災厄の予兆
ミネルバ達がリカントロードを討伐している最中。
先程までミネルバ達もいたアルテミスの神域に、一人の女神が訪ねて来ていた。
「アルテミス~?いないの~?」
甘ったるい、媚びるような、そしてその中に、妖艶さも含めた声の持ち主の名はアプロディーテといった。
このアプロディーテは美の女神と言われており、多数いる女神の中でも指折りで数えられるほどの美貌と知識を持ち合わせた女神である。
が、しかし…
「なぁんだ、つまんない。せっかくこの私が冷やかしに来てあげたって言うのに…これだから陰険根暗眼鏡女はダメなのよ~」
この通り、恐ろしく性格が悪い。
しかし、このような性格をしていても、彼女の立ち居地が揺らぐことはない。
「あなたもそう思うでしょう?」
「はい…アプロディーテ様…」
従者に同意を求めると、意思も主張もない、虚ろな声で返事をする従者。
これは、アプロディーテの特殊能力により、骨抜きにされているからである。
美の女神である彼女に許された強力な特殊能力。
誘惑
彼女はこの能力により、自分の立ち位置を盤石のものとしているのだ。
ある三神を除いて、動物や人間、果ては同族の神ですら、彼女の誘惑には抗うことが出来ない。
その三神というのが、何を隠そうアテナ、アルテミス、そして最後の一神はヘスティアと呼ばれる女神である。
この三神に共通する事。
それはいずれも処女神であるということだ。
純潔を守っているがために、アプロディーテの誘惑の力も、この三神には及ぶことはない。ゆえに、世界中、神界中のどこを探しても、アプロディーテに対抗出来るのはこの三神だけであった。
だからこそ、アプロディーテは事ある毎に、この三神(主にアルテミス)に突っかかる。
要するに、自分の思い通りにならないことが許せない、だから嫌がらせをする。
行動理念が子供と同じなのだ。
では何故、矛先がアルテミスに向いているのか?
現状を説明すると、アテナの場合、今でこそあのような幼児に成り果ててはいるが、神力に満ち溢れていた頃のアテナは、知恵と正義の女神と呼ばれており、当時のアテナの強さ、カリスマ性を知っていたアプロディーテは、幼女となった今のアテナにすら畏怖している。いつ力が戻るとも分からない相手に余計なことは出来ない。故に手が出せない。
転じてヘスティアの場合、彼女は炉の女神と呼ばれている。
彼女は、人間界、および神界に存在する全ての炉(暖炉)を守る女神である。炉とは家庭の中心を示すものであり、平和を司る象徴のようなものだ。
その恩恵は当然、アプロディーテも例外無く受けている。彼女を敵に回せば自分がどうなるか想像もつかない。
そもそもヘスティアの本体は神界にはいない。故に手が出せない。
では最後にアルテミスの場合。
彼女の存在がアプロディーテにどのような不利を齎すか。
アルテミスは、純潔と狩猟の女神と呼ばれ、弓の名手と言われているが、アプロディーテから見たら、ただそれだけであり、全く利害が無かった。その上、アルテミスは今も神界にて、アテナを保護していると言っても在住している。
アテナという天敵を保護しているとしても、アテナ自体に矛先を向けなければいいだけのこと…
こういった消去法により、矛先はアルテミスに向けられたのである。
「むぅ…本当にいないみたいね…そういえば……」
ひとしきり領域内を探してみたものの、アルテミスは見当たらない。どうしたものかと一人思案していると、一つ思い出したことがあった。
アルテミスが何かを隠しながら、開発に勤しんでいたことを。
以前訪れた際に、几帳面なアルテミスにしては珍しく、領域内が雑多に散らかっていたのだ。
それらを見るに、何かを開発、作成していたのは、聡いアプロディーテから見れば一目瞭然だった。
あの頃から、もうすでに十数年が経過している。
敵視していながらも、アルテミスの賢さはアプロディーテも認めている。それだけの期間があれば、アルテミスはそれを完成させているだろうと思った。
「あれだけひた隠しにしていた物……一体なんだったのかしら?折角アルテミスもいないことだし、ちょっと覗いて行こうかしら?」
そしてアルテミスの領域深部に足を踏み入れていく。
こうも他神の領域に易々と、軽々と、悪びれることも無く踏み込んでいく神というのも珍しいが、そんなことはアプロディーテからすると些細なことでしかない。
やっていることは、ほぼ空き巣と変わらないのだが…
「これね…」
アルテミスが『研究室』と呼んでいる場所にそれはあった。
大きなメインモニターが中央に一つ、その両脇に、メインモニターの半分ほどの大きさのサブモニターが2つずつの計5つのモニターが眼前にあり、メインモニターの下には、メインパネルのような物が並んでいる。
電源は切られていたものの、アプロディーテは難なく電源を探し出し起動させ、それを操作していく。
「これは…マキナの技術かしらねぇ?」
次々と更新される情報やグラフなどを読み取り、アプロディーテなりの思索をする。
「このデータがこうなるわけね…とすると…ふぅん…?そういうことね?アルテミスったら、こぉんな面白そうなことしてたわけ?」
その装置の概要を、映し出された情報と理論、自分自身の解釈で、何をするための装置なのかの結論を導き出すアプロディーテ。
「異界の人間を呼び出す装置ってことなのね?ふふっ・・・これは確かに見せられないでしょうねぇ」
嗜虐的な笑みを浮かべながらアプロディーテは考える。
現状でこの装置を使うことが出来るのは、神力を有している神達だけである。
基本的に神というのは、奇跡を起こす力とは別に、不死性を持っている。故に、ほぼ全ての神に共通することが一つだけある。それは、その不死性のために、暇を持て余しているということだ。
もし、この装置を量産することが出来、尚且つ、暇を持て余している神々の手に渡ったら…
「くふっ…あっはははは!!面白い・・・面白いわ!神話戦争…いえ、戦うのは代理となる異界の人間達だから、代理神話戦争と言ったところかしら?」
この言葉の通り、覇権を狙う神々は多数いる。
そんな彼らにこの装置を渡せば、間違いなく、こぞって異界人を呼び出し、彼らを利用して覇権を狙うだろう。
その火付け役を自分が担う。
それを考えただけで、アプロディーテの気分は、今までに無い程に高揚した。
全身の身震いが止まらぬほどに…
「ふふふ…まずは私自身でこれを作って使用しないことには、何も立証出来ないわね…」
この装置の理論と作成方法は理解した。
あとはこれを量産出来るかどうかだ。
アプロディーテは帰路に着きながら考える。
彼女にとっては最高に楽しい「暇潰し」となるが、ミネルバ達にとっては「最悪」な未来を…
アプロディーテがこの装置の技術を盗み出したことは、当然、ミネルバ達には知る由も無い。
後に迫り来る、セブンスガルド全体を巻き込む事態に身を投じることになるとは、この時のミネルバ達には全く予想も出来ないことだった。
ここから災厄が始まろうとしていた――