男の尊厳と下着と…
その日の夜も更けてきた頃、ボクが作業部屋と呼んでいるコテージ内のレストスペースにあるベッドに腰掛けてメニューウィンドウを隈なくチェックしていると、入り口をノックする音が聞こえた。
誰かと思って扉を開くと、そこに立っていたのは妹の優夏だった。
しかし、少し様子がおかしい…
なんというか、余所余所しいというか恥らっているというか…
「こんばんわお兄ちゃん…」
「え?あ、うん」
「ちょっと話があるんだけど、今、平気…?」
「大丈夫だけど…まぁ入りなよ」
「う、うん…お邪魔します…」
これは本当に優夏なんだろうか?
普段の優夏をそれなりに知っているボクとしては、目の前にいる妙にしおらしい女の子がとても同一人物に思えない…
まさか!?変身や変化のスキルを持った魔物か!?
などと思っていると、優夏から声を掛けてきた。
「まさかこんな形でお兄ちゃんと一緒に行動できる事になるなんて思わなかったなぁ…」
これは…相当根に持たれているのかもしれない…
「本当にごめんな…」
話の筋だけ聞くと、優夏は完全に巻き込まれた形だ。
だからこそ、ボクに出来る事は限られてくるのだが…
まずは誠心誠意謝る。
これを実行したのだが、返ってきた返事は想定外の言葉だった。
「へ…?あ、いや!そういう意味で言ったんじゃなくて!だから…その…それに関してはもう気にしてないよ!」
む?気にしていない?
訳が分からず首を傾げていると、優夏は顔を赤くしながらたどたどしく続ける。
「だから、私が言いたいのはそういうことじゃなくて…その…こんな形でも目標が達成出来て嬉しいというか…」
「目標?」
「うん…お兄ちゃん、私がFLOを始めた理由知ってる?」
「いや、全然分かんないけど…」
「即答!?そこはもう少し考えるとかしてよ!?」
なんかよく分からないが、ボクの返答はお気に召さなかったらしい…
これもコミュ障をこじらせ続けた弊害なのか、どうにもボクは、人の感情の機微を読むのが苦手だ…
はぁ、とため息をついて諦めたのか、優夏は語る。
「私がFLOを始めた理由はお兄ちゃんだよ」
「ボク?」
ボクが理由?何かしたっけ?
「お兄ちゃんが引きこもってから、もう5年位経つでしょ?その5年間、それまでは私と遊んでくれてたのに全然遊んでくれなくなっちゃったから…ちっちゃかった私としては、やっぱり寂しかったんだよ…」
俯きながら当時のことを思い出す。
確かにボクは引きこもってから今まで、ほとんど部屋から出ることなく過ごしてきた。
今では家事をするくらいには部屋から出るようにはなったが、引きこもり始めた当初は本当にひどかった。
「でもお兄ちゃんが中学に上がってから、というか13歳になった頃かな?お兄ちゃん、家事とかするようになったじゃない?」
優夏が言っているのは、ボクがFLOを始めた頃の話だろう。
ゲームの中で職業体験のようなことをして身につけた技術を、現実世界でも試そうとしたのだ。
その時にやったのは晩御飯作りだったっけ…
「お兄ちゃんが作ったご飯、お父さん達、泣きながら食べてたんだよ?」
その光景は知らなかった…
何気に重い事実があったと発覚…
だが、その時のことはボクも覚えている。
それまで、家の中に誰もいないのを確認し、用心深くトイレやお風呂を使っていたのだが、先に述べた通り、ゲーム内での体験を活かして料理を作った。
次の日も、それを試そうと思いリビングを通ると、テーブルの上に母さんからの手紙が置いてあり、そこに書かれた内容を読み終わったとき、ボクは知らず知らずに泣いていた。
『昴 (ボクの名前だ)の作ってくれたご飯、美味しかったよ。
急なことだったから驚いちゃったけど、それよりも昴がご飯を用意してくれていたこと の方がとっても嬉しかった…
昴の顔もしばらく見ていないから、本当は顔を見せて欲しいけれど、これはお母さんのわがままね…
昴がもう大丈夫と思ったら、その時にはゆっくり顔を見せてもらうので、それまで我慢して、楽しみに待ってます。
きっと昴なら、自分の力で立ち直れると私達は信じています。
だって、私達の子だものね』
これがその時の母さんからの手紙に書かれていた内容だ。
あの手紙は、今も机の引き出しに大事にしまってある。
「っと…話が逸れちゃった。それで、その時に、お兄ちゃんが何をしてるのか気になって…まぁ、伝言板でFLOをやってるって書いてあったからすぐに分かったけどね」
要約するに、優夏はボクが一人で何をしていたのかが気になっていたらしい。
しかし、それと優夏の目標とやらがどう繋がるのか?
理解出来ないでいると、その答えはすぐに優夏から伝えられた。
「私の目標っていうのは、FLOの中でお兄ちゃんと遊ぶこと…だったんだけど、ほら、お兄ちゃんってば、私が始めた頃には前線組のトップランカーの一人になってたから追いつけないって思って諦めてたんだよ」
「そんな大袈裟なものでもないと思うけどなぁ?」
「お兄ちゃんはもうちょっと、自分の行動を自覚するべきだと思う…」
目が怖いよ優夏…
「はぁ…とにかく、遊ぶってのとは違っちゃってるけど、お兄ちゃんと一緒に行動するって意味では目標達成したわけで…んと、私、弱っちぃから役に立てるかどうか分かんないけど、元の世界に戻るまで、よろしくねお兄ちゃん」
面と向かって頭を下げてくる優夏。
そんな優夏に向かって、その頭を優しく撫でながら、ボクなりの言葉を伝える。
「そんなに畏まらなくていいよ。ボクらは兄妹なんだし、それにボクとしても、優夏が一緒で気持ちが楽だからさ。何かあったら遠慮なくなんでも言ってくれてかまわないよ」
そう伝えると、勢いよく、頭を撫でていたボクの手を掴み顔を上げる優夏。
「本当に何でも言っていいの!?」
何だろう…?妙に目がギラついててちょっと怖い…
さっきまでのしおらしい態度はどこに行った?
「ま、まぁ、ボクに出来る範囲でね…?」
若干、狼狽え気味にボクが答えると、食い気味に顔を寄せてくる優夏。
「じゃあじゃあ!寝具とかも作ったって事は『裁縫師』のジョブもマスターしてるんだよね!?」
「マ、マスターしてるけど…?」
ボクが告げた次の瞬間、優夏の瞳がキュピーンと光った…ような気がした…
そして、とんでもないことを口にした。
「私に下着を作ってください!!」
え?何だって?
今、この妹様はなんと言った?
シタギヲツクッテクダサイ?
ちょ~っと何言ってるか分かんないっスね…
思考が少しトリップしてしまったが、何とか意識を取り戻し、改めて優夏を見る。
そこにはピシィ!というSEが入りそうなほどの見事な土下座を極めてお願いしている優夏がいた。
「お願いします!!」
なおも懇願してくる…
もう、どうしたらいいんだこれ…
とりあえず顔を上げさせておこう。
「そうお願いされてもなぁ…『裁縫師』で作成出来る物の中に下着なんて無いぞ?」
布系統の装備を作れる『裁縫師』といっても、FLOのシステムの中には下着、アンダーウェアと呼ばれる部位は存在していないのだ。
項目の無いものは、いくらジョブマスターだとしても作り出すことは出来ない。
そのことを優夏に伝えると、言われた本人は首を傾げてキョトンとしている。
「あれ?もしかしてお兄ちゃん、まだ確認してないの?」
「確認って、何を…?」
「装備の項目」
「装備の項目?」
そういえば、アルさんのところで防具はショートカット操作で装備を終えたために確認していなかった。
装備メニューを呼び出し、一つ一つ項目を見ていくと、新たに、今まで存在しなかったアンダーウェアという項目が追加されていた。
当然、装備するものが無いために、その部分の表記は『無し』となっていた。
つまり
「もしかして…今ボクって…」
「もしかしなくても、ノーパン、ノーブラだよね~」
私もだけど…と小声で聞こえないように呟いているがスルーしておく。
「だから、このままだと困るから作ってよ」
こともなげにサラッと言いやがる…
「ん~…でも、作れるのか?水着ならたしかFLOのイベントで作成出来るようになってたけど…」
異世界に飛ばされて来ているのに、そんなアップデートも出来ないのだから、新たに追加などされないはずと思いつつ画面をスクロールしていくと、『New!!』と表示されて下着が作れるようになっていた。
何故だ!?
その様子を隣で見ていた優夏が目聡く
「可愛いのでお願いします♪」
と、非常にいい笑顔でにこやかに言ってくる。
「可愛いの基準が分からないんだが!?」
正直なことを言えばボクとしては作りたくない。
こんな身体とはいえ、ボクの中身は男なのだ。
男であるボクが女性用下着を作るとか…
下着メーカーの社員でもない一般人である。
下手をすればただの変態ではないか…
しかも、話の流れから察するに
「これって、作ったらボクも着けなきゃならない流れだよね…?」
「当たり前でしょ?」
「嫌だ!!」
「痴女って言われてもいいの?」
ぐぅ…それも困る!!
でも、ボクにも男のプライドというものが…
頭を抱えてウンウン唸っていると
「あのねお兄ちゃん、いや、身体はもう女の子なんだからお姉ちゃんって呼ぶけど、やっぱりお姉ちゃんは自分のことを色々と自覚したほうがいいよ」
「は?どういう意味だよ?」
「お姉ちゃんは自覚無いみたいだけど、お姉ちゃん、美少女なんだよ?皆から何て呼ばれてたか知らないみたいだから教えてあげるね」
「その前に、そのお姉ちゃんっての止めてくれない?」
「却下。んで、皆から何て呼ばれてたかというと、『紫銀の女神』って非公式の称号みたいな呼ばれ方してたんだよ」
聞きたくなかった…
それに、お姉ちゃんの下りは即答の上に却下されてしまった…
もうボクの心はバッキバキに折られてますよ…
そんなボクに追い討ちをかけるかのように…
「いい?お姉ちゃん。下着は女の子にとって身体を守る最終防衛線なんだよ。だからお姉ちゃんも着けなきゃダメ!」
「あぁもう…分かったよ…作ればいいんだろ…」
もうヤケだ。
痴女とか変態呼ばわりされるよりは、おとなしく下着を着けてた方がマシだ。
腹を括ったボクは、そのまま作業部屋に入り、下着の作成を始めた。そして、優夏の注文通りに何枚も作ることになる。
なんでそんなに沢山必要なのか聞いてみたところ
「乙女の秘密だよ」
と返された。
意味不明だ…
これは余談だが、作成された下着にはサイズ設定はされておらず、装備者の体型に合わせて自動的に調整されるらしく、採寸する必要が無かったのは有難かった。
自分のであれ妹のであれ、スリーサイズなんて測りたくもなかった。
試しに、男性用下着も作成してみたが、下着はそれぞれ男性専用と女性専用に分かれており、男性用下着は装備することは出来なかった。ボクは男なのに…
身体の問題でそれはどうしようもないのは分かっているが、どうしても納得は出来ない。
そして、ボクにとっては苦渋の決断の時。
横にいる優夏に「お姉ちゃんにはこれが似合いそう!」とか言われながら、あれこれ作らされた下着を見せられるが、ボクは耐久値だけが無駄に高い、白の上下セットの無難な下着を装備した。
優夏には色々と文句を言われたが、聞こえないったら聞こえない。
とりあえず、目標だった下着を手に入れることの出来た優夏は、夜も遅くなっていたため、不満を残しながらも自分のコテージに戻っていった。
見送る際に、駄目元で頼んでみた。
「お姉ちゃんって呼ぶの――」
「却下。お休みお姉ちゃん♪」
即答で却下。
さらにはトドメを刺して戻っていきました…
空を見上げると、ボクの心模様とは裏腹に、満天の星空と銀色の月明かりが、美しく湖を照らしていた。