遠く離れた頃合い
私はある夜の日、寂しさが泣き叫ぶ繁華街の街を寒い中歩いていた。電気が僅かに私を怖気付かせながらも、その辺りでは賈やかな通りを外れ、一つの暗い通りを歩いた。 キャッチのフィリピン人の女が道を歩く私に声を掛けるも、私はその方を一瞥して終わるか、聞こえないふりをして通り過ぎるだけであった。私は亜美にクラブについた事を連絡した。しばらくすると、指名の客が入ったから、しばらく待っていてほしいと返信が返ってきた。私はその焦燥の思いを持ちながら、再び、通りを歩き、敢えてキャッチの女に話しかけられながら、その寂しさを紛らわしていた。三十分程して、クラブに来てもいいと連絡が来た。寒空は流石の私でも身にこたえた。ネオンの色合いの暖かみが不思議と寒さを強くしていくように思えた。クラブに着き、扉を開けると、奥の方から亜美と目が合い、彼女は目を大きく開け 「中村くん、来てくれはってありがとう」と嬉しそうに言った。
その言葉に待たせたことの申し訳なさがあり、それを今は隠そうとしているのが私にはわかった。私は扉に近い席に通された。私は扉の方を向いており、私の後ろにはまだ席がいくつかあり、その中で他の客が女と話をしていた。 広い席には複数の男女がいた。だが、後ろを振り向くことはせず、私はその声を聞いているばかりであった。亜美は私の隣に座った。ワインを用意し、コルクを開けると、亜美はグラスにワインを入れ、私の前に出した。そして自分の分も用意をすると、私達は乾杯をした。
亜美は仕事をパワハラで辞め、今はクラブ、銭湯の清掃のバイトをしている。夜職で働かなければならないという無情な現実に私は悲しみを感じた。亜美は黒色に煌めくラメが入ったドレスを着ていた。普段とは違う服装に彼女の必死さが伝わってくるようであった。そのドレスからふくよかな胸が目に入った。亜美は着痩せする女であったのだなと私は思った。そのエロティックな格好に私は目を入れぬように気をつけながら、会話の方に集中をした。
そして源氏名で彼女を呼びながら、その会話は酒が入るにつれ、普段のような上辺の会話ではなく、心の中に入ったものになった。
「中村君は今、好きな人おるの?」
「俺は今はおらへんかな。結婚には興味はあるけど」
「結婚やねえ。周りのみんな、結婚が多くなってきはるしね」
「彼氏はんとはどうなん?」
「夜のお仕事の話はせんといてな。一応夢を売ってるさかい」
「ごめんなさい」
その言葉に私はつい周りを見渡した。幸いなことに私達の話を聞いてる者はいなかった。
亜美は次第に私達の共通の女友達の話をしていた。そしてその子はどうであるかと聞いている。恋愛の橋渡しをしているのである。しかし、その事が私を悲しくさせた。届かないのである。彼女の笑った顔が私の望む事に対してではない事に失望を感じた。亜美は時々、私に触れた。それは私の肩であったり、私の膝であったり、そして時にはお互いの太ももが長い時間触れ合うこともあった。私はその事に性の思いを感じたが、それは彼女に取っては自然のことか、仕事でのスキルなのだろうとも思われた。そして亜美は時々、指名が入り、席を後にしていった。その指名された席の会話を私は盗み聞きをしたが、卑猥な話を客がしており、私は亜美がとても不憫に思えた。そして彼女が私の席に戻ってきた時には彼女に不快な思いをさせず、楽しんでもらえるように話をしていた。恐らくは向こうも同じであっただろう。
話の内容はやはり、恋の話である。亜美は私に恋を思う人はいるかを聞く。もちろん私は本当の事は言えるわけはないので、恋はしたいが、好きな人はいないと嘘をつく。そして彼女は友人を私に紹介する。私は苦笑いで肯定をする。私はこのもどかしさに自身の不甲斐なさを思い怒っていた。
この話をしている間、私は亜美の肩が私の肩と触れているのに気がついた。肩から伝わる肌の温かみが亜美の真髄のように思えた。それだけで、私は亜美とセックスをしているような心持ちになっていた。亜美は無意識にくっつけているのであろうか。そしてその事に気がついているのだろうか。天然でやっているようにも見え、私は私だけが気づいているその幸福を楽しんでいた。
暗い、部屋の中にカラオケの画面の光が私の目を眩しくさせた。美しく座る亜美の横顔に垂れる髪が触れてはならぬ神聖なものとして私に映った。
私は二時間ほどいるつもりであった。既に一時間経っていた。この時の速さが強い寂しさを思い出させた。私がここを離れ、亜美が別の男と話しをするのが耐えられなかった。亜美のそばを離れずに彼女を横に置いて、他の男から守ってあげたくなった。しかし、彼女は生活の為に仕事をしている。私のエゴなど彼女の覚悟に比べたら小さいものであろうと思われた。
彼女は私に来てくれはって嬉しいと言っていたが、それは本心なのであろうか。私は女の本心などわからぬ。その疑心暗鬼は時に恐怖へとなることもあった。
ふと、私は天井を見上げると、そこに煙草の煙がゆらりと漂っているのを認めた。恐らくは後ろの客の煙草の煙だと思われた。私は煙草を吸わないが、もし、吸っているのなら、亜美に火をつけてもらえたのだろうか。私は煙草を吸わない事に対して後悔を感じたが、彼女が過去に煙草を嫌っている事を知っていたので、私のその思いは杞憂に終わった。
亜美はこうして、女性としての魅力をこのようにして表す。私は自分が十代のまま取り残されているような面持ちになる。亜美の風貌や心の思いなどが、どんどんと自立していくのである。敵わないと私は思った。亜美は私と違って強いのである。二年前に喫茶店に二人で訪れた時よりも私を置いて、私は彼女の足元にも及ばない所に取り残された。
私はただ、恐れて恐れ続けていただけなのである。自身の境遇に甘え、彼女のように覚悟も何も持たずにいる。
亜美の口紅によって輝いた唇が病魔のような美しさと恐ろしさを醸し出した。ただ、それでいて、彼女はまだ優しすぎた。私はその優しさに身を溺れさせ、亜美と同列にこの身を置いたような幻覚を自身に見させた。そしてそれは薬が切れた時のように幻覚を見る前以上に自己嫌悪に陥り、死んだように生きる絶望が私を駆け巡った。
私は喧騒に背を向け、クラブを後にした。亜美は店を出て、私に手を振った。私はこれが彼女との永遠の別れのように思えた。ただ、悲しさと寂しさが私に入り込み、電車に乗ってもそれは暗く見えない窓からの景色とそこに映る私のただやつれた顔があり、亜美との今夜の思い出はどこか遠い場所に行ったように思えた。




