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 リジナはゆっくりと目を開いた。

 耳殻と指がぴりりと痺れている。発熱しているように、体がだるい。

 両肩にもふっとした塊が押し付けられている。 リジナは右のもふっとした塊に顔を埋めた。

 滑らかな毛布のような感触だった。こんなに肌触りがいいものが屋敷にあっただろうか。


「リジナ」


 どうしてだろう。ファウストの声がする。

 屋敷に遊びに来ているのだろうか。


「困ったな。童話のように、口付けしたら、目を覚ましますか?」


 うすらぼんやりとしていた意識が一気に覚醒した。

 ファウストに不埒なことを言われた気がした。

 薄汚い壁に背を預けているファウストと目が合った。

 困ったなとばかりに、ファウストは目を細めた。


 リジナは辺りを見渡した。

 どうやら、地下牢のような場所らしい。空気は湿り、ぼうっと暗い。階段へと続く道には鉄格子がはまっている。地面には鼠が這い、埃臭い。壁のシミは血でできていた。

 ふさっとしたものは双子の耳だった。双子は、抱え込むようにリジナを抱き締めている。耳朶に健やかな寝息があたる。美しく整った顔がすぐそばにあると思うとむずむずした。


「そうだ、パリア様……」


 双子の滑らかな耳の魔力に抗い、記憶を辿る。

 パリアに棺のなかに入ったマリオを見せられ、そのまま意識が遠退いてしまったのだ。

 おそらく、薬を盛られたのだ。ごった煮のスープは、舌に奇妙な後味が残った。おそらく、あのスープに入っていたのだろう。

 マリオが帰ってこなかったのだ。危機感を抱くべきだった。


 リジナは起き上がろうとした。だが、双子の絡む腕の力が強くて、起き上がることもできない。

 ぐるりと目を回した。マリオの危機に、こうやってのほほんと寝そべっていていいのか。


「ご機嫌よう、リジナ。よく眠れましたか?」


 視線だけ、ファウストに向ける。ファウストの隣には、セドが跪いていた。許しを乞うように、ぎゅっと目を閉じている。


「清々しいお目覚めのところ申し訳ないが、悲報があります。僕らはあの女に囚われてしまったようですよ」


 リジナは再び、辺りを見渡した。鼠のきゅうきゅうという鳴き声が、空恐ろしく聞こえた。


「僕らは、パリアが言っていた、ゾンビパウダーもどきを飲まされたらしい」

「ゾンビパウダー? そういえば、ナツミが言っていたと、パリア様は言っていたっけ」


 仮死状態にさせ、起き上がったら奴隷になるのだとパリアは説明していた。


「でも、私も、ファウストも、奴隷のようになっていないよ」

「ええ。リジナや僕が奴隷など、冗談でもありえない」


 ファウストは立ち上がり、リジナに近付いてきた。セドはファウストが移動しても、その場で拝跪したままだった。


「リジナ、怪我はありませんか」

「うん。ファウストは?」

「耳鳴りと軽い痺れがする程度です」


 耳たぶを触り、ファウストは苦笑した。リジナと同じ症状がでているらしい。同じだとリジナは頷いた。


「困りましたね。まさか、こんな強行手段に出るとは」

「マリオを助けに行かなくちゃ」


 明日は結婚式だとパリアは言っていた。狂言だろう。だが、パリアは正気ではなかった。なにをしても、不思議ではない。


「ここから出られませんよ。反魔術の方陣が組まれているようで。魔術がまったく使い物になりません」


 セドが落ち込んだ様子で首を振った。魔術を使えなかったらしい。

 リジナは双子に視線を向けた。


「おそらく、双子でも無駄だと思いますよ。魔術が展開できないのですから。こいつらめ、僕らを置いて逃げればいいものを、てこでも離れなかったらしい」


 魔術師は主が大好きなのだ。きっと、倒れたリジナ達を見捨てられずに一緒に牢に入ったのだろう。

 リジナは双子の耳を揉んだ。

 ぴくと鼻が動いたあと、リチャードが目を覚ました。リジナと掠れた声で名を呼ばれる。


「リチャード、おはよう」

「……リジナ、かわいい」


 相変わらず、甘やかす言葉ばかり吐く。

 リジナは内心慌てた。ファウスト達がいるのだ。


「リチャード!」

「奴隷になっていない?」


 リチャードはリジナの頬をぺろりと舐めた。


「おい、お前な」


 硬直するリジナのかわりに、ファウストが鋭い声で咎めた。だが、話しかけるなとばかりに顔を背け、リチャードは無視した。


「そうやすやすと、奴隷になるものか。意識もはっきりしている」

「……リジナ、痺れるだけ?」

「うん、そう。リチャードは私が奴隷になると思ったんだね?」


 リジナをぎゅうと抱きしめたまま、リチャードが頷いた。


「だって、あの女が同じものを飲ませたと言っていたから」


 やはり、飲まされたのはゾンビパウダーと同じ効能の薬らしい。

 ぱたと耳が上がり、テオドールの目蓋が開く。

 テオドールはリチャードから奪い取るように、リジナを自分の方に引き寄せた。


「リジナ、おはよう。どうもない?」

「大丈夫だよ」


 ファウストは、眉根を寄せて、首を振った。


「どういうことでしょうね? ゾンビパウダーを飲まされたのではなかったのか」

「それは、わたしがご説明させていただきます」


 鼠が鳴いて、鉄格子の隙間をすり抜けた。

 執事のセパが、包帯を巻いたまま、のそりのそりとこちらへ近づいた。

 鼠達が、セパに体を擦りつけた。困り果てた様子で、セパがそこで止まった。


「パリアの手先がなにようだ。殺しにでも来たのですか?」


 毒を孕んだファウストの声に、セパは明らかに狼狽えた。


「違います、高貴な方々。わたしは、あなたがたを助けに参りました」

「ほう?」

「我が主、パリア様は、正気ではございません」

「そうでなければ、人の婚約者を奪って、僕達を監禁しないでしょうよ。無駄な話は結構。それで、僕達はゾンビパウダーを飲まされたのではなかったのですか?」


 テオドールの頭を撫でて機嫌をとる。

 リジナは立ち上がり、セパに近寄った。テオドールとリチャードはむっとして、リジナの背中を軽く叩いた。

 どうして、他の奴なんか見るのと憤慨しているようだ。


「懺悔いたします。そもそも、ゾンビパウダーなどという珍品と同じ効能の薬などないのです、尊いお方。パリア様は、卑しい商人に騙され、どこででも手に入れられるような、麻痺薬を高値で購入してしまった」

「麻痺薬か。それで?」

「パリア様には何度も進言いたしました。しかし、聞き入れては下さらなかった。そればかりか、薬をのませ、失神したわたしに、奴隷になったかと尋ねてくるように。わたしは、パリア様に、いいえ、いいえと首を振りました。わたくしの言に従うまで、ここから出さないと、パリア様はおっしゃいました」


 ぎょっとして、リジナは牢屋のなかを見渡した。つられたように、双子も視線を追う。

 薬の効果が出たというまで、執事をここに閉じ込めたのか?

 パリアは本当に正気を失ってしまったようだ。


「はじめのうちは、言うものかと思いました。主を正すのも、己の務めと。しかし、人間とは、愚かで脆いもの。強固な意志では腹は満たせない」


 セパの視線は足元の鼠に注がれた。

 ちゅうちゅうと姦しい音を立て、気を惹こうとしているようだった。


「鼠を食べる前に、理性を殺せたことがよかった。気が付けばわたしは、顔に包帯を巻いていました」

「その顔はーー」

「いいえ、いいえ。どうにもなってはおりません。邪推など、されませぬように」


 否定したが、決して包帯を取ろうとはしない。

 リジナはじりじりと心の大切な部分が焼けていくような喪失感に、目の前が暗くなる。


「薬は偽物なのだろう? ならば、なぜ、マリオはあのように眠っている?」

「マリオ様がいらした日。皆様と同じように、ごった煮のスープに薬を入れろと命が下りました。どうせ、麻痺するだけ、そう思い、深く考えませんでした。しかし、魔術師が」

「魔術師? カシスのこと?」


 そういえば、一緒に行ったはずのカシスの姿がなかった。双子やセドのように、主の元から離れるとは考え難い。なぜ、いないのだろうか。


「魔術師は、酷く動揺してしまった。パリア様の奴隷という言葉を鵜呑みにし、術を」


 ちっと、ファウストが舌打ちをした。


「あの馬鹿鳥!」

「術?」

「わたしには、よく分かりませんが、それ以来、あのように」

「リジナ、カシスが、ごみに眠りの術をかけた」


 後ろから、テオドールがリジナの髪を梳きながら、話しかけた。

 セパが体を強張らせた。双子がリジナに隠れつつ、睨みつけているからだ。


「眠りの術」

「もともと、結界系が得意なんだよ、カシスは。召喚も、肉体強化も、全然、駄目」

「カシスでも、解けるかな? かなり乱雑になっていた」


 相談し合う双子をファウストが複雑な表情で見つめた。


「お前達、分かってなら言え」

「なぜ、お前に言わなくちゃならない」

「リジナ、こいつ、うるさい」


 殊勝な顔で双子はリジナの後ろに隠れた。

 リジナは眉を下げて、双子を叱った。


「リチャード、テオドール。言ってくれないと、困る」

「うん、次はきちんと言う。でも、リジナ。問題は、あのごみ、起きないかもしれないってこと」

「マリオが寝たままってこと?!」

「そう。カシスがかけた眠りの術は、生命活動を極端に低下させる。あの女の奴隷になるって思い込んだせい。あの女のものになるならと、死んだように眠らせることを選んだ」


 カシスは小さな子供の姿をしているが過激だ。マリオの声を奪ったこともある。

 パリアの奴隷になるくらいなら、目覚めなくてもいい。そう思ってしまったのか。


「分からないでもない。私でも、そうする」

「リチャード」

「でも、カシスは馬鹿だ。動揺が術にも反映して、ぼくらでも手がつけられないぐらい術が歪んでいる」

「カシスは、どこにいるんでしょうか?」


 リジナはセパに尋ねた。


「分かりません。どこかに、行ってしまって」

「カシスがいなければ、解けない術なのだろう? どうするんだ」

「カシス解けるかどうかも、謎」

「リジナ、きちんと呼吸をして」


 ファウストに呼びかけられ、リジナは詰めていた息を一気に吐き出した。

 起きなければ、ずっと眠ったままのマリオを見続けなくちゃいけないのだろうか。

 いやと首を振る。カシスならば、解けるかもしれないのだ。だが、なぜ、側にいないのか。それこそ、解けないという証明ではないのか。不安が膨れ、腹を突き破り、飛び出してしまいそうだ。


「カシスを見つけにいかなくちゃ」

「ええ、マリオにかけた術をなにがなんでも解かせなければ」


 がちゃんと鈍い音とともに、鉄格子の錠が外れた。セパが、静かに後ずさる。


 ファウストがセドを立たせ、鉄格子から出た。リジナもそれに続く。


「マリオ様は、ここにはおられません。王城に向かわれました。そこで、パリア様と結婚式を挙げられます」

「……結婚式」


 リジナは無意識に指を見つめた。

 明日だと、声を荒らげていたパリア。

 マリオとするはずだった結婚。なぜ、パリアとすることに?

 悔しい。憎たらしい。負の感情がリジナの心を汚した。マリオを薬で思い通りにしようと考えたパリアに、怒りが湧いてくる。

 正気を失い、獣心に支配された彼女に、なぜ、マリオとの結婚を譲らねばならないのか。


「リチャード、テオドール。カシスを探して欲しい。私は、マリオとパリア様の結婚を壊しに行ってくる」


 目を瞠る双子の頬を撫でる。

 決意が心の中で松明のように燃えていた。怒りと悔しさがまじり、よく分からない感情が、体を巡っていた。リジナにとっては、その感情が血だった。


 ファウストは、面白そうに口端を上げて、セドに向き直った。


「お前も、双子とカシスを探しに行け。僕はいくらでも、リジナにお付き合いしますよ」


 どうやら、ファウストはリジナとともにマリオの元に向かうらしい。リジナは頷き、双子を見上げた。

 不愉快だと、双子の表情は語っていた。

 リジナについて行きたいらしい。


「二人がきちんとカシスを見つけ出せたら、二人が好きな本を朗読する。膝枕付き」


 双子の瞳がきらりと輝いた。

 この間、双子が、こっそり読んでいた本を見つけてしまった。

 貴族の夫人と執事の禁断の恋の話だった。愛人になりたいと言い出したのは、その本の影響に違いない。

 双子は読書家だ。二人の部屋は四方が本棚で埋め尽くされている。


「本当?」

「嘘じゃない?」

「うん。だめ?」


 双子はきらきらした目のまま、ぶんぶんと首を振った。


「すぐ探してくる」

「カシスの居場所なんて、簡単に見つける」


 双子の頭に手を伸ばし撫でる。

 双子の主でよかったと思う。普通の令嬢だったら、なにも出来ないと絶望して諦めていた。


「尊きお方、お許し下さい」


 セパは祈るような懸命な眼差しでリジナへ跪いた。


「パリア様が正気をなくされたのは我々にも原因がございます。あの方の苦悩をお慰めすることができなかった」

「……パリア様は、何に苦悩していらしたの?」

「自分が、心底醜い容貌をしていると。この顔では、誰も娶ってはくれないだろうと思っていらしゃいました」


 リジナは驚いた。

 行き遅れではあるだなとは思っていたが、パリアのことを醜悪だとは思っていなかったからだ。

 ファウストは、嘲笑するように、鼻を鳴らした。セパが具合が悪そうに、視線をさまよわせた。


「ファウスト?」

「同情する必要はありませんよ。リジナ。己の容貌を気にする人間は二通りあります。本当に自分の容貌を恥じているものと、虚勢を張り、羞恥を抱くもの。後者は、他人の美醜にも、熱心だ」


 なあとファウストは威圧的ない眼差しでセパを見遣った。


「 王の妹に縁談が舞い込んでこないはずがない。でも、パリアは顔がいい男が好きですからね?」

「……ファウスト」

「マリオの肖像を、大事に飾っているところから、パリアの好みがわかろうというものです。別に美形好きが悪いとはいいません。だが、自己憐憫ごっこは、国政や国益と関係ないところでやっていただきたいものです」


 パリアは、自分を醜い、醜いと言いながら、高望みし、相手を嫌だと突っぱねていたということだろうか。

 セパは青ざめて、申し訳ありませんと謝った。

 セパにしてみれば、主人を庇っただけだ。

 しかし、マリオへの仕打ちは許されるものではない。


「ごめんなさい。パリア様に同情はできない」

「……はい。我が主が申し訳ありません」


 セパは頭を深々と下げて、謝罪した。


 リジナとファウストは、魔術師達と別れ、セパに用意して貰った馬車に乗り込み、王城を目指した。





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