「毒の見分け方?一目瞭然ではありませんこと?」
静寂。
コーヒーの苦味が喉を通り過ぎ、胃に落ちていく感覚まで、やけに鮮明だった。
碧は自分の心音を数えた。
一秒。
二秒。
三秒。
(……私、生きてる……?)
碧は、自分の心臓がまだ動いていることを確かめながら、震える手でカップを置いた。
周囲を見渡す。九条も、ミカも、息をしている。生きている。
しかし――
「……あ、……ぁ、……がはっ……!!」
喉の奥から、何かをえぐり取るような叫び声があがった。
椅子を蹴り飛ばして倒れたのは、佐藤だった。
彼は喉を掻きむしり、床に倒れ込んだ。顔は一瞬にして土色に変わり、白目を剥いて全身を激しく痙攣させる。
「うあああああっ!!」
ミカの悲鳴が店内を裂いた。彼女は椅子から転げ落ち、テーブルの下に身を縮める。
碧は息が止まった。目の前で人が死んでいく――その現実が、脳に届かない。
佐藤は床を爪で引っ掻き、苦しみ抜いた。泡を吹き、全身を海老反りにし、まるで見えない何かに身体を内側から引き裂かれているかのようだった。
わずか十数秒の間、彼は地獄を味わった。
そして――
ピクリとも動かなくなった。
琥珀色のランプの下で、佐藤の身体は人形のように静止している。開かれたままの目は、虚空を見つめていた。
「……ひっ、いや……嘘……」
ミカが震えながら嗚咽を漏らす。
碧も腰が抜けて、椅子にしがみついた。吐き気が込み上げる。現実感が剥がれ落ちていく。
マスターは、淡々と白い布を持ってきた。
そして、佐藤の顔に布をかける。
その仕草はまるで儀式のように静かで、機械的だった。人が死んだという事実に、何の感情も込められていない。
「……佐藤様、脱落。残り四名」
マスターの声は、スコアを読み上げるアナウンサーのようだった。
もう嫌だ……碧は口元をおさえた。そうでもしてないと今飲んだコーヒーを全て吐き出してしまいそうだったからだ。
「……たまたま当たっただけだろ。ただの強運に過ぎない」
九条が、震える指先で眼鏡を直しながら吐き捨てた。
「君は自分が正解を知っていたかのような顔をしているが、単なる二十パーセントの確率を引き当てただけのギャンブルだ。それを知略のように語るとは、滑稽だな」
自分の論理が負けたのではなく、麗香が運のいいイカサマ師であると決めつけることで、崩れかけたプライドを必死に繋ぎ止めている。
しかし麗香はゆっくりと立ち上がり、空になった銀のトレイを指先で弾いた。
カラン。
澄んだ音が、店内に響く。
「あら、九条様。運だけでわたくしの首がつながっているとお思い? ……頭の中の戯言にばかり目を向けて、目の前の『真実』からは目を背けていらっしゃること」
麗香は碧へと視線を移して微笑み、それからテーブルを見下ろした。
「毒の見分け方?――そんなの、『物理的な違和感』を見れば一目瞭然ではありませんこと?」
「違和感……?」
碧が呆然と問い返した。
「ええ。マスターは『同じ角砂糖』だと言いましたけれど、毒を仕込むには細工が必要ですわ。毒液を染み込ませ、再結晶させる工程があると、表面の結晶の角がわずかに丸みを帯びる。あの中央の角砂糖だけ、そうなっていましたの」
麗香は、まるで美術品を解説するように続けた。
「さらに、中央の角砂糖だけ、光の反射がほんの少し違っていましたの。他の四つは乾いた結晶特有の白い光を放っていた。でも真ん中だけは、うっすらと艶を帯びていた。毒を染み込ませて再結晶させると、砂糖の内部がわずかにねじれる。それだけで光の跳ね返り方が変わるんですの」
碧は息を呑む。
(そんなこと、見えるわけない……普通の人間には……)
「しかも、表面の湿り気のせいで、その粒だけ、トレイの上で動かなかった。マスターが置いた時、あの中央だけが銀の表面にぴたりと吸い
九条は口を開きかけて閉じた。言葉が出ない。
「わたくし、それを見て確信しましたの。"あれが毒"だと」
麗香の声は柔らかく、それでいて刃のように冷たい。
「この毒は、体に入ると中枢神経の信号を遮断するタイプ。心臓を止めるのではなく、"動け"という命令そのものを切り落とす。少量でも効力は絶大――ほんの一口で、この結果ですわ」
麗香は、白い布をかけられた佐藤の遺体を一瞥した。その目には、何の感情もなかった。
「……詭弁だ」
九条は、喉の奥から絞り出すような掠れた声を上げた。しかし、麗香のあまりに透き通った無関心を前に、言葉は形を失い、霧散していく。九条はそのまま重い沈黙に沈み、二度と口を開くことはなかった。




