第5ゲーム 最遠距離①
残されたのは三人だった。
マスターが、恭しく口を開いた。
「さて。第5ゲームの準備が整いました」
マスターが円卓に置いたのは、四つのコーヒーカップだった。
どれも同じ白磁。どれも同じ量の黒いコーヒー。どれも同じように湯気を立てている。違うのは、円卓の上での配置だけだった。カップはA、B、C、Dと、一列に等間隔で並べられている。
「第5ゲームを開始いたします。ルールは『最遠距離』」
マスターは三人を順に見回した。
「四つのカップのうち、一つにだけ毒が入っております。皆様には、それぞれ一つずつカップをお選びいただき、お飲みいただく。毒入りのカップを選ばれた方は、その時点で脱落。残った方々は次のゲームへ進んでいただきます」
「次のゲームへ、とは」九条が眼鏡を押し上げながら言った。
「ただし」マスターは続けた。「三名全員が毒のないカップを選んだ場合、毒入りカップから最も遠い位置のカップを選んだ方に、一ポイントが入ります。先に二ポイントを獲得した方は、その時点でこのゲームのクリアとなります。借金の全額免除となります」
「二ポイント取った時点で終わり、ということか」九条が言った。
「左様でございます。なお、誰かが毒を飲んだ回はその時点でゲーム終了。生き残った方々は次のゲームへ進んでいただきます」
碧は構造を整理した。
ゲームの終わり方は二つ。誰かが二ポイントを取ってゲームクリアするか、誰かが毒を飲んで死ぬか。
そして最遠の位置は、A-B-C-Dの一列配置において、毒がAならDが最遠、毒がBならDが最遠、毒がCならAが最遠、毒がDならAが最遠。つまり最遠を取るためには、常に端のAかDを狙わなければならない。
(端を二人が狙えば、必ず競合する。端は二つしかない。三人が同時に取ろうとすれば、必ず誰かが妥協させられる。)
(このゲームは、情報戦だ。毒の位置を当てることより、他の二人の判断をどう操るかが本質かもしれない。)
「また、カップを選ぶ前に、必ず宣言を行っていただきます。宣言の後にカップをお取りください」
マスターはそれだけ告げ、一歩引いた。
横で麗香が静かに扇子を開いた。
その音が小さすぎて、碧以外には聞こえなかったかもしれない。しかし碧は確かに聞いた。
麗香は始まる前から、何かを決めていた。
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第一回戦
「では、第一回戦を始めましょう」
最初に口を開いたのは九条だった。
「宣言する。毒はCだ。マスターがカップを並べる際、Cだけ置く速度がわずかに遅かった。慎重に扱う必要があるものを置くとき、人間は無意識に動作が遅くなる。毒がCなら最遠はA。従ってAをいただく」
宣言を終えてから、九条はAのカップに手を置いた。
その所作は迷いがなかった。観察から結論、結論から行動まで、一本の直線が通っていた。
碧は九条の宣言を分析した。
毒がCならAが最遠で、九条の選択は論理的に正しい。九条がAを取った以上、碧と麗香にはB・C・Dが残る。もし毒が本当にCなら、BかDを選べば生き残れるが、最遠のAはすでに九条が独占している。競合相手に安全な場所しか残さず、ポイントだけを自分が取る構図だ。
しかし碧は、もう一段深く考えた。
(九条さんの宣言には二つの働きがある。自分の選択の根拠を示すことと、私と麗香さんの判断を誘導することだ。もし九条さんが嘘をついているなら、私たちをCへ誘い込もうとしているのかもしれない。でも九条さんが自らAを取るなら、毒がAである可能性を自分で引き受けることになる。自分の命を賭けた宣言は、嘘の確率が低い。)
(九条さんは正直に宣言している。だとすれば問題は、九条さんの観察が正しいかどうかだ。)
次に麗香が宣言した。
「わたくしはね」扇子を優雅に開きながら、麗香は言った。「九条様の観察は正しいと思いますわ。だからこそ、Cをいただきますわ」
宣言を終えてから、麗香はCのカップに手を伸ばした。
九条の眼鏡の奥の目が、わずかに揺れた。毒が入っているはずのCへ、麗香が向かう。九条の宣言を嘘だと見抜いたのか。それとも本当に死にに行くのか。
碧の頭の中で、何かが引っかかった。
(麗香さんは「九条様の観察は正しい」と言った。正しいなら、Cが毒だと信じているはずだ。毒のカップを選ぶ理由が、どこにもない。)
(これは自殺ではない。麗香さんはCが安全だと知っている。つまり麗香さんは、九条さんの観察を信じていない。「正しいと思う」という言葉自体が嘘だ。)
(では麗香さんは何をしているのか。)
碧には残りのBとDがあった。
碧はマスターがカップを並べた瞬間を思い出した。A、B、C、D。マスターの白い手袋の動きを。九条はCが遅かったと言ったが、碧の記憶では違った。Bを置くとき、指先がわずかに止まった気がした。ほんの一瞬の、気のせいかもしれない停止。
(毒はBかもしれない。Bが毒ならDが最遠だ。)
(そして麗香さんがCを選んだということは、麗香さんも毒はBかDだと読んでいる。Cは安全だから選べる。それを確かめながら、私の動きを見ている。)
碧は静かに息を吸った。麗香の真意をそこまで読んだとき、ゲームの構造が少し違って見えた。これは毒の位置を当てるゲームではなく、三人が互いの推理を推理するゲームだった。
「私は」碧は宣言した。「九条さんの観察とは違うものを見ていました。Bを置く瞬間、マスターの指先が止まったように見えた。毒はBだと読みます。ならば最遠はD。Dをいただきます」
宣言を終えてから、碧はDのカップを手に取った。
三人がカップを口に運んだ。
一秒。二秒。三秒。
誰も倒れない。
「全員生存。毒はB。最遠はDでございます」
「碧様、一ポイント」
九条の指先が、眼鏡のブリッジを押し上げる仕草がいつもより力強かった。自分の観察が外れたこと、碧が別の根拠を持っていたことへの、抑制された動揺だった。
碧には麗香がCを選んだ理由がまだ分からなかった。毒がBならCもDも同じく安全だった。最遠を狙うならDだったはずなのに、麗香はCを選んだ。
(麗香さんは最初から、Dを私に譲るつもりだったのだろうか。)
(それとも——麗香さんはこの第一回戦を、ポイントを取るためではなく、私たちの観察能力を測るために使ったのか。)
麗香は何も言わなかった。ただ静かにコーヒーカップを置き、扇子の陰で口元をわずかに緩めた。
その微笑みの意味が、碧には分からなかった。




