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夢の棺  作者: 柴谷れな
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夢の棺(ひつぎ)

 エバダの街は古すぎてでっかい胸のレイリもその始まりを知らない。街を囲む深い森はもっと古くて、どんなに偉い科学者だっていつからそこにあるのか、本当のところ知ってなんかいない。

 だけど何より不思議なのは南の森屋敷だ。

 南の森屋敷は周囲を古い大きな木にすっかりおおわれていて、外から見えるのは、ドラゴンの絵が描かれた入口の木の扉だけだ。木が何百年もかかって、南の森屋敷をすっかりみ込んでしまったのだろうか。それとも、南の森屋敷も周囲の木と一緒に成長してきたのだろうか。とにかく外からでは屋敷がいったいどんな形をしているのか、どこまで高いのか、さっぱり検討がつかない。

 ただ、わかっているのは考えられないくらい古いと云うことと、恐ろしく広いと云うことだけだ。

 ティカナは水着にパーカーを羽織っただけの姿で、南の森屋敷の薄暗い廊下を歩いている。サンダルが床を踏むたびに、ぎしぎしと音がするので、すぐ後ろからクリオがついてきているのがわかった。

 二人は南の森屋敷の中ですっかり迷ってしまっていた。

 それはそうだ。南の森屋敷の廊下は暗くて狭い上に、まるで迷路のように入り組んでいる。通路の左右にいくつも並んでいる木の扉は、どれもこれもまったく同じ形をしている。そのうちのどれかが半魚人の店の扉なのだ。目印はしんちゅう鍮でメッキされた扉の上のワニのプレート。

 ティカナはだけど何も気にしちゃいないように、やみくもに歩き回る。南の森屋敷で彼女が半魚人の店に迷わずに行けたためしなんて、一度だってありはしないからだ。

 半魚人の店は階段のすぐ右隣だ。だから階段を見つけるたびに、ティカナは扉の上に貼りついている小さなプレートを確かめる。

熊や狐のプレートがある。ふくろうきつつき木鳥、かえるとかげ蜴やへびもある。どれもこれも半魚人の店のそれとは違う。中にはうじむし虫みたいに見えるプレートも。扉を開ける気にはとうていなれっこない。ティカナはぞっとして、「うっ」と小さくうめく。

「もうひとつ上の階だっけ? クム」

さそりのプレートを見上げながら、ティカナが訊ねた。

 返事はない。ティカナが振り返る。彼女の目には反対側の扉だけが映る。クリオの姿はない。何処からか射し込む光の帯の中で、ほこりがふらふらとれているのがわかった。

「クム! ねえ、クムったら。ちょっとふざけてんの? クリオ。クリオ・マーサ!」

彼女が小声で呼ぶ。応える声はない。クリオを良く知っている者なら誰でも、怖がりの彼が一人で帰るはずはないと考えるに違いない。ひとり迷っているクリオの姿をティカナは思い浮べ、あわてたように廊下の左右を見回す。

 その時、今しがたティカナが歩いてきたばかりの薄暗い廊下を、黒い影が横切った。同時に、白いパーカーのすそわずかにひらめくのが見えた。

 ティカナは駆け出した。木の床がおおげさに鳴り響く。まるで巨大な太鼓の皮の上を走るようだ。

 影の消えた角を曲ると黒いマントの後ろ姿が見えた。クリオを肩にかついで、そいつは突き当たりの白い光の中に立っている。

 ティカナははじかれたようにマントに向かって突進する。彼女が廊下を中ほどまで駆けると、扉が閉り光が消えた。

 垂直昇降機。

 南の森屋敷に垂直昇降機があるなんて、ティカナには驚きに違いなかった。扉に塗られた赤っぽい塗料が、ところどころびてがれ落ちていた。周囲のどこにもスイッチらしきものは見当たらない。ただ扉の上部にある薄汚れた小さなデジタルランプが、昇降機の停止階を黄色い光で指し示していた。

 薄暗くよどんだ空気の中で、デジタルランプはめまぐるしく動く。数字はまったく不規則だ。3から8に変わったかと思うと、今度は6。次は18。そして7。ようやくランプは、13を表示したまま停止した。

 ティカナは急いで昇降機横の階段を駆け上がった。今何階にいるかなんて彼女はまるではあく握しちゃいない。だけど、考えても無駄なことは考えないのが彼女の主義だ。

 油の染み付いた木製の階段は、黒く湿って見える。途中でサンダルを脱ぎ捨て、ティカナは裸足になる。足の裏がざらざらと汚れるのにそんなに時間はかからない。いくつかの階をすぎる。ティカナはフロアごとに昇降機の扉を確認しながら駆け上り続けた。


 そこは全体がひとつの広い部屋だった。―開け放された垂直昇降機の扉以外は、ティカナが今しがた飛び込んできた階段からの進入口がぽっかりと暗い穴を開けているだけの空間だ。人形がびっしりと壁の戸棚や、テーブルの上にかざられている。人形のないところには様々な種類の動物たちのはくせい製だ。

 ティカナは毛足の長いじゅうたん毯の上を、クリオの姿を探して歩き回った。

 木や布や、ろうや粘土、そして陶器など、いろんな材料でできた、いろんな大きさの男の子や女の子の人形は、みんな、どれもこれも薄汚れ、古ぼけて見える。はくせい製や人形たちの、心が感じ取れない幾つもの瞳に囲まれて、ティカナはわずかに震え、パーカーの前を両手であわせた。

 やがてあぶら染みて見える栗毛色のはくせい製の馬の向こうに、ティカナは広いバルコニーを発見する。彼女ははっとして肩を震わせた。彼女にははくせい製に見えていたに違いない、バルコニーの手すりの上の大きなからすが、けたたましく一声鳴き、そして、濡れたような黒い翼を広げて、ばたばたと飛び去った。

「クム!」

ティカナが叫んだ。バルコニーに並べられた数体の人形の中に、クリオが立っていた。ティカナはバルコニーに出た。

「それはそのような者ではございませぬぞ!」

くぐもったしゃがれ声にティカナは振り向くが、誰もいない。大きなはくせい製の馬が立っているだけだ。

「よく見なされ」

ティカナはぎょっとして一歩後ろにさがった。お尻のあたりがバルコニーの手すりにぶつかる。馬がしゃべっている。栗毛色の剥製の馬ではない。不意に現れたもう一頭の馬だ。

 そいつは後ろ足で立ち、床の絨毯にひづめの跡を刻んで歩いて来た。毛ははくせい製の馬同様、あぶらじみて薄汚い。どうやら着ぐるみの馬だ。誰かが中に入っているに違いない。

 馬はティカナの前をひょこひょこと横切ると、クリオの横で立ち止まる。そして、おっくう劫そうに体を揺すってティカナの方に向き直る。それから、せきばら払いをひとつして、

「さてと」

そう云うと、馬は左の前足を腰のあたりにあてがい、不潔そうな右の前足のひづめで、クリオの頭をこつんこつんとたたいた。

「ほらですね。この者はそのような者ではないのですぞ」

馬は満足気に云うと、右の前足でクリオの肩を抱いた。

 クリオはまるで動かない。表情も変えない。それは光沢のある陶器製の人形だった。

 ティカナは馬と陶器のクリオを交互に見ながら、そろそろと近寄った。人形のクリオは驚いたように口を開けている。紺色の水着に白いパーカー。それは間違いなくクリオのものだった。陶器でできたクリオ。

「クムに何をした!」

ティカナは馬に向かって叫んだ。

「何をおっしゃるか。この者はそのような者ではありませぬと、何度も云っておるではありませぬか!」

 どうやら馬は怒っているようだ。ひづめの不細工な両前足を盛んに上下させながら、後ろ足で床を数回、った。

「その証拠に」

馬はそう云うと、ひづめで人形の背中をごとりと押す。陶器のクリオがゆっくりと前に倒れる。そして、バルコニーの床にぶつかると、恐ろしい音をたてて、こなごなに割れてしまった。

「ほらですね。こわれちゃいましたでしょ?」

 ティカナは床に倒れた人形を見つめる。クリオの人形の、割れてしまった首や腕の中から、まっ赤な血がどくどくと流れ出て、バルコニーの床を染めて流れる。

 馬はうれしそうに、後ろ足でぴょんぴょんねて、踊りまわった。

 ティカナは踊る馬を両手で押し退けて、床に散乱するクリオのかけら片に駆け寄った。バルコニーの手すりがこわれ、ティカナに突き飛ばされた馬が、大きくいななく。それから、いく重にも生い茂った木の枝が折れる音がしばらく続き、最後に馬が地面にぶつかる重く鈍い音が、森の中にこだました。


 暗い天井にだいだい色の明りが、ぼんやりともっている。

 ティカナは黒く重い水の上に浮いていた。静かに目を開け、彼女はみ殺したような笑いを笑う。身体のまわりの水がいくえ重にも波紋を広げ、彼女の笑いにこたえた。

 ようやく右手を伸ばすと、ティカナは透明なふたを押し上げる。ガタンと音がして、それから先は勝手にふたが開く。

 ティカナは上半身を起こす。真夜中にひつぎから目覚める吸血鬼のように。そして立ち上がる。水が膝のあたりで波打ち、彼女はふたの開いた長方形のケースの縁をまたいで、外に出る。それから壁に掛けられたバスタオルをとると、隣のケースをそっとのぞき込んだ。

 透明なふたの下。クリオが目を閉じて水に浮んでいた。ティカナは「ふうっ」と小さく息を吐く。

 クリオの顔を見つめながら、ティカナはなつかしそうな顔をする。そして、

「あなたを知っている」

彼女はとても幸福そうにつぶやいた。

「ずっと前からあなたを知っている」


 ようやくまぶた蓋が動き、クリオが目を覚ました。そしてのぞき込むティカナの顔に、にっこり微笑みかける。

「どんな夢だった?」

ケースから出てきたクリオに、ティカナが訊ねた。

「そんなの、秘密だよ。・・・・ティムは?」

「そんなの、秘密に決まってる」

そう云いながら、ティカナは思い出し笑いで肩を小刻みに震わせ、

「まったく、この形は何とかならないのかな。本当にひつぎのベッドだ。ドラキュラの夢でも見ればよかった」

と、笑いをこらえた。

 夢のひつぎは夢を見るための機械。言葉をひとつだけパネルに入力して、後は中に入って透明なふたを閉じ、水の上に寝そべってぷかぷか浮かぶだけだ。

「便利な機械だけど、欠点があるとすれば、ハッピーエンドを選べないってことと、水着が必要だってことだ」

ティカナが夢のひつぎふたをこつこつとたたく。プールの帰りででもなければ、なかなかできないゲーム械だ。

 『白髭シミじい』のことなんて、すっかり忘れてしまっているのかも知れない。ティカナが好きな夢を自由に見ることができたのは、もう二年も昔のことなのだ。

 クリオがティカナのパーカーのすそを引っぱったのを合図に、二人は夢のひつぎの部屋を出た。


 南の森屋敷にはいろいろな部屋がある。夢のひつぎの部屋もそのひとつだし、半魚人の店もそうだ。いったいいくつ部屋があるのか、たぶん誰も知らないだろう。何しろ廊下は複雑に曲りくねっているし、上ったり下ったりの階段も、長かったり短かかったりで、うっかりしなくても迷ってしまう。だから、ティカナもクリオも自分たちの知っている部屋、―いまのところ夢のひつぎの部屋と半魚人の店の二つきりにしか行こうとはしなかった。

 二人は扉の上の小さな明りに照らされたわにのプレートを、苦労してようやく探しあてた。しんちゅう鍮のノブを回し、かたい木の扉を開き、ティカナが中に入ると、クリオも後に続いた。

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