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「これ」


 立ち止まったリジナを責めるように、執事が振り返る。

 唇を噛む。心臓からどっどっと嫌な音が聞こえてくる。


 どこに目をやってもマリオの顔がある。

 ひとつならば、素敵だと見つめていられるだろう。だが、数えるのも馬鹿らしくなるほど、喉をおさえたマリオばかりだ。

 パリアは心が壊れてしまったのだろうか。こんなにたくさんマリオの肖像画が存在するのは異常だ。

 マリオは大丈夫だろうか。

 喉をおさえる幼少期のマリオ。ちらりと、嫌な予感が頭をよぎる。


 パリアが、声の出ないマリオに執着しているとしたら、声を奪おうとするのではないのか。

 嫌な予感を振り払う。そんなことはしないと、思いたい。


「パリア様がお待ちでございます」


 執事が案内したのは、食堂だった。

 ファウストが先に入る。リジナがその後に続き、魔術師達が付き従う。


 部屋中、香辛料の匂いが漂っていた。リジナは懐かしい香りだと目を細めた。

 西の国へ侵略したとき、持って帰ってきたのが香辛料だ。それまで、そのままの味付けで料理は食べられていた。貴族が独占しているので、市場ではいまだに高値で取引されている。

 マホガニーの机と椅子。金の燭台が煌々と灯っている。花瓶には瑞々しい花が活けてあった。

 パリアは、巻き毛をゆらりと揺らし、優雅に食事をとっていた。


 三十代の女性だ。顔の造形は整っているとは言い難い。

 普通の貴族ならば、三十代は、婚期を逃した行き遅れの年齢である。

 貴族の結婚適齢期は十四歳で、初潮が始まったら、すぐに嫁ぐ令嬢も珍しくない。

 行き遅れは目も眩むような持参金を用意するか、醜聞を隠すために教会におくられ、修道女になる。

 しかし、パリアは国王が溺愛しているからだろう、婚期を逃した女性が身に纏う陰気な念は微塵も感じなかった。


 パリアはスパンコールのついた淡色のドレスを着ていた。腰を締め上げ、くびれをつくっている。リジナに対抗するために若作りしていることは、火を見るよりも明らかだった。


 ファウストは一礼した。リジナも、はやる気持ちをおさえて礼をとる。

 パリアは口元を拭いて、唇に円を描いた。


「ファウスト様もいらっしゃるのね?」

「このあいだの夜会以来ですね? パリアさま。リジナ一人でとは、書かれてはいませんでしたので。いけませんでしたか?」

「まさか。……ファウスト様は、リジナのことがお好きなのね?」


 意味ありげな視線で、パリアはリジナを見つめた。移り気だと責めているらしい。

 ファウストは肩を小さく上げた。道化のような仕草だった。


「パリアさまは、邪推がお好きなようですね? 僕はマリオが心配で訪ねてきただけにすぎません」

「パリア様、マリオはどこにいるのでしょうか」


 氷面の上を踏むように、リジナは卑屈に尋ねた。

 パリアは表面上、とても穏やかだ。だが、血走った瞳をリジナから決して、そらさない。


「まずはお座りになって」

「パリア様!」

「リジナ、座って。僕も座ってもよろしいですか?」

「もちろんよ、ああ、セパ。ファウスト様の分のお食事もお出してちょうだいな」


 案内役をしていた執事はセパと言うらしい。命令を下したパリアは、目の前に置かれたスープを奥へおいやり、下品に肘をついた。


「きっと、お腹がすいていらっしゃると思って、ご用意させていただきましたわ」

「パリア様、お答えください。マリオは、どこに?」

「そう、急かさずとも、大丈夫よ。リジナ嬢。もうすぐ、準備が終わるはずだもの」

「マリオは、無事なのですか?」

「まあ!」


 心外だと、パリアは目を丸くした。


「わたくしがマリオ様に危害を与えると思っているの?」

「お言葉ですが、パリア様は、マリオを預かっているとお書きになりました。ですが、無事であるとは一言も明言されておりません」


 セパが料理を運んできた。パリアが口にしていたごった煮のスープだ。香辛料の香りが鼻を刺激する。双子が後ずさるのが、目の端に映った。

 リジナからふっと視線を外して、パリアはファウストを見遣った。

 リジナは焦れた。パリアは答えていない。


「ファウスト様、お食べになって下さいな。ファン家自慢の料理ですのよ。ラクシアン領の解放の折りに手に入れた、秘密の香辛料をふんだんに使っていますの」



 ラクシアン。元は西の国の領土であった土地だ。流通の拠点の地。

 先王の時代、法皇に唆されて、メハド国は西の国を攻め込んだことがある。

 西の国は異教の神を崇拝する邪婬の使徒で、絢爛豪華を好み、邪神の力を受け栄えていた。

 砂漠の王が統治する西の国は、あらゆる悪徳があると言われるほどだ。

 邪神の国など、討ち滅ぼせ。それが神の御意志だと、法皇は先王に勅命を出した。


 法皇は、ミーミ大陸の過半数の人間が信奉する宗教の支配者である。その力は、国王に勝る。

 法皇の承認がなければ、国王は即位ができない仕組みとなっている。ミーミ大陸は、宗教という力で支配されているのだ。

 だから、先王は法皇の傀儡となり戦った。

 幸い、異教徒達は、戦が弱かった。

 メハド国は、ぐんぐん勝ち進み、活気の溢れるラクシアンを手に入れた。

 貴族はラクシアンへの侵略を、異教徒から解放してやったのだと誇っている。だが、実際は占領したに過ぎない。


 今では、ラクシアンに集まる、絹、布、宝石、海産物、香辛料、調味料、航海用具、天文道具、書籍など様々なものがメハド国におくられている。成熟した技術が持ち込まれたことにより、メハド国は急激に発達した。


 ファウストは、匙ですくい上げると、そのまま嚥下した。


「辛いですね」

「ふふ、でも、美味しいでしょう? リジナ嬢も、ほら、お食べになって」


 リジナは、ファウストに目で促されしぶしぶ、スープを口に運んだ。

 ファウストの言う通り、辛かった。ピリリとしたほどよい辛さだ。野菜で出汁をとっているのか、独特の甘みがある。一番最初に刺激的な辛さ、そして本来の甘さがやってきて、最後には舌をひりつかせるようなほどよい辛味が残る。

 美味しいとは思ったが、後味はよくなかった。舌に粘つくような感覚が残っている。完食できそうになかった。


 パリアは食事を口にしてくれたことが嬉しいのか、突然、上機嫌になって、人さし指を前後に動かした。


「マリオ様のことに関して答える前に、ひとつききたいことがあるのだけど、いいかしら」


 リジナは素早く頷いた。


「ここにいるのは、マリオ様の婚約者として?」

「もちろんです。パリア様」

「でも、国王陛下は、破棄せよと申し付けたはずよ」

「法皇様は、破棄してはならぬと、ファン家に申し伝えたとムム様は言っていらっしゃいました」


 法皇という言葉に、パリアは感情を剥き出しにし、苛立たしげに、リジナを敵愾心の塊で睨みつけた。


「あなた、国王陛下よりも、法皇の決定を絶対とするのね?」

「婚約は、教会で取り交わした契約です。教会は法皇様の庭です。彼の庭で起こったことは、彼の言葉に耳を傾けるべきだと思います」

「そんな、詭弁はどうだっていいの。わたくしはね、リジナ嬢。あなたとマリオの婚約を認めてなど、いないのよ」

「おや、リジナとマリオの婚約に、貴女はいかなる権限を持っているのですか。その物言いだと、貴女の言葉は法皇の言葉よりも重いようだ」


 ファウストは興味深そうに尋ねた。

 ファウストも、あまり食べたくはないと思ったらしい。

 匙を置いて、パリアと同じように肘を机に置いて、頬杖をついている。

 パリアは馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「ファウスト様、わたくしの兄は国王なのですから」

「ええ、存じておりますよ」

「この国は兄の国です。国で起こること全て、兄の、思うがままでなくては」


 くすりと、ファウストはいやらしく笑った。


「意を唱えているのは貴女でしょう?」

「同じことですわ。わたくしと兄は一心同体ですもの」

「ーーそんな!」


 リジナは、机を叩いて床を蹴った。急に立ち上がったせいか、妙にふらついた。

 双子が恐々と後ろから支えた。だが、やはり、スープの香辛料の匂いが嫌らしい。鼻を中心に皺が寄っている。

 パリアは冷ややかにリジナを睨みつけた。


「私とマリオは愛し合っています」

「愛が、なんだというの?」

「教会も、それを認めて婚約を公表しました」

「教会が認めたから、なんだというの?」

「パリア様、貴女にーー国王陛下に、駄目だと言われる理由が全く分かりません。どうしてですか」

「あなたのような田舎者とマリオがつり合うわけがないでしょう」



 田舎者の臭いがする。ドレスは土で出来ているんじゃないの。知っている? 田舎ではネズミを焼いて食べるそうよ。

 何度も、言われてきた。

 その度に恥ずかしくて、悔しかった。

 俯くばかりで言い返せない自分が。ちっぽけで、臆病な自分が。

 ここで引き退ったら、また俯いているだけだ。


 リジナに変わってパリアへ威嚇していた双子の頭を撫でる。双子はいつだって、リジナを甘やかす。だが、立ち向かうのは、リジナでなくてはならない。


 リジナは、パリアをしっかりと見つめ返した。


「いいえ、パリア様。つり合うかどうかはマリオと私が決めます」

「なんですって?」

「パリア様は、私を田舎者だといいます。しかし、マリオは一度だって、リックスヘレムを馬鹿にしたことはありません」


 動揺を隠すように、パリアは目を瞑った。


「それに、私とて伯爵家の娘です。守らなければ、ならない矜持がある」

「黙りなさい! 田舎者の伯爵家の娘が、国王陛下の妹であるわたくしに口答えするな!」

「そっちだって、つり合わないと勝手に決め付けないで! 貴女が田舎だというリックスヘレムは、とても綺麗な場所です。辺境地だからこそ、父には宮中伯と並ぶ権力を有します。リックスヘレムは、王都と変わらないぐらい活気がある!」


 王都に近いほど、権力が高いと貴族達は思っている。しかし、リジナがリックスヘレムにいた時は父からは、逆のことを教わっていた。

辺境地は国王の目が届かない場所。それゆえに、自治権は強力だ。

 王都に近くなくとも、広大な領地を持っている。ほとんど、独立国であるようなものだと。


 だからこそ、王都に出てきたリジナはうちのめされた。リックスヘレムは田舎で、父はそのことを恥じて、リジナにそんなことを言ったのだろうと思うこともあった。

 だが、それは間違いだ。


「私はまだ、婚約を破棄するように国王に言われたことを父に相談していません」

「だから、田舎者が出てきたぐらいでなんだというの?」

「少なくとも、ファン家の自慢の料理は食べられなくなります。リックスヘレムの場所はご存知ですか? 西の国の元領土と接しています。ラクシアンから届いたものは、リックスヘレムにすべておくられる」

「なっ!」

「それだけではありません。王都の麦の二割がリックスヘレムのものです。麦の物流が止まっては困るのではないのでしょうか」


 ファウストが口笛を吹いた。


「リジナが馬鹿王に変わって、国の舵取りをした方がいいですね。パリアさま、お分かりになりましたか? 私情で動くと、国というのは立ち回らなくなるものなのです」


 パリアは癇癪を起こして机を叩き始めた。髪を振り乱し、血走った瞳は、まるで眼窩にヘドロを流し込まれたように濁りきっていた。


「うるさい、うるさい! マリオ様をたぶらかした淫女め! あなた達の愛も意志も関係ない! 教会も法皇も、田舎貴族だって、王の前では無力なの。わたくしの決定には誰も逆らえないの!」


 扉が大きな音をして開いた。きんきんと、耳のなかで反響している。

 うるさいと思ったのは、ファウストも同じようで耳をきつくおさえている。


 扉から出てきたのは、白い棺だった。それをセパを含めた包帯を巻いた従僕らしい人達が運んでいた。

 棺の蓋は開いていた。リジナは嫌な予感がして、棺に近寄った。

 なかにいたのは、マリオだった。

 マリオが、白百合の花に埋もれるように手を組んで棺に入っている。

 リジナは悲鳴を上げた。


「マリオ!?」


 ファウストも早足で近付いてきた。

 狼狽えるリジナを退かして、脈を測る。


「生きていますよ。限りなく生存活動は低下していますが」


 ふうと息を吐いたファウストに促され、手に触る。冷たい手だった。本当に生きているのかと恐ろしくなるほど。マリオに顔を近付ける。確かに、小さくではあるが息をしているようだ。


「これは、どういうことですか!?」

「ナツミがね、酔った勢いでベラベラ教えてくれたのよ。あちらの世界にはゾンビパウダーという摩訶不思議な薬があるって!」


 ナツミ。カシスが喚び出してしまったニホン女性だ。

 そういえば、パリアは夜会によく参加する。ナツミと夜会で会ったことがあるのだろうか。

 それにしても、ゾンビパウダーだって?

 リジナは眉をひそめた。パリアはどうしていきなり、ナツミの話をし始めたのだろうか。


「その薬を使ったら、一度肉体的には亡びるんですって、でも解毒剤を飲ませたら、起きた時に奴隷のように扱えるの」


 息がつまった。奴隷だって?


「そんな薬があるなら、都合がいいわ。調べてさせたの、この世界にも、あるのか。ーーあったわ。ラクシアンから届くもののなかに。異教徒達の巣窟。狂乱のための都、何もかも金で手に入れられる。薄汚れた成金どもから薬を買わせたわ。わたくしの奴隷となる、珍品を」


 ーーもちろん試したのよ。

 パリアの言葉が、耳を通り抜けていく。

 ゆっくりと、パリアの目が細くなる。視線の先には、執事のセパがいた。

 セパの顔には何層もの包帯が巻かれていた。


「わたくしよりも綺麗な顔だったから、汚くしてとお願いしたの。そうしたら、この包帯を巻いて現れたのよ? ねえ、この包帯の下、どうなっているか、見たくはない?」


 幼い少女のような残虐性を秘めた声で、パリアはリジナに提案した。

 もう、何が何だか、リジナには分からなくなっていた。

 ナツミが言っていたというゾンビパウダーが、こちらの世界にも存在している?

 そして、それをマリオに使ったのだと、パリアは言うのだ。

 では、マリオも、嬉々としてパリアに従う奴隷に成り果てるのか。


 目の前がチカチカする。手が、痺れていた。

 リジナは不可解な感覚に襲われた。目がチカチカするのは、想像を越えることに驚きすぎたからではないようだ。


「ーーあぁ」


 舌が痺れる。双子が、心配そうな顔で覗き込んだとき、リジナの体はぐにゃりと糸の切れた操り人形のように折れ曲がった。


「リジナ?」


 ファウストは、リジナに駆け寄ろうとして、突然、膝をついた。屈辱に耐えるように手をついて、パリアを睨みつける。


「ーーパリア、きさま」

「ねえ、ファウスト様。わたくし、貴方を奴隷にしたら一番に、そこの田舎女と結婚式を挙げさせてあげる。貴方、その女のこと、好きなのでしょう、感謝なさい」

「だまれ!」


 怒鳴ったファウストはそのままぷつりと体の力が抜けた。

 セドが慌てて、ファウストに駆け寄る。意識の途絶えたファウストは、床に倒れ伏しそうになったが、ぎりぎりのところでセドに抱きかかえられた。


「ーーああ、明日。明日よ。マリオ様と結婚式を挙げられるの!」


 毒花のような声を、リジナはかすんでいく意識の隅できいた気がした。



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