セブンスガルド
「う………ん……」
おなか周りに重さを感じ、ゆっくりと瞼を開く。
見える物は、FLOでは見たことのない空間、というか部屋の天井。ここはどこなんだろう?
とりあえず目先の確認ということで、おなかの上の重みの原因を確かめるために、少し体を起こすと…
「やっほ~」
幼女がいた。
幼女はボクが目覚めたことを確認すると、にこっと笑い、虚空に向かって何かを伝えている。
見たところ。この子は7、8歳くらいだろうか。
長い金髪を毛先だけ三つ編みにしており、大きな瞳は透き通るような澄んだ青。人形のような整った顔立ちは、成人したら誰もが振り返る美人になりそうな美幼女だった。身に着けている光沢のあるシルクのようなワンピースも、この子の美しさを際立てるのに一役買っていた。
目の前の幼女を観察していると、幼女の方からボクに声をかけてきた。
「私はアテナ!君のお名前はなんてゆーの?」
「え?えっと…」
確かボクはこの部屋で気付く前、FLOにログインしようとしていたはずだと思い、自分の姿を視認すると、布団のようなものが掛けられていた。そのため触って確認するまではしなかったが、胸に僅かな膨らみが見受けられたため、この身体がアバターのものだと認識する。
「ボクはミネルバっていうんだ」
「ミネルバかぁ…じゃあネルたんだね!」
「ネ、ネルたん…?」
「うん!ミネルバってなんか言いにくいからネルたん!」
「あ、あぁ…まぁ、いいか…」
「えへへぇ♪」
呼ばれ方に一瞬逡巡するも、小さい子ならこんなものだろうと、訂正させるのを諦めると、アテナと名乗るこの子は、屈託のない笑顔で、ボクにぼふっと抱き着き、胸元に顔を埋め、首を振ってくる。
「ふにふに~♪やわらか~♪」
「ちょ、ちょっと!やめ…」
「お、ま、え、は、何をしている!!」
「ふぎゃっ!?」
意味不明な台詞を放ちながら、ボクの胸に顔を埋めているアテナに、いつの間に部屋に入ってきたのか、黒いスーツのような服をビシッと着こなす女性が立っており、アテナに思い切り拳骨をくらわせると、首根っこを掴み、アテナをボクから引き剥がす。
「う~…痛いよテミちゃん…」
「誰がテミちゃんだ!変な渾名で呼ぶなと何回言えば…」
後から入ってきた女性は、アテナのボケ?に苛烈なツッコミを入れるのが忙しいのか、ボクのことはそっちのけでアテナと口論をしている。
エリート秘書という言葉がよく似合いそうな出で立ちで、肩ほどで切り揃えられた髪と切れ長な目つき、シャープなメガネも相まって、知的なクールビューティーといった印象を受ける。
ボクが二人のやり取りをぽかんとして見ているのに女性が気付き話しかけてきた。
「む?あぁすまない。この馬鹿の行動が目に余ってまだ挨拶が済んでいなかったな。私はアルテミス。この世界のバランスを保っている女神の一人だ。よろしくな」
「あ、はい。ボクはミネルバといいます。こちらこそよろしくお願いします…って…え?この世界?女神?」
このアルテミスという女性の台詞からまた意味不明な言葉を聞かされて、さらに僕の頭は混乱する。
「えっと…すみません。ここはFLOの中じゃないんですか?」
堪りかねて自分の状況を確かめるために問いかける。
そして帰ってきた返答に、ボクはさらに頭を抱えることになる。
「そうか。君はさっき目覚めたばかりで、まだ何も説明していなかったな。結論から言えば、ここは君がいた世界でも、その世界で娯楽のために作られた仮想世界のどちらでもない。ここは君にとっては別の世界、まぁ異世界といえば分かりやすいだろうな。ここは私達神によって作られた世界『セブンスガルド』。それがこの世界の名だ」
え…?なんだって?
あぁそうか。
これは夢だ。
そうじゃなければこんなトンデモ展開になる訳がない。
「ふむ。その顔は信じられないといった顔だな?ついでに言うならこれは夢だと、自己完結しようとしている顔だ」
「人の心の声を的確に読まないでくれませんかねぇ?」
「まぁ落ち着け。まずは君がこの世界に来ることになった経緯を話さなければな」
そうだ。百歩譲ってこの現状を受け入れたとしても、こうなってしまった理由は知らされて当然、いや、聞く義務がある。ボクはこの訳の分からぬ状況を把握するため、アルテミスさんに続きを促す。
「正直、納得はしてませんけど…どうしてその、セブンスガルドでしたっけ?この世界にボクが呼ばれたんです?」
「そうだな…説明を始める前に、まず君に謝らなければならない。君を巻き込んでしまったのは、ひとえに、私の監督不行き届きが原因でもある」
「うん?どういうことですか?」
アルテミスさんの言葉を怪訝に思い聞き返す。
「う…少し長くなってしまうが、怒らずに聞いてくれ」
「内容にも依りますが…まぁ、努力はします…」
「すまないな…まず君がここにいるのは、私が開発した召喚装置が原因だ。と言っても、この装置はまだ未完成品で、起動テストがまだだったのだが、私が少し目を離した隙に、このアテナがいじったようでな…その結果、装置が暴走、誤って君をこちらに召喚してしまった、というわけだ」
「つまりは手違いで召喚されたわけですか…」
「本当に面目次第もない…」
「それで、アルテミスさんはなぜボクのいた世界やFLOの存在を知っているんです?こっちの世界に住んでいるのに、どうやってボクがいた世界のことを知ることが出来たんですか?」
「あぁ。それは問題の召喚装置を作成している際に、我々が使う神力、まぁ、分かりやすく言えば神の使う奇跡の力を利用することによって君達の世界の存在を知ったんだ」
正直なんでもアリなんだなと思った。目の前の女性は、自分を神とか言っちゃってる、ちょっとアレな人なのかとも思っていたのだが、実際にこうして自分が知らない世界にいる以上、納得は出来ないが認めるしかないのだろう…
続けてアルテミスさんが説明を続けてくる。
「君達の世界では通信回線を利用しているだろう?この召喚装置は、その回線に流れる情報を読み取るのが本来の使い方なんだが、その機能と我々の使う神力を合成することによって、初めて君たち別世界の人間を召喚出来る。ただし、呼び出す際には、君達の現実の身体情報と仮想世界の情報が統合されて呼び出されることになる」
「う~んと…つまり?」
「君の身体は生身の人間、だが、仮想世界の能力、君の場合であれば、FLOだったか?その世界の能力をこの世界でもそのまま使えると言うことだ。若干の変更点などはあるだろうがな」
その説明を聞き、ボクは試しに人差し指を虚空に向かって上から下へとスライドさせると(メニューを呼び出す動作だ)確かにメニュー画面がいつものように表示された。所々、お金の単位が変わっていたり、設定コマンドの一部が無くなっていたりはしたが、おおよそ、見慣れたステータス画面と変わりなかった。割り振ったステータスも、マスターしたクラスもそのまま引き継がれているようだ。
要約すると今のボクの状況はこうだ。
・FLOでのアバターが仮想の身体ではなく本体となった
・FLOのステータスやアイテム、所持金はこの世界でも利用可能
・ログアウトコマンドが無くなっているため、自力での現実帰還は不可能
はぁ…いくら神と言ってもこれはチートすぎるだろう…
そんなことを思っていると、アルテミスさんが付け加えるように話し出した。
「先ほども言った通り、君がこの世界に呼び出されたのは事故のようなものだ。私も君が元の世界に戻れるよう全力を尽くすが、送還装置は、この召喚装置とは全く異なるものになるため作成に時間がかかる上に材料が足りない状況だ」
話を聞く限りでは、材料さえ揃えば送還装置を作れると言っているようにも聞こえる。
ボクは思い切って聞いてみた。
「つまり、材料さえあればその装置を作れるってことですか?」
「まぁ…そうなるが…」
「なら、ボクが材料を集めてきます。ボクもずっとこの世界に居続けるわけにはいきませんし」
「それはこちらとしてはありがたい話だが…しかし…」
難しい顔をするアルテミスさん。
だがボクとしては、こうして問答している時間すら惜しい状況だ。頼るのを渋っているアルテミスさんに構わずボクは告げた。
「心配しないでください。これでもボクは、FLOの中では有名なプレイヤーです。一人で誰も成し得なかった偉業を達成するくらいの実力も持っています。それに、ただ待っているだけなんてボクには出来ません…だから、ボクに任せてください」
まさかこんな所で最難関クエスト攻略のことを引き合いに出すことになるとは思わなかったが、決断を渋るアルテミスさんを説得するにはちょうどいいだろう。それを聞いたアルテミスさんも決意したのか、ため息を吐きながら返してきた。
「君がそう言うのなら分かった…本当なら話すつもりはなかったんだが、君が危険に身を投じる以上、伝えなければならないことがある」
先ほどの言い淀んでいた様子とは打って変わり、真剣味を強めた堅い口調に変わる。
「先に述べた通り、今の君の身体は架空の身体ではなく生身の身体だ。痛みも身体中に走るし、怪我をすれば出血もする。ここまで言えば理解出来るだろうが・・・もし君がこの世界で死んでしまった場合、架空の世界のようなやり直しは当然出来ない。それは本当の君にとっての死だ」
重々しく語られる言葉に思わず息を呑むが、アルテミスさんの言葉はさらに続く。
「君が相当な実力を持っているのは本当だろう。そういった強力な情報を召喚装置が拾うように設定したのは私だからな。だが絶対に無茶なことだけはするな。現状我々の神力によって、君のいた世界の時間とこちらの世界の時間は流れる速度が変わっている。こちらでの半年間が君の世界では5分ほどしか経っていないというようにな。戻れたときにはちょっとしたタイムスリップの感覚に陥ってしまうかも知れんが、理論上は身体に影響は出ないはずだ。いや、出さないよう努力する」
改めてメニュー画面を開くと、それなりの時間、ここで話しているというのに、表示されている時刻に変化はまったく見られなかった。どうやら本当に時間軸が違っているようだ。そしてアルテミスさんからは、ボクに対して申し訳ないという真摯な謝罪の姿勢が見て取れた。
「分かりました。命に関わるような無茶はしません。約束します」
「分かってもらえたようで何よりだ。いくら現実で慣れ親しんだ身体で、実力はあるといっても、君は女の子なんだ。自分を大事にすることを忘れるな」
「はい。分かりま・・・し・・・た?」
ちょっと待て。今この女神様はなんと言った?現実で慣れ親しんだ身体?ボクが女の子?
いや、確かに今のボクの身体はFLOのアバターであるミネルバであり、女の子ではある。ボクは自分自身の身体を確認するために身体をなぞる。
胸元を通ると返ってくる柔らかな弾力、お腹の下辺りにあるはずのアレが無い。
うん。
間違いなく女の子ですね…
でもね、違うんだ。
現実でのボクは男なんだよね…
ちょっと確認しなきゃいけないことが出来ちゃったなぁ…
「あの・・・アルテミスさん?」
「ん?アルで構わないぞ?」
「じゃあ、アルさん。少し確認したいんですが・・・」
「うむ。どうした?」
「こっちに呼び出される時って、現実の身体情報と架空世界の情報が統合されて呼び出されるって言いましたよね?」
「あぁ。言ったな」
「それってこっちの世界に身体が構築されるとき、どういった基準で構築されるんでしょうか?」
「それはだな、2つの世界での情報を統合した時点で、対象の者が最も動かし慣れていると判断された身体が優先的に反映されるようになっているが…それがどうかしたか?」
「あぁ…そうでしたか…」
なんてこった。
そりゃたしかに、ボクはほぼ一日中FLOの中で遊んではいたけども、まさか現実の身体(男)よりもFLOアバター(女)の方が動かし慣れてると判断されてしまうとは…間違ってもいないためぐうの音も出ない…
「ねぇねぇ、お話終わったぁ?」
ボクが一人気落ちしていると、今まで黙っていたアテナが話しかけてきた。
この世界に来た理由や、これからすべきことといった話であれば大方終わったと言えるだろう。
アルさんに視線を向けると無言で頷き返してくる。
「何か言いたいことでもあるのか?アテナ」
「ん~とね?ネルたん。その格好のままだと風邪引いちゃうんじゃないかなぁ~って思って」
「は…?」
ボクは自分の姿を改めて確認する。
それと同時に顔を真っ赤にしてしまう。
今まで布団に包まれていたが、布団の中のボクは素っ裸だったのだ。
「う…うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
大急ぎで装備画面を呼び出し、ショートカット登録していた装備を装着する。ショートカットまでデフォルト化していなくて助かった。
「ほぅ。便利なものだな」
一瞬で装備を整えると、この動作とシステムに興味が沸いたのか、ズレた感想を述べるアルさんと
「生着替えじゃないのかぁ…」
と心の底から残念そうにうなだれるアテナ。
いやなんでそんなに残念そうなのかサッパリ分からないからな。
うなだれているアテナを華麗にスルーして、寝ていたベッドから降り立ち、自分の着ている装備を確認する。
白を基調として黒のラインで縁取りされたロングコート、耐久性と防御力を重視した、チャイナドレスとボディスーツを組み合わせたような太股あたりまでの長さの黒いインナー、機動性に富んだコンバットブーツ、アクセサリーとして、クラスチェンジした際に重宝する、剣を2本腰元で帯剣出来るクロスする形の2本のベルト、太股には銃を装備出来るホルスターが備えられている。
ちなみにこれらの装備は、ボク専用に自ら生産クラスをマスターし作成した一点物で、武器も同様、すべてが自作のアイテムだ。
何故かって?
ぼっちプレイだったからに決まっているじゃないか。
一通り、装備のチェックを終えると、先ほどまでうなだれていたアテナが、瞳を輝かせ頬をピンク色に紅潮させながらこちらをガン見している。
「……エロカッコイイ……はぁ…はぁ…」
その様子に、ツッコむのも面倒なのか、ストッパーのアルさんも呆れて眉間を押さえている。苦労してるんですね…
その後もアテナの一人トランス状態が続き、ボクがいつ襲われるのかと冷汗を浮かべていると、突如「あっ」と何かを思い出したかのように静かになるアテナ。どうしたのだろうとボクが首を傾げると
「呼び出されちゃったの、ネルたんだけじゃなかったんだった」
てへぺろ♪という擬音が聞こえてきそうなほど、可愛らしく小さく舌を出し、ウィンクを決めるアテナ。うぜぇ…
無言でアルさんの容赦ない鉄拳が、アテナの頭上に襲い掛かったのは言うまでもない。
「どうしてそういった大事なことを言い忘れることが出来るんだお前は!?」
「あうぅ…ネルたんの格好がエロ過ぎて言いそびれちゃったんだよぉ…」
頭をさすりながら涙目で失礼なことを言い放つアテナ。
「ネルたん以外にも、もう一人こっちに来たっぽいんだけど、ネルたんとは違うところに飛ばされちゃったみたいなんだ。ホラ、ココ」
アテナが何かの道具を使うと、空中にモニターのようなものが映し出され、狼男のようなMOB?に追われている女の子が必死に逃げている場面だった。
「ここは!?よりにもよってリカントの森だと!?しかもかなりの数に追われているじゃないか!!マズイぞ…」
アルさんの焦り具合を見る限り、映し出された場所は危険な地域らしい。だがボクからすると、そこに映し出された少女の方が問題だった。
「優夏…?」
映っていた少女は、ボクの大事な家族であり、妹である優夏だった。