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第3ゲーム 死のハンドベル

「それでは、これより第三ゲームを開始いたします」

マスターがカウンターの下から取り出したのは、銀色に輝く四つのハンドベルだった。

一つずつ、円卓に並べていく。白い手袋をはめた指先が、それぞれのベルを音もなく置いた。置くたびに、暖かいランプの光が銀の表面を鈍く照り返す。磨き込まれた鏡面には、この場にいる全員の歪んだ輪郭が映り込んでいた。碧は自分の像を見ないようにした。怯えた目をした少女が、そこにいるのがわかっていたから。自分がそういう顔をしているという事実を、今この瞬間は直視できなかった。

「四つのハンドベルを、お一人ずつ手に取り、鳴らしていただく。ただそれだけでございます」

しかし、と。

マスターは一呼吸置いた。その沈黙が、次に続く言葉の重さを事前に告知するような間だった。

「四つのうち一つにだけ、神経ガスを噴射する高圧機構が仕込まれております。ベルを振ると内部の振り子がベルの縁に衝突し、その衝撃がカートリッジを作動させる。ハンドルのスリットから放出されるのは無色・無臭の毒ガスです。吸入すれば、全身の筋肉が制御を失います。横隔膜が動かなくなる。息が、吸えなくなる。意識を保ったまま、自分が窒息していく過程を数秒間感じながら、絶命いたします」

碧は指先が冷たくなるのを感じた。心臓が収縮するような感覚が、胸の中央で起きた。

「なお、噴射される量は最小限に設計されております。鳴らした方の呼吸域には確実に致死量が到達いたしますが、室内全体の空気を毒性水準まで引き上げるには不十分でございます。……こちらの換気設備が優秀でございますので」

マスターは天井の換気扇へ視線を向け、静かに付け加えた。

「お一人様専用の、死でございます」

沈黙が、四人の間に降りた。

誰も、すぐには声を出せなかった。

「……目に見えぬ気体のギャンブルか。野蛮だな」

最初に口を開いたのは九条だった。震える指先で眼鏡を押し上げながら、しかしその声には努めて冷静であろうとする意志があった。

「マスター。ベルを振る前に、叩いて音を確認することは許可されるか」

「構いません。ベルを『振る』動作を行わない限り、噴射機構は作動いたしません」

九条は即座に懐からティースプーンを取り出した。いつの間に手元に残していたのか、碧は気づかなかった。細かい準備ができる男だ、と思いながら、碧は自分の手に何も残っていないことを改めて認識した。

九条はスプーンを慎重に構え、四つのベルの縁を順に、極めて微小な力で叩いた。

「チーン……」「チーン……」「チーン……」「チーン……」

四つの音が、店内の空気をわずかに揺らして消えていく。暖かい喫茶店の空気が、何事もなかったかのようにその余韻を吸収した。九条は目を閉じた。

数秒の沈黙。

「……見つけたぞ」

九条がゆっくりと目を開いた。

「この三番目のベル。他の三つと比較して、響きがわずかに短く、音が濁っている。金属を叩くと、その金属自身の重さと硬さのバランスで決まる固有の音が出る。内部に余分な重さ――噴射機構のカートリッジが詰まっていれば、その余分な質量が振動を打ち消し、響きが短く濁る。この三番目こそが、確実な『死』だ」

九条は、自ら最も澄んだ残響を持つと判断した一番目のベルを手に取り、そのまま鳴らした。

「チリン」と、透明な音が鳴った。

何も起きなかった。

九条の肩から、わかりやすく力が抜けた。一瞬目を閉じ、それから碧たちへ向けて短く告げた。「正解だ」

ミカが縋るように九条へ視線を向けた。「あたしも……三番目以外なら! 二番目にする!」

ミカは震える手で二番目のベルを掴み、半ば叫ぶように鳴らした。

「チリン」

甲高い音が響いた。ミカは両手で口を塞いだ。三秒待った。五秒待った。何も起きなかった。ミカの目から涙が零れた。嗚咽をこらえながら、それでも声が漏れた。

残されたのは、九条が「毒」と断言した三番目と、まだ誰も手を触れていない四番目のベルだった。

碧には、ある感覚がひっかかっていた。

(九条さんは『音が濁っているから毒だ』って言った。でも……)

碧は麗香を見た。

麗香は相変わらず、扇子で口元を隠し、退屈そうに九条の講釈を眺めていた。その目は眠たそうに細められている。だが碧は気づいていた。麗香はベルの音など聴いていない。彼女の視線は、ずっとマスターの「指先」を追っていた。ゲームの説明中も、ベルが置かれる瞬間も、麗香の目だけが別の場所を見ていた。

碧は記憶を手繰り寄せた。

マスターがベルを一つずつ円卓に置いたとき、三番目のベルだけが、わずかに違った。他の三つを置くとき、木の天板が薄く「コトン」と鳴った。だが三番目だけ、音がしなかった。

ほんの一瞬の、ほとんど聞き逃すような差異。碧がそれに気づけたのは、マスターの指先を見ていたからではなく、息を詰めて音を聴こうとしていたからだった。

碧は円卓の表面をそっと眺めた。三番目のベルが置かれた場所の木目が、周囲とわずかに違う。後から貼り付けられた薄い吸音材のような何かが仕込まれているとしたら。ベルが鳴った瞬間、台がその振動を吸い取ってしまう。響きが短く聴こえるのは当然だ。

(三番目の音が濁っていたのは、ベルの内部のせいじゃない。置かれた台が音を吸い取っていたせいで、短く聴こえただけなんだ……!)

その結論が頭の中で形をとった瞬間、麗香が動いた。

「九条様。あなたの論理は、常に用意された罠に真っ先に飛びつきますのね」

麗香は、九条が毒だと断じた三番目のベルを、迷いなく手に取った。扇子を膝の上に置き、白い指がベルの柄を包む。その動作に、一片の逡巡もなかった。

「わたくし、これをいただきますわ。これが最も美しい音を奏でていますもの」

「なっ……正気か!? 自殺行為だぞ!」

九条が立ち上がった。椅子が床を擦る音が響く。しかし、その瞬間、麗香はためらいなくベルを鳴らした。

清澄な音色が店内に響きわたり、消えた。

「ね? 綺麗な音色でしょ?」

麗香は涼しい顔で、ベルを元の場所へ戻した。毒が出なかったことは、誰の目にも明らかだった。九条の顔が固まった。ミカがもう一度、小さく息を呑んだ。

円卓の上で、四番目のベルだけが残っていた。

碧は九条を見た。自分のベルが毒でないと確認した瞬間、九条の肩からわかりやすく力が抜けた。先ほどの失態も、今の予測外れも、彼の表情から消えていた。安堵が、すべてを上塗りしていた。碧の死など、彼にとっては統計上の誤差に過ぎない。自分がまだ生きているという事実だけが、九条の世界を構成していた。

ミカはまだ涙を拭いている。自分が生き延びたことの実感を、まだ処理しきれていない様子だった。碧のことは、見ていない。

碧を、誰も見ていなかった。

(私が……これを、鳴らさなきゃいけないの)

四番目のベルが、テーブルの上にある。銀色の表面が、碧の歪んだ顔を映している。さっきは見ないようにした顔が、今は見るしかない。ランプの光の中で、怯えた目をした少女が、こちらを見ていた。

これを振ったら、死ぬ。

違う、もしかしたら死なないかもしれない、などという甘い考えは湧いてこなかった。マスターははっきり言った。致死量が到達する、と。意識を保ったまま窒息する、と。それが数秒後に自分の体に起きる。横隔膜が動かなくなる。息が吸えなくなる。苦しいまま、死ぬ。

胃の奥から、冷たい何かがせり上がってきた。

九条が生きている。ミカが生きている。麗香が生きている。三人が生きていて、碧だけが死ぬ。それがこのゲームの結末だった。誰も代わってくれない。誰も止めてくれない。誰も碧を見ていない。碧が死んでも、この喫茶店の空気は変わらない。ランプは灯り続ける。換気扇は回り続ける。碧という人間が一人いなくなっても、世界はそのまま続く。

涙が静かに溜まってきた。こぼれないよう、碧は奥歯を噛み締めた。

友達の顔が浮かんだ。放課後にくだらない話をしながら歩いた、あの帰り道。来月、一緒に映画を観に行く約束をしていた。チケットはもう買ってある。碧の分は、碧が持っている。

好きな人の顔が浮かんだ。まだ、一度も話しかけられていない。図書室でいつも同じ席に座っている、あの人。名前すら知らない。知らないまま、終わる。

全部、終わる。

涙が一粒、頬を伝った。拭う気力もなかった。

その時――

「……碧さん。あなた、何を見て絶望していらっしゃいますの?」

麗香の声が、意外なほど柔らかかった。

碧は顔を上げた。麗香が、じっとこちらを見ていた。

「毒が入っているから、鳴らせば死ぬ。……そんなの、子供でもわかる理屈ですわ。でも」

麗香は扇子を閉じた。カシャン、と小さな音がした。

「生きるかどうかは、あなたが決めるのよ」


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