女神の手の平で輝き。
(フンッ!)
「ヒッ!」
ことごとく握り締めた剛力で歪んだ。怒りと妬みが限界を超えた。
ゴローがアタックに引いていなければ、こうなっていたのはシアリィの顔面だったことだろう。
神剣の少女の表情が、恐怖で凍った。
「とっところで、ゴロー様。ゴロー様は、何を使命として勇者様になられたのですか?」
女神の怒りを逸らさねば、命が無いとようやく理解が行ったらしい。
誰でも分かる、その場しのぎの問いかけだ。だが神剣の質問に、やや女神も怒りを忘れた。
ゴローの正確な使命について、確認するのを忘れていたからだ。
というのも、ゴローをこの世界、アンドリシアンに連れて来たのは確かに女神だが、把握しているのはあくまでそこまでだったからである。
転移転生業務も、上位の神が直接仕切っている場合なら、目的まで全て定めることは珍しくない。
しかし女神は地位も権限も担当者止まり。
彼女のやった実務と言えば精々が、当局へ地球人一名のアンドリシアン行きを申請したこと。
あとは申請が通ったのを確認し、該当の転移者としてゴローを登録したことだけだ。
つまり、そもそも上位の神が何を目的として、ゴローの異世界転移を許可したのかは知らなかったのである。
何よりそのときはもっと大事な案件があった。
シュンヤの末路をどう隠蔽するかで頭が一杯だったのだから仕方がない。
だからここから先はゴローの問題。丸坊主に視線をやって、ひとまず確かめておくよう促す。
ゴローもうなずいて、すぐウィンドウを確認し始めた。
「ああ、オーソドックスな感じッスね。『使命:魔王討伐』って書いてあるッスよ。ヒルクリミナ姫様たち、別に嘘ついてたわけじゃなかったみたいッスね」
「まあ素敵! 本当にゴロー様は世界を救う勇者様であられたのですね! わたくし、使い手様が勇者様だなんて、感激です!」
本当に嬉しそうな巫女。どうも勇者と組んで、世界を救うのが夢であったようだ。
「ああきっと、魔王討伐の暁には生涯の相棒として、ゴロー様のものにされてしまうのですね、わたくし……」
巫女が紅潮した自分の頬に手をやっていた。ゴローに完全に惚れ込んでしまったようだ。
そして知識先行型だった。完璧に恋に落ちていた。
別にゴローは好きなどと口にしていないのに。
(ケッ、さすがはベッドの妖怪だ。ことあるごとにメスの顔でゴローを寝床に引きずり込もうと……人の役目を! まったくけしからん!)
だらしない顔を見せる神剣に、女神は我慢ならず毒づいた。念話には出さず。
(清純面して、どうせゴローとあんなプレイ、こんなシチュ、狙ってるんだろう! 清楚な顔して私物を漁ればエッチな本がうなってるんだろう! 間違いない! なぜなら私がそうだから!)
女神も結構、知識先行型だった。
ゴローが二人の浮かれっぱなし、自分の世界に篭りっ放しの姿を見て、呆れた顔をした。
(そろそろ神剣気取りのアホに、私が格の違う偉大な存在であることを教えねばならん! ……ゴローにも、シュンヤの件を最優先にしてもらわないと困るし)
女神は二人を呼び寄せた。そう、真実を打ち明けるときがきたのだ。
不安などない。女神の中ではもはやゴローは自分の恋人だったのだから。いわゆるハイスペ彼氏。
嫉妬でその目は、濁っていた。
女神は真実をすべて話した。
自分がゴロー殺しの犯人であったこと。
それだけでなく、シュンヤという別口の人間に対する轢殺犯でもあること。
ゴローはシュンヤ殺しのための暗殺者だったということ。
正確にはシュンヤの死を偽装すべく、赤子を血祭りに上げて欲しいということ。
女神の使徒である以上、ゴローは自分に従うべきであること。
神剣を名乗るアホとはあまり仲良くすべきでないということ。
人間と女神の結婚例は、数は少ないがあるということ。
後半願望混じりの話を一くさり聞いたとき、ゴローの目は冷えていた。
(アレッ)
女神は焦った。これは蔑みの目。
それも周囲から寄せられることの多い、心無い視線ではない。
女神自身が悪いときに向けられる、心ある者からの拒絶の温度。
ゴローは目の温度を氷点下にしつつ、ぽつりと言った。
「ここで、俺たちお別れにしようッスよ。女神様」
(なんだと! なぜだ! 勝手な真似は許さんぞゴロー!)
「女神様が許そうが許すまいが、知ったこっちゃないッスよ。それに俺、これ以上女神様のこと、嫌いになりたくないッス」
(き、きら……)
さすがの女神も愕然とした。なんで。ゴロー、なんで。
愛されてる。私確かに愛されている。そんな実感が、ほんの五分前まであったのに。
硬直する女神を無視し、ゴローはシアリィに頭をさげた。
「シアリィ、悪いッスけどお願いがあるッスよ」
「……できればその先を、聞きたくはございません。でも他ならぬゴロー様のお願いですもの。承ります」
「女神様一人じゃ不安ッスから、付いていってあげて欲しいッスよ」
「……はい。わかりました。本当は、ゴロー様と、ずっと一緒が、よかった。でも仕方、ないですね」
(なっ)
半泣きでシアリィが了解した。
何が起きているのだ。女神は急激な周囲の変化に対応できない。
恋敵の神剣までもが、情勢を把握しているのに。自分はそれほどのことをしてしまったのか。
ゴローが席を立ち、部屋を出て行ってしまう。
シアリィはまだ残っているが、俯いて黙ったままだ。
(どうしよう)
ゴローに嫌われた。女神には大ショックだった。
周囲からの悪意には慣れている。
だが、自分の愛した者、自分を愛してくれる者から嫌われるのは。
本当につらかった。
「どうしようじゃありません! 女神様、なぜ罪無き童女を殺めろなどと! どうしてゴロー様にそんな非道なことを!」
(どうしてって)
シアリィが叫ぶ。普段は大人しい娘の激情に、女神もビビる。
「どうしてご自分が殺してしまったのに、ゴロー様への罪悪感すら無いのですか! しかもどうしてご自分の不始末を、よりによってご自分の殺したゴロー様にさせるのですか! ゴロー様は本当に、女神様を慕っていらっしゃったのに……」
(だってゴローは私の)
「だってじゃありません! ゴロー様は女神様の都合のいい道具なのですか!? それともシュンヤという少年は始末するけれど、ゴロー様だけ大事にすると誓うのですか!? ここまで侮りを受けて、それをゴロー様は信じて差し上げねばならないのですか!?」
(……そんなつもりじゃ)
「では、どういうおつもりだったのですか! ゴロー様を気分次第で使い捨てるつもりでもなければ、出てくるお言葉でもお考えでもございません!」
(う……)
「あなたは一体何様なんです! 神様だと仰るつもりなら、神様の世界におられればよかったではないですか! 人間の世界にいるのだったら人間相手にいい加減なことはしないで!」
(うっ、うええわあああああああああああん!)
女神は泣いた。言葉にされて初めて、どれだけ自分が最悪な奴だったのか理解できたのだ。
しかも愛する相手に対して。神界大学主席卒業の頭脳も泣いている。
最初は激怒していたシアリィも、最後には呆れた顔だった。
(ごめんよ、ゴロオオオオオオオオ)
「念話で嘆いている場合ではありませんとも。女神様。誠心誠意、謝るのです」
(う、うん、あ、あやまる。でもあやまってもゴローが許してくれるか……)
「いいから! 確と己の非を詫び、許しを乞うのです! ゴロー様はお優しい方。女神様が真実反省されれば、きっと悪くはなりません」
(わ、わかった)
シアリィに怒られ、女神はテンパッた。謝った経験が、乏しかったからだ。
必死で記憶を手繰り寄せた。サブちゃんやおハルとケンカしたときのことを。
(サブちゃんの場合、本気で破滅の波動とやらを放ってきた。あのときはこっちが死に掛けてマジ土下座された。おハルの場合、馬鹿すぎて次の日には、ケンカしたことを忘れていた。さらに馬鹿すぎてその次の日なんか、追加で私の顔と名前までもを忘れていた)
本当に使えない神友たちだった。
丸坊主の少年が戻ってくると同時に、女神は土下座攻勢に入った。
たどたどしい言葉と、拙い謝罪。それでも一つのことだけは伝えようとした。
『私が全部悪かった。さっきの話も取り消す。二度と命じないから許して』
一時間に渡る謝罪が終わるころ、ようやくゴローが口を開いた。
「女神様。あんなことはもう二度と言わないッスよね」
(絶対言わないよ! 誓う!)
ゴローはそれきり俯いて黙った。
横にいるシアリィも心配そうに成り行きを見ている。
「……もう、怒ってないッスよ」
(で、でも……ゴローは私が轢殺しちゃったんだし)
「それはまだ怒ってるッスけど、終わったことをくよくよしててもしょうがないッス。取り返せないなら、次へ、行くしかないッスよ。……もちろん、三人一緒に、ッスよ?」
(ゴロー!)
女神は歓喜し、ゴローに抱きついた。
ステータスの差によってよろめく少年の苦笑いにも、抱擁は止まらない。
「ゴロー様が許して下さってよかったですね。女神様」
(うん。……ありがとう。シアリィ)
「お気になさらないでくださいな」
横で同様にゴローに抱きついている黒髪の少女、シアリィも嬉しそうだった。
女神の心に春風が吹く。もう大喜びである。
本当によかった。ゴローが許してくれたし。それに。
やっとサブちゃんとおハル以外で、友達が、できた。
たぶん友達ってシアリィのこと(ゴローは彼氏)。
というわけで第一部完。いかがでしたか? 続きはWEBで。