(1)連隊、壊滅す
「通称、ガロボロク防衛線は、北方蛮族に対する帝国の防衛線として有名である。
しかし、そこに防壁や櫓といった防御施設が存在するわけではなく、この防衛線は兵士たちそのもので引かれているに過ぎない」
ーー「帝国領周縁蛮族(著:ガネット・ホールライ 良臣社)」P65
グレイシア・ヘルモンドは、この帝国領最北辺の地を生涯、好きにはなれないだろうと確信していた。度重なる火焔魔法の応酬によって、植生していたであろうこの大地の主たちは消し飛ばされ、焦土がどこまでも続いている。実り豊かな帝国領南西部出身の彼にとってすれば、およそ信じがたい地であった。他にこんなところは、帝国領のどこを探したってない。
彼はその黒土に、うつ伏せの姿勢でその身を投げだしていた。
彼の周囲の人間ーー栄光ある第22歩兵連隊の将兵たちも同様だ。
第22歩兵連隊は、約1年前からこの帝国領最北端の防衛任務に就いている部隊で、この地を管轄する北方師団本部からの信頼も厚い。……だが本来喜ぶべき、上級司令部からの高評価も考え物で、最近は激戦区に火消し部隊として投入されることが多く、疲労しはじめていた。
(……)
時折、グレイは考えてしまうことがある。この痩せた地を守って何になるのか、おれたちがこの荒野にしがみついて戦う必要があるのか。これが国土だとは到底信じられないし、帝国領だとしても何に利用できるというのだ。どうせなら蛮族の奴らにくれてやった方がいいに決まっている。
どうしてそうしないのか……?
グレイは、すっかり乾燥して埃っぽい唇を舐めて、思考を打ち切った。答えも出ず、出たとしてもどうしようもない考え事はやめよう。すぐにざらざらとした砂がすかさず舌を責めたてたが、彼は不快に思うどころか、満足した。
これは戦闘前に彼が、最近必ずやる悪癖になっている。
きょう戦闘が行われることはもはや確定事項になっていた。
数日前から敵騎兵による偵察活動を帝国国境警備隊が捉え、小規模な魔力変動(おそらく隠蔽魔法の運用に伴うもの)をこちらの友軍の魔術中隊が察知していた。これは過去、蛮族が攻撃を仕掛けてくる度に、必ず捉えられてきた前兆であり、ろくな武装をもたない国境警備隊は大いに慌てて、北方師団本部に泣きついてらしい。そして急遽この地に展開したのが、第22歩兵連隊であった。
(くそ……!)
攻撃があるのは確実だということは、よくわかっていた。だがグレイをはじめとする将兵たちが、今日という日を、確実に、切り抜けられるかはわからない。
少なくとも、全員無事とはいかないだろうとグレイは思った。
願わくば、"無事"の境界線を越えることを免れたい。
「前方、距離約三〇〇〇に大規模魔力変動感知!」
「総員、呪術に備えよ!」
後方の魔術中隊から報告を受けた伝令たちが、有らん限りの大声で叫ぶ。
大規模魔力変動とは、その名の通り膨大な魔力が移動することで、広範囲に被害を及ぼす魔法が運用される前触れである。現代戦はまず魔術部隊の攻撃よりはじまる。
「大丈夫だ、いままでもそうだっただろ」
グレイが自分だけにーー"俺だけは"大丈夫だ、いままでもそうだっただろ、と言い聞かせた瞬間に、現代戦の幕が上がった。
隠蔽魔法をかけた蛮族の群れが、詠唱を終了させた。
遙か前方の大地が爆発したかのように火焔を噴き上げ、渦を上げたかと思うと、その地獄の炎の固まりは、空中で散開して数百の欠片となる。
その様はまるで打ち上げ花火のようだが、第22歩兵連隊の兵員はそれについて品評する余裕はなかった。その火焔の欠片ひとつひとつが、到底人の目では追えない速度で、グレイシア・ヘルモンドたち第22歩兵連隊に襲いかかるのだから。しかも魔力で錬られた火焔の塊は、鋼鉄をも溶かし、人を簡単に炭化させてしまう代物である。彼ら哀れな将兵たちは、祈ることに全力を尽くす。
だが予想に反して、蛮族の火焔魔法は、縮こまったグレイの遙か後方に落着した。
(助かった……!)
少なくとも第一撃は。
グレイの周囲からも、安堵の吐息が漏れ、威勢のいい数人が叫んだ。
「よし、こっちの魔術中隊の番だ!」
術者の集団による詠唱には時間が掛かるもので、蛮族の大規模な火焔魔法は、どんなに準備を速く終えたとしても、次を放つのに数分を要する。しかも火焔魔法を投射した時点で、自隊の位置が割れてしまうために、時間を掛けてでも移動をするのがセオリーだ。一方で、第22歩兵連隊後方に存在する、連隊付魔術中隊は敵の攻撃を察知した時点、あるいはそれ以前に詠唱を開始している。
つまり次に魔法を撃てるのは、こちら側。
蛮族の呪術師どもが被害を受けることを覚悟で、移動せずに詠唱を行ったとしても、彼我の魔法投射は同時になるだろう。
(こっちの魔法がうまくやれば……)
俺たちの出番はなくて済む。
当然ながら歩兵連隊の将兵たちはそう考えていた。普段は互いの魔法は決定打にはならず、最後には敵味方の前衛が互いに白兵戦を展開することになる。それで敵を突き崩すと、戦闘はお終い。勿論、白兵戦に自信がないわけではないが。
だが実際は五分の勝負どころかではなかった。
第22歩兵連隊はなぶり殺しにされることが、この時には既に決定していたのである。
その凶報は、すぐに伝わった。
「先程の敵中隊規模の火焔魔法投射は、連隊付魔術中隊本部を直撃! 死傷者多数!」
連隊最後尾にいた伝令の悲痛な報告が、グレイの耳にまでやってきたとき、彼は伝令の言っている意味を理解するのに、少し時間を要した。魔術中隊、死傷者多数。先程、おれの頭上を飛び越えていった火焔弾は、運良く外れたのではなくて、最初から魔術中隊を潰すために放たれていたということだろうか。
「そんな馬鹿な!」
グレイのすぐ隣に伏せている古参兵が、圧倒的な理不尽ーーとそれに続こうとする絶望を前に、抗議の声をあげた。そんな馬鹿なことがあっていい訳がない。だいたい魔術中隊は自身の姿を隠蔽魔法で所在を隠し、敵の第一撃を必ず凌げるように工夫しているはずだ。障壁魔法だって開発されている。
「誤報だ、誤報!」
蛮族どもの呪術、魔法投射に対抗出来るのは魔術中隊だけである。その対抗策が失われた以上、何が起こるか……多くの将兵はそこで考えるのをやめた。
もちろん、誤報ではなかった。
数分後には蛮族どもの頭上で炎の塊が炸裂し、火焔弾がーー今度は第22歩兵連隊の兵員頭上目掛けて飛んできた。
「第二射、来ーー!」
律儀にも報告の声をあげる伝令は、途中で意味のない言葉をあげはじめた。
地獄から招来した火焔は、彼の顔面に飛び込むと、容赦なくその肉を喰らった。それだけに止まらず、大きく開いていた口から肺へ侵入し、骨の髄までむしゃぶりつき、その人間としての機能を完全に停止させてしまったのだ。
(くそが!)
悪態をつく暇もない。グレイは可能な限り、顎を地面に擦り付けるようにして頭を低くした。紫と青が入り交じったような色をしたそれは、誰かを選ぶことは決してせず、平等に、容赦なく落着する。グレイに出来ることは、姿勢を低くして祈ることだけだった。それが彼が現時点で出来る最高の努力だったのだ。
二射目が途切れると、火焔弾の代わりに彼らの頭上を怒号が飛んだ。
「撤退だ、退かせろ!」
「死守命令を忘れるなっ」
「魔術中隊はどうしたぁ」
隣同士、部下と隊長の間で口論がはじまる。敵が攻撃することが可能な存在ならば、歩兵連隊の将兵たちは勇猛果敢に立ち上がり、突撃を敢行しただろう。だが、蛮族の呪術師の群れの所在は、約3km前方。仮にこの距離を疾走したとして、敵陣に槍をいれることが出来るのは、果たしてこの連隊で何人になるだろうか。
兵士のなかには、決然と立ち上がり敵とは反対方向に突撃を開始する者も現れた。帝国軍規では、戦友を見捨てての戦線放棄は重罪である。だが彼らにしてみれば、いまここで虐殺されるよりも、後に軍法会議に掛けられた方が遙かにマシなのだろう。
「待たんか!」
「うるせえっ」
随所随所で、引き留めようとする士官と逃亡兵の小競り合いが発生した。
流石に逃亡兵が士官を殺すにまでは至らなかったし、その暇もなかったのだが。
第三射は、この生死を賭けた小競り合いのために、棒立ちになっていた彼らを中心に猛威を振るった。逃亡兵たちの背中に火焔はまとわりつき、彼らの上司は火焔弾に押し倒されてしまう。火だるまになり、思考を喪失した兵士が暴れ、地に伏していた利口な兵士たちに火傷を負わせる場面を多く見られた。
この第三射で、グレイの隣の古参兵が死んだ。彼は恐怖によく耐えて伏せていたのだが、運悪く背中に火焔弾を浴び、絶叫しながら最後の時を迎えた。
(こんな馬鹿な)
グレイはおもった。
こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。激戦続きで定数を大きく割っているとはいえ、千名を超える兵員を擁する歩兵連隊一個が、いま手も足も出ずに全滅しようとしている。火の雨のなかで、第22歩兵連隊の歴史がいま閉じようとしている。こんなあっさりとした終わりがあるか? 敵の主兵と相打つ白兵戦で、擦り切れるように消滅する方がよっぽどマシだ。
もうグレイは自らの生命を諦めていた。
戦友への義理もあるし、軍規もあるし、なにせこの火の雨のなかだ。おれはこの場所を離れられない。この地獄から抜け出せない以上、いつかは業火に焼かれてしまうのだ。
このテの諦念をグレイのみならず、未だ生命ある将兵全員が抱いたとき、鬨の声が前方でした。
「敵襲ッ!」
「敵前方、距離約200」
「騎兵突撃来るぞ、立てっ」
歩兵連隊最前列の兵士たちが、口々に叫びながら立ち上がった。
隠蔽魔法で接近してきた蛮族の騎兵どもが、前方200mのところで姿を現し、怒濤の勢いで駆けてくるのがみえたからだ。彼らは動物のうなり声を模したような叫びと共に、槍や熊手を先頭に立てて突っ込んでくる。
それを迎え撃つのは、精強で知られる第22歩兵連隊。彼らの槍捌きをもってすれば、騎兵の突撃を退けることなど、本来は苦ではないはずだった。
ところが最前の士卒は、敵騎兵の勢いに飲まれてしまっていた。
火の雨をやり過ごすうつ伏せの姿勢から慌てて立ち上がったところで、彼らは熊手に引っ掛けられて引きずり回され、槌や鉄棒に打ち倒され、槍に貫かれていた。最前列が崩れた歩兵連隊は、後続も崩れに崩れた。兵士たちは馬上から放たれる凶器を前に落命し、逃げようとする者の背中には容赦なく毒矢が射かけられた。
グレイも自身の掌から槍を繰り出し、騎兵の群れに抗っていたが、生き抜こうとする力はどこか欠けているようだった。
ーー
グレイシア・ヘルモンドは、混沌のなかで自分が未だ生きていることに、ふと気がついた。
「治療士!」
「大丈夫だ……大丈夫だからな!」
「馬鹿が、構うな! 最先任の将校は誰だ」
「この非人がっ!」
グレイはぼうっと周囲を眺めた。
戦闘は終わったらしい。らしい、というのは経過がそのまますっぽりグレイの脳味噌から抜け落ちてしまっているからである。おそらく敵の目的は威力偵察で、第22歩兵連隊の兵員全員を殺し尽くすことではなかったようだ。撃退に成功したというよりは、敵が勝手に帰ってくれたのだろう、と彼は見当をつけた。
どちらにしても、結果の方が重要だった。
おれは、生きている。
グレイは、何度も周囲を眺めた。
どこまでも広がる焦土に、勇猛果敢なことで有名な、第22歩兵連隊の人間たちが活動している。
その誰もが憤怒か、苦痛かで表情を歪めていた。どちらかというと、後者の方が圧倒的に多い。地に伏しながらも、全身を襲う激痛と死の恐怖に抗う負傷者たちに比べ、その負傷者たちの合間を駆けずり回る兵士たちの数は非常に少ない。
(死傷者多数とは、こういう状況のことなのか)
グレイは人事のようにおもい、続いて足下を見た。
そこには、兵士が転がっている。頭髪は血によってぬらぬらと光り、頭から流れ出した血液が、額から首にかけての範囲で凝固している。あたりには更に白い固まり(おそらく脳漿)が飛び散っているところから、頭をかち割られたんだろう、と彼は推測した。
グレイはこの兵士が誰かわからない。
兵士はうつ伏せに倒れ伏し、例え起こしてやったとしても顔面にまで裂傷が広がっていて、誰が誰かわからないだろう。
ーーいや、確認をしようと思えば出来る。この兵士を仰向けに起こしてやり、顔を綺麗に拭ってやり、所持品を調べればどこの誰だかわかるはずだ。
もしかしたら知っている仲間かもしれない。数週間前の戦闘で命を助けてあった仲かもしれない。または数日前に糧食を分け合ったり、数時間前に笑いあっていた仲だったかも。
だが、もしも本当に、そうだったら……?
(……だめだ)
結局、グレイは兵士を惨たらしい死体のまま放置して、自分の精神を守った。
と同時に、意識的に思考の矛先を変えた。
(やりやがったな)
蛮族のやり方はいつもこうだ。
突然大群で押し寄せて、火焔魔法を斉射し、騎兵で突撃してくるか、密集陣形で押し寄せてくる。密集陣形は、広範囲を粉砕する魔法に対して脆弱だが、敵の初手でたいていこちらの魔術中隊は壊滅的被害を受け、役に立たないことが多い。
(やつらは、ずるい)
グレイは常日頃からおもっていることを、この地獄のど真ん中でもおもった。
やつらは普段、地の利を生かしてどこかに隠れている。それでもって突然現れ、おれたちを焼き、射かけ、さんざんに苦しめる。このせいでおれたちはいつも後手にまわっているのだ。なんとかしなくては、駄目だ。
そんなどうにもならないことを考えていると、ひとりの士官が彼を見咎めた。
「手伝え」
グレイが見ると、士官は血と泥で飾りたてられた白い外套を着ている。おそらく薬物を使用して治療を施す衛生兵か、治癒魔法を運用する治療士に違いない、と彼は見当をつけた。顔の半分を覆うマスクのせいで表情はわからないが、士官の瞳はちょっとした怒りを浮かべていた。
至極もっともである。
いまやグレイのように、五体満足で怪我ひとつしていない兵士は珍しい。そんな兵士が、何故周囲で苦しみ、うめいている戦友たちの応急処置をしようとしないのか。
「了解しました」
すぐにグレイは自分の立場を悟って、返事をした。
(1)終
次回、(2)戰斗団、結成 に続きます。